その宮本常一は生涯に10万点の写真を残していて、私はそれを全部見ましたが、膨大な写真は「おまえにこの写真が読めるか」と問いかけていました。 ふつう「読む」と言うと、本や活字を思い浮かべますが、人間は他人の気持ちを読むし、危険を察知するのも読む力だし、目の前の風景から何かを感じとるのも読む力です。このことを宮本ほど身にしみて感じていた人はいないと思います。 宮本はこんな写真を残しています。昭和35年に佐渡島の北端に願という非常にひなびた漁村があって、そこの渚で撮った一枚の写真です。その写真には、浜に打ち上げられた大きな流木が写っています。たぶんそこを通った人は、だれ一人、流木なんかに目を向けなかったでしょう。 では、なぜ宮本は変哲のない流木にレンズを向けたのか。よく見ると、その流木の上には小さな石が載せてある。ある流木には三角の石が置かれ、別の流木には丸い石が置かれている。じつはこれらの石は