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語彙と思想に関するkanototoriのブックマーク (3)

  • 何事にも根柢が第一 | デジタル版「実験論語処世談」 / 渋沢栄一 | 公益財団法人渋沢栄一記念財団

    子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以為絢兮。何謂也。子曰。絵事後素。曰。礼後乎。子曰。起予者商也。始可与言詩已矣。【八佾第三】 (子夏問うて曰く、巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは何の謂ぞや。子曰く、絵の事は素より後にす。曰く、礼は後か。子曰く、予を起すものは商なり、始めて与に詩を言ふべきのみ。) この章句も礼に関したものであるが、巧笑倩たり以下絢たりまでの句は、逸詩と申して詩経に漏れて載らなかつた詩であるが、其意は、一たび笑へば其口元倩として忽ち万人を悩殺し、目元の美しく涼しいところは実に盼たるの美人でも、その微笑める口元とか或は又目元の美しい表情とかは抑〻末のこと、美貌の根柢になるものは生れついて持つたる明眸皓歯の天質である。これに粉黛衣服の絢を加へて茲に初めて美人の美人たるところが発揮せられるるものだといふにある。然るに、孔夫子の御弟子の子夏、即ち商は、「素以て絢を為す」の字句

    kanototori
    kanototori 2023/02/23
    “子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以為絢兮。何謂也。子曰。絵事後素。曰。礼後乎。子曰。起予者商也。始可与言詩已矣。【八佾第三】 ”
  • 褒め言葉として「クソ」を遣うやつをボコボコに殴り倒したい

    常々「クソ」や「クッソ」に腹立たしさを覚えていた。 しかも褒め言葉として「クソ」だの「クッソ」だの遣う人間も出てきて不愉快極まりない。 頭の中が排泄物にまみれているのか?殴り倒して半殺しにしたくなる。 不愉快に感じている人が他にもいるのではないかと探したら 下の記事に辿り着いた。 しかし驚いたのがコメント欄。 「クソ」「クッソ」を擁護しているコメントがあった。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ ■すごく良い、を表す形容詞に「クソ」「クッソ」を付ける違和感がハンパない。 https://www.odaiji.com/blog/?p=7848 わたあめ より: マイナスを示す程

    褒め言葉として「クソ」を遣うやつをボコボコに殴り倒したい
    kanototori
    kanototori 2020/01/22
    一人の一生の中でいちいち世の中の変化についていく必要はない。次の世代だって変化させたくてさせてるわけじゃない。
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    kanototori
    kanototori 2011/01/05
    「時に深遠で高邁な、時に無頼で軽燥な、又時に閑雅で悠揚たる」
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