政治 普天間飛行場移設先「県外」が最高点 米軍、96年に比較2009年11月1日 普天間飛行場の嘉手納統合の影響試算 在日米軍作戦部(J3)が日米特別行動委員会(SACO)協議中の1996年7月、米軍普天間飛行場の嘉手納基地統合の調査研究の一環で、県外の自衛隊基地や米軍キャンプ・シュワブへの移設を含む4案を検討、航空機運用の観点から滑走路の長さや、駐機場の確保の優位性で県外基地を最高点と結論づけていたことが、琉球新報が入手した米軍による嘉手納統合案の技術評価書で31日までに分かった。 シュワブ移設案は次点で、伊江島補助飛行場と続き、嘉手納弾薬庫地区が最低点だった。ヘリコプターなどの航空機を運用する立場からは、県内移設にこだわらない姿勢が明らかになった。 評価書は最初に、嘉手納基地統合の可能性を検討。安全性や運用の問題点から嘉手納基地に統合すべきではないと結論づけた。 その上で、嘉手納
白燐弾は化学兵器禁止条約(CWC)のリストに載っていない為、化学兵器扱いされていません。特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の「焼夷兵器の使用の禁止又は制限に関する議定書(議定書Ⅲ)」でも定義上、煙幕弾として設計された白燐弾(M110、M825等)は焼夷効果が副次的と見なされ、焼夷兵器扱いされません。 この事はカテゴリ「白リン弾」で過去記事を読んで頂ければ分かりますが、一番古い記事(2005/11/17)の時点で紹介済みです。それなのにこの事について語る度に『白燐弾は無害だとでも言うのか!』とか『白燐弾に焼夷効果は無いとかトンデモがまかり通っている!』などと過剰反応を受ける事がありました。しかし、私の過去記事では白燐の化学毒性や白燐煙幕弾の副次的焼夷効果にちゃんと触れていますし、消印所沢氏の「軍事板常見問題FAQ」で特集されている◆◆◆白燐弾デマゴーグ関連でも同様の事には触れられています
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/middle_east/article5447590.ece 白リン弾の人体に対する影響に関して、白リンの酸化反応で生じる煙がほぼ無害である、という記述ばかりが日本語では目立つ。2005年にファルージャで米軍が白リン弾を利用したときに、それが化学兵器か焼夷兵器か、はたまた単なる煙幕弾なのか、ということで激しい議論がおきたため、こうしたことになっているらしい(なお、米国政府は当時「化学兵器ではなく焼夷兵器」としている)。たしかに、「煙幕弾」ないしは「発煙弾」、「照明弾」として白リン弾が使用されているという軍による「人道性」を説く解説を素直にうのみにする方々からすれば、煙の人体に対する影響こそが関心の的となるのかもしれない。しかしながら目下ガザ地区で行われているイスラエルによる白リン弾の投下は、幾多もある写
国内メディアは往々にして武力紛争を曖昧に報じ、読者の注意を散漫にすることに精を出します。12月28日付けの産経新聞(村上大介記者)と12月29日付の読売新聞(三井美奈記者)が書いた記事が、それにあたります。 通常、当サイトでは国内記事にリンクを張りません。それは、国内記事の多くは短期間で掲載されなくなり、記事が読めなくなるためです。しかし、今回は元記事を読むことが大事なので、重要なのでリンクを張っておきました。 産経新聞の村上記者は、冒頭で次のように書きました。 イスラエル軍はパレスチナのハマスが実効支配するガザ地区に対し、空前の大規模空爆に踏み切った。ガザからのロケット弾攻撃阻止だけでなく、2月のイスラエル総選挙前にハマスを可能な限り弱体化させておく狙いがあるとみられる。しかし、犠牲者が増えるほど、パレスチナ社会やアラブ世界でのハマスへの同情と支持は高まる。イスラエルの「戦略目標」は、い
J-CASTニュース : こんな凶悪犯相手でも 日本の警官は銃を使えないのか あの人混みの中で発砲しないというのは正しい判断なのに、発砲しろ!とか言っている人たちは、銃に関する話してもらいたくない! 人混みの中でも撃っているような刑事の出てくる映画などを見て、そんなことを言っているのだとしたら、まさに現実とフィクションの区別がついてない人たちだ。 また、動いている人に当てるというのは相当難しい。足を狙え!と周囲の人が言ったそうだが、それは相当銃に慣れた人間でもない限り、難しい。 「据物撃ちなら誰でもできる」 - 玄倉川の岸辺 それについて詳しく指摘した記事。ライフルだと全然状況が違って当たるらしい。 ピストルというのは3メートル離れたら当たらないものだ、みたいな話を聞いてはいたけど、それについて細かいデータがあった。 ニューヨーク市警の命中率から - 火薬と鋼 2ヤード(約1.8m)で38
無用の日。 最近いわゆるリベラル系のblogをあちこち読むようになってます。なんかいわゆる保守系とか右翼系よりしっくりくるので、やっぱ自分は根がリベラルだなと思う次第。しかしまあ、左右掲げている旗を問わず、セクショナリズムへの抵抗や対象への誠実さを維持していかねばならぬと思うのですが、まあ実際はそんなにうまくいかないだろうなあ、とか。なぜうまくいかないかというと、人間は自由かつ対等な間主体的コミュニケーションが困難な生物だし、複雑化した社会構造もまたそれを疎外しているということです。あー後者は疎外論っぽくていまどき古いですかそうですか。 ところで、ぼくの周りには右っぽい人も左っぽいひとも保守政党のれっきとした党員もパルタイの人もいるんだけど、不毛ないがみ合いをして党派主義に凝り固まる人はいない。きちんと話を聞いてくれるし議論になる。恵まれた環境だと思います。してみると党派主義の根源はやっぱ
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