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宮本常一の日記*1によると、 昭和41年1月31日 アチックへゆく。かえりに渋谷で『木佐木日記』『岡本太郎の眼』などを買う。『サンカ物語』も。これは『サンカの社会』よりもおもしろい。私はこれほど1つのものを追いかけたことがない。 とある。『サンカ物語』は、三角寛『山窩物語』(読売新聞社、昭和41年1月)のことと思われる。三角寛『サンカの社会』は朝日新聞社から昭和40年11月刊行。 宮本がサンカについて、書いたものとしては、「サンカの終焉」(『山に生きる人びと』(未来社、昭和39年1月)所収)が知られている。宮本はそこでは、 なおサンカについては三角寛氏の厖大な研究があるが、私はまだそのことについては何もうかがっていない。 と記している。個人的には、宮本には三角サンカについてもっと言及してほしかったが、学者としては深入りしなくて正解であった。 ところで、筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(
みずのわ出版 本拠地 ・ 山口県周防大島の出版社、です ―詳 細― 宮本常一写真図録 第2集 ――日本人の暮らし 昭和37~39年 宮本常一写真図録 第2集 ――日本人の暮らし 昭和37~39年 周防大島文化交流センター・ 東京写真月間実行委員会 ((社)日本写真協会 ・東京都写真美術館)編著 宮本常一 写真 森本孝・高橋延明 監修 2009年2月刊 A5判並製172頁 本体2300円+税 ISBN978-4-944173-59-4 C0336 装幀 林哲夫 [帯 推薦文より] 足に目がある。目は日本を見続けている―― 民俗学者・宮本常一は、日本全国を旅して9万カット以上という膨大な量の写真を撮影した。歩くこと、撮り続けることからしか何も見えてこない。彼の写真からはそんな強い意志が伝わってくる。 飯沢耕太郎(写真評論家) [内容] 東京写真月間2008(同実行委員会=(社)日本写真協会、東
⇒三枝成彰さんの私の1冊「忘れられた日本人」宮本常一 | NHK 私の1冊 日本の100冊 忘れられた日本人 (岩波文庫): 宮本 常一 この本は日本人知識人には単に必読というのはあるのだけど、人によっては何が面白いのかわからないというのはあるだろう。若い人だと、読める人と読めない人の差は大きい。 名著の評価はガチなのだが、微妙な問題は多い。 三枝成彰の話はまあ、悪くない。日本人再発見みたいな感じで読まれてもよいだろうし、普通はそう読む。 で、と。 旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三: 佐野 眞一 このあたりも必読なのだが、ちょっと食い足りない。 宮本常一が見た日本: 佐野 眞一 こちらは「旅する巨人」がきっかけでNHKの市民講座がベース。まあ、概論的。 渋沢家三代 (文春新書): 佐野 眞一 宮本常一ではないがこのあたりも、常識の部類かな。ちょっとそういうのは勇み足だが。 で、と。 日本文化
大きな足跡 多彩な評価 「旅する巨人」と呼ばれる民俗学者の宮本常一(1981年没)が生まれて、今月でちょうど100年を迎えた。長く忘れられた存在だったが、ここ数年、再評価の動きが活発で、様々な切り口の出版が相次いでいる。宮本が記録した日本人のごく普通の生活。失ってしまったものの尊さに我々はようやく気づき始めたのだろうか。(片岡正人) 「勤勉も正直も父母の日常生活のうちにこれを学んだのである」「体験から出た言葉はいつも真理であった」「その人間がどういう思想を持つかでその地域の風景が決まってくる」 「宮本常一を語る会」代表世話人の長岡秀世氏が制作・発行した『思索する旅人 宮本常一 名言至言語録』(1715円)には、珠玉の発言31編が雅味豊かな書画とともに紹介されている。官庁や大企業の無責任体質を見せつけられるにつけ、16万キロに及ぶ旅を通じ、名もなき人々の営みに触れる中で形成された“宮本哲学”
【写真】 15日夕刻、周防大島・伊保田港から松山・三津浜港に向かうフェリーより。 台風が四国沖を通過した直後で海上にはうねりが残っていて、船が盛大に揺れた。忽那の海は豊後水道のまっとおり。瀬戸内海とはいってもここは外海である。 【12日】 終日雑用。アジトを留守にする前はヘンに忙しい。六甲アイランド22時45分発のダイヤモンドフェリーに乗る。客数はそう多くはなかったが、クルマがかなりの混みようで積込みのため出航が遅れる。2日前の松山沖での衝突事故による緊急ドック入りで、並行する関西汽船が欠航した影響だらう。私も便を振り替えた一人、である。 【13日】 定刻より1時間程度遅れて松山観光港着。それでも、伊保田に渡るフェリーの出航時刻まで余裕がある。夜半まで酒呑んで寝坊して、それでも朝風呂浴びることができた分トクした気がする。一寸遅れたくらいでいちいち目くじら立てていたのでは船は楽しめない。 今
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