読むと好きに関するhatep89のブックマーク (5)

  • 愛情を知る上で、ラブレターは最大のアウトプットなのかもしれない - 投資女子は孤独死が怖い

    今週のお題「あの人へラブレター」 今週のお題がラブレターという事で、ふと思い出した事を書こうと思う。 ラブレターって皆さん書いた事がありますか? 私はあります。 そのラブレターは相手に渡す事は無かったけども、先生に提出しました。 何故なら、高校の時の授業でラブレターを書くという 一風変わった課題があったからです。 私が行っていた高校は公立の普通科なのですが 少し変わっていて「単位制」を導入していました。 必修授業はあるけども、必修以外は自身で選択して卒業単位を取るという。 なんちゃって大学的なシステムが導入されていたわけです。 完璧に遊び呆けていたので、卒業間近に単位が足りない事が発覚し 先生方が怒涛の追試の救済処置をしてくれて ギリギリのところで無事に3年間で卒業できたのは悲しい思い出。 そんな高校生活で 3年次に名前の感じ的にラクそうという理由で取った「国語表現」という授業。 必修では

    愛情を知る上で、ラブレターは最大のアウトプットなのかもしれない - 投資女子は孤独死が怖い
  • 【色覚異常の話】周りの人達には、どうやら虹が虹色に見えるらしい。

    周りの人達には、どうやら虹が虹色に見えるらしい。 虹が当に7色に見えるのであれば、どれほど美しいのだろう。 僕は、2色で構成される世界で生きている。先天性の色覚異常だ。 これといった先入観がない限り、水色、青、紫といった色は「青系」として、黄、赤、緑、茶、肌色、朱色、オレンジといった色は「赤系」として識別される。 それ故の失敗談は、掃いて捨てるほどある。 幼稚園の参観会では、背面黒板に貼られた「おかあさんの にがおえ」の中に1人だけアフリカ系のおかあさんが混じっていたらしいが、当時の僕は授業中も外に飛び出していってしまうやんちゃな少年だったため、母は気にも留めなかったようだ。 今になって思えば、ゲームと名の付くもので同年代には絶対に負けないと思っていた小学校低学年の頃の自分が、唯一出来なかったのが「ぷよぷよ」だった。完全に運任せのゲームで、僕が負けるのはただ単に運が悪いからだと思っていた

    【色覚異常の話】周りの人達には、どうやら虹が虹色に見えるらしい。
  • 居残りのゆくえ - 傘をひらいて、空を

    うんと年下の友人と会う約束をしていたら、かれし連れていきます、とメッセージが入った。かれしは劣化していますのでよろしく。劣化、と私は内心で繰りかえした。いやな言い回しだと思った。人間はしばしば疲弊し、かならず老化し、ときに頽落する。それを劣化と表現する心性を私はいやだった。けれどもそれだけのことでかわいがっている女の子を嫌いになるのではないから、約束の日にはもちろん出かけていった。 劣化、と私は思った。いやだと思ったはずの表現がなんだか適切に思えた。少し前に紹介されたとき、彼女の恋人は二十代半ばという年齢以上にしっかりして見えた。礼儀正しくバランスがとれていて適度に快活で見栄えのいい青年だった。小さいころから選ばれてきてそれに慣れている人々によく見られるようすだ、と私は思った。それが今はなんというか、全体にもっさりしている。冴えない。うっすらとだらしない。なるほど、と私は思う。 私と彼女の

    居残りのゆくえ - 傘をひらいて、空を
    hatep89
    hatep89 2014/08/15
    胸の奥がほくっとしました。
  • にんじんの塔 - にんじんの塔

    2014-05-22 にんじんの塔 高校生の時に『冷静の情熱のあいだ』という映画を観た。 辻仁成と江國香織の共著が原作で、竹野内豊とケリー・チャンが主演の映画だ。   冷静と情熱のあいだ(通常版) [DVD] 出版社/メーカー: ポニーキャニオン 発売日: 2002/06/19 メディア: DVD 購入: 1人 クリック: 63回 この商品を含むブログ (23件) を見る あの瞳も、あの声も、ふいに孤独の陰がさすあの笑顔も。 もしもどこかで順正が死んだら、私にはきっとそれがわかると思う。 どんなに遠く離れていても。二度と会うことはなくても。 まだ、田舎のしょっぼい進学校の女子高生だった頃に観た映画だ。映画館で。2度、授業をサボって。 その時、もう処女ではなかったけれど、自分の人生に希望が持てるんだかなんだか分からない日々を過ごしていた私にとって、この映画を観て、愛だの恋だのが微かな希望だっ

    にんじんの塔 - にんじんの塔
  • 個人史は終焉しない。続く。

    ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い、子供を妊娠した、と言う話だ。 私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う診断もその時受け、定期的に通院している。 私は子どもの頃から、よく人のことを聞く人間だった。勉強はするもので、ご飯はべるもので、部屋は綺麗にするもので、結果は収めるものである、と。自分の生の意味を考え始めたのは思春期の頃だ。大概、親のために、社会のために。上手に生きるため、に収束した。私は常に落胆した。酷く憂に毎日を暮らした。したいことは何も無かった。酒を飲み、寝て、を読んだ。しかし私は何者にもなれなかったし、ならなかった。なる事を選ぶことすらしなかった、出来なかった。 学生のころに恋人と暮らすようになった。恋人といると安心はした。しかし、恋人は私の生に意味を与えてはくれない。私はその、その人が体験する、一部の風景でし

    個人史は終焉しない。続く。
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