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ブックマーク / eiichi.shibusawa.or.jp (3)

  • 人に重んずべきは晩年 | デジタル版「実験論語処世談」 / 渋沢栄一 | 公益財団法人渋沢栄一記念財団

    人の一生の中で、何れ疎かに致して宜しいといふ時期のあらう筈無く、一生涯を通じて一分一秒と雖も、悉く是れ重んずべき貴重の時間たるには相違無いが、人の生涯をして重からしむると軽からしむるとは、一に其の晩年にある。随分若いうちは、欠点の多かつた人でも、其晩年が正しく美はしければ、其の人の価値は頗る昂つて見えるものである。之に反し、随分若いうちは豪かつた人でも、其晩年が振はなければつまらぬ人物になつて見えるものである。人の一生に取つて晩年ほど大事なものは無い。秀吉も其若い頃に得意とした明快なる決断力を晩年まで持続し得、臨終に近づくに際しても淀君を家康に引き合はせ、「何が何んでも我が死後は家康の命令通り」といふことに遺言して置きさへすれば、如何に驕慢の淀君だからとて、秀吉の遺言に反くほどな理不尽の挙動に出で得ざりしなるべく、能く家康を尊重して其命のまにまに従ひ、豊臣家の安泰を期し得たらうと思はれる。

    kanototori
    kanototori 2023/02/23
    “「天意重夕陽。人間貴晩晴。」(天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ)”
  • 何事にも根柢が第一 | デジタル版「実験論語処世談」 / 渋沢栄一 | 公益財団法人渋沢栄一記念財団

    子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以為絢兮。何謂也。子曰。絵事後素。曰。礼後乎。子曰。起予者商也。始可与言詩已矣。【八佾第三】 (子夏問うて曰く、巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは何の謂ぞや。子曰く、絵の事は素より後にす。曰く、礼は後か。子曰く、予を起すものは商なり、始めて与に詩を言ふべきのみ。) この章句も礼に関したものであるが、巧笑倩たり以下絢たりまでの句は、逸詩と申して詩経に漏れて載らなかつた詩であるが、其意は、一たび笑へば其口元倩として忽ち万人を悩殺し、目元の美しく涼しいところは実に盼たるの美人でも、その微笑める口元とか或は又目元の美しい表情とかは抑〻末のこと、美貌の根柢になるものは生れついて持つたる明眸皓歯の天質である。これに粉黛衣服の絢を加へて茲に初めて美人の美人たるところが発揮せられるるものだといふにある。然るに、孔夫子の御弟子の子夏、即ち商は、「素以て絢を為す」の字句

    kanototori
    kanototori 2023/02/23
    “子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以為絢兮。何謂也。子曰。絵事後素。曰。礼後乎。子曰。起予者商也。始可与言詩已矣。【八佾第三】 ”
  • 電気B|渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団

    2019年3月29日作成 広島の豪商松清助は黒瀬川の水力を利用した電力事業を計画、渋沢栄一らの支援を受け1897年広島水力電気を設立しました。栄一は晩年まで同社の経営を支援しました。

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