日本の宗教というと、お葬式と法事くらいしか必要とされない、刺身のつまみたいなイメージで見ている人が多いようです。歳をとり、死を意識するようになると信仰に関心を持つ人も増えてきますが、一般に「静」のイメージがあります。 しかし古来、宗教がみんなそうだったわけではありません。現代では穏健な宗教と見られている浄土真宗は、蓮如の時代から戦国時代まで反幕府・反大名勢力として強い戦闘力を持ち、大名を滅ぼして地域の覇権を確立したこともあります。 織田信長ですら、浄土真宗には手を焼きました。現在の大阪城の位置にあった石山本願寺は織田軍の攻撃に11年耐え、信長は最後まで攻め落とすことはできず、和睦によって開城させるしかなかったのです。 ローマで神の祝福を受けたのは“大量殺人の指揮者” <宗教のあるところではどこでも、かならず善行が行われているのと同様に、宗教のないところでは悪が支配するものだと考えざるを得な
ソーシャルネットワークは「エコーチェンバー(共鳴室)」になる、つまり異質な人々と交流するというよりも、同質な人々と交流し、一定の思考回路を強化する役割を果たしてしまうのではないか?という懸念が強く主張されてきました。実際に震災後の日本を見ていると、様々な社会的イシューにおいて、この状況が顕著に見られるように感じます。では実際のところはどうなのか――Facebookから、同社のソーシャルネットワークを基にした興味深い研究結果が発表されています: ■ Rethinking Information Diversity in Networks (Facebook) Some claim that social networks act like echo chambers in which people only consume and share information from likemin
フレーミング 「自分の経済学」で幸福を切りとる 著者:タイラー・コーエン 販売元:日経BP社 (2011-07-21) 販売元:Amazon.co.jp ★★★★☆ 原題は”Create Your Own Economy”。この邦題は、私の原著への書評の影響だろうか。イノベーションを生み出すのは、既存のフレーミングを打ち破る「変人」である。元の記事を再掲しておこう。 著者は有名な経済ブログ、Marginal Revolutionの管理人。彼もインターネットの現状について怒るのは、「バカが多すぎる」ということだ。したがって今後のウェブの進化のフロンティアは、下らない情報を排除して必要な情報だけを見るしくみをつくることだろう。私が日常的に見るウェブサイトは、自分のブログと「アゴラ」以外は、RSSリーダー(20ぐらいしか登録してない)とグーグルニュースぐらいで、これで95%の用は足りる。著者も、
2011年07月01日10:34 カテゴリ本 自由主義と個人主義の間 昨今の混乱をきわめた政治を見ていると、日本人には合理的な意思決定は無理なのかなと思ってしまう。これは丸山眞男を初めとして近代の知識人が、くり返し問い続けたテーマである。従来の丸山論では、日本の特殊性を分析する彼の問題意識に賛同する者と、彼が理想化した(実在しない)西洋とひとリ芝居をしていたたけじゃないのという吉本隆明などの批判がある。 本書は、その西洋的理念に二つの要素があったことを指摘する。それは現代でいえば、フリードマンやハイエクのような明るい自由主義と、テイラーやグレイの批判する暗い個人主義の違いともいえようか。前者は論理によって学ぶことのできる普遍的真理で、日本人であっても一定の知性があれば身につけることができるが、後者は特殊キリスト教的な情念で、勉強で身につけることはできない。 西洋人は意識していないが、彼らの
日本人は、アメリカ人と比較すること、より個人主義的で、他人を信頼しないことが、山岸らの研究で明らかだ。このような自分勝手な民族が、和を重んじる社会を作り上げたのは、相互監視、相互規制によるものと言われる。つまり一度の過ちを厳しく罰する仕組み(いわゆる村八分)により、強い社会強制力によるものである。いわゆるムラ社会というやつだ。日本人が必死に空気を読む理由もここにある。 「日本人はすばらしい」と言われる所以となった日本人の大震災時の高い規範的行動は、相互監視、相互規制がうまく働いた例といえる。多くの人の目の前で、個人主義的な行動をとることにより、多くの人に批判されることを日本人は無意識に強く恐れる。また、ちょっとしたユーモアに「不謹慎」という言葉で総攻撃するのは、過ち(?)を厳しく罰する社会的な仕組み(村八分)が強くでていると見てよさそうだ。どんな理由、どんな心理にせよ、今回の惨事で日本人が
フェイスブックは、フェイスブック・コネクトを介して、複数のウェブサイトに渡るオンラインの存在を統合する試みを強力に推進している。大半のサイトは、フェイスブック・コネクトを介したログイン、またはコメントの投稿のみを認めているが、コンテンツの共有の仕組みに関する先日の改革により、ウェブの共有がかつてはプライベートであったスペースにまで進出した。しかし、その結果、フェイスブックのログインおよびコメントの統合は、信頼性に傷をつける可能性がある。 ステーィブ・チェイニー氏は、コネクトを採用するサイトでのすべての行動を配信する取り組みは、混雑したスペースに追いやられ、誰かに注目してもらうためには、完璧なメッセージを残さなければならなくなると指摘している: フェイスブックはもはや単なるソーシャルネットワークではない。映画が公開されるずっと前にソーシャルネットワークを卒業していた。フェイスブックは巨大なブ
アゴラでは色々なテーマを扱っていますが、過去の内容を振り返りますと「入試・就職・少子高齢化と人口減少(移民に加えて婚外子の少ない日本では、広義で結婚と関わりが強いため、必然的に結婚が入ります)」に関する内容の投稿やコメントが多い状況となっています。これらはある意味で、日本の社会システムの特徴と課題が凝縮されているものと言えますが、共通している内容は下記の点が挙げられます。 1)社会的な意味合いとして崩れかけていても、日本社会で依然として「入試・就職・結婚」が人生の一大転機になっている。 2)同様に入試・就職・結婚が、明治期以降の近代化の中から、社会階層が変化する大きな位置づけになっており、後の段階で挽回する機会はぐっと大変になる。 3)三者とも、本来はスタートラインにもかかわらず「その後に何かをする」より「肩書きやその事実」のほうが優先されやすい。 4)三者とも社会的な通過儀礼となっており
マルコム・グラッドウェルの苦言と岡田斗司夫の予言 2010年10月14日 IT社会カルチャーメディア コメント: トラックバック (0) フィードIT社会カルチャーメディア (これまでの yomoyomoの「情報共有の未来」はこちら) (なぜか邦題がコロコロ変わる)『ティッピング・ポイント』、『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』、(やはり邦題がアレな)『天才! 成功する人々の法則』などの著書で知られるベストセラー作家マルコム・グラッドウェルが今月はじめに The New Yorker に発表したエッセイ Small Change: Why the revolution will not be tweeted. は、海外のネット論壇で大きな反響を呼びました。 正直読む気を殺がれる長さなので、未読の人には ReadWriteWeb や Guardian の要約記事を読むことをまず
ITの「I」は「インフォメーション」の意味よりも、むしろ一人称の「I」(わたし)の意味合いが強くなっていることを、CIOは認識した方がよさそうだ。学生のソーシャルメディア利用についての調査報告を読み、そのことに思い至った。 この調査は米メリーランド大学のメディア・パブリックアジェンダ国際センター(ICMPA)が実施したもので、米国の大学生はソーシャルメディア中毒、すなわちBlackBerry、ノートPC、テレビ、iPod――特にiPod――に縛られている、と結論付けた。 たった24時間ソーシャルメディアと引き離されただけで、学生たちは麻薬中毒やアルコール依存症のような症状、具体的にはすさまじい欲求、強い不安感、極度のいら立ち、落ち込み、神経過敏、正気を失うなどの禁断症状を訴えた。近くにいる相手とさえつながりを断たれた気分になるとも訴え、特に、友達や家族とつながる主要手段としての携帯メール、
音楽も動画も書籍も、どんどんデジタルにシフトしている昨今。CDやDVDのための収納スペースはもちろん、本棚すら、家庭から消えてしまう日は、そう遠くないかもしれませんね...。そこでこちらでは、すでに究極のデジタルライフを実践している人々の例を、ご紹介しましょう。 英メディアBBCでは「21世紀のミニマリストたち」として、以下の3つの例を紹介しています。 1: 米ニューヨーク在住の22歳男性エンジニア 米ニューヨークブルックリンのマンションに暮らす、Kelly Suttonさんの所有物は、ラップトップPCとiPad、Amazon Kindle、外付けハードディスク2台と、いくつかの洋服、ベッドシーツのみ。その他のものは、自身が立ち上げた「CultofLess.com」で、売ったり、譲ったりしたそうです。iTunes、Hulu、Flickr、Facebook、Skype、Google Maps
★★★★☆(評者)池田信夫 これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 著者:マイケル・サンデル 販売元:早川書房 発売日:2010-05-22 クチコミを見る 鳩山内閣も総辞職は時間の問題になってきたようだが、鳩山首相の提唱した「いのちを守る政治」は、無内容な政治的スローガンとして歴史に残るだろう。彼が「市場原理主義」をきらう気持ちはわからなくもないが、それに対して「人間」とか「いのち」などというベタなヒューマニズムを対置したところで、市場原理を乗り超えられるはずもない。 本書はハーバード大学で最大の履修者を誇る、法哲学の講義をもとにしたものだ。哲学といっても「救命ボートで飢えて死にそうな3人が1人の肉を食べたことは有罪か」といった裁判をもとにして何が正義かを論じるもので、よくも悪くもアメリカ的だ。フランスのポストモダンのような哲学的な深みはないが、きわめて具体的でわか
最近、日本の地方を旅していて思うことは、「ここもまた、文明の中心であるはずだ」ということである。 都会と田舎、という時の見方が変わった。インターネットが登場することによって、日本のどこにいても、世界の文明の坩堝(crucible)の中に、身を投げ込むことが可能となった。 そのことに気付くということが、新時代に輝く上ではどうしても必要なことだと思う。 ハーバードのサンデル教授の「正義」に関する講義を、ネットで簡単に見ることができる。 http://www.justiceharvard.org/ インターネットの登場前だったら、ボストンに旅行して教室に潜るか、苦労して録画したビデオを手に入れなければならなかったろう。 しかし今は、直接つながることができる。そのことの重大な意味に、少しずつ多くの人が気付いていくだろう。 直接性(immediacy)が支配するということは、言い方を変えれば、媒介物
ラーメン二郎を「完食」して、その結果、思考能力を奪われたせいか、夜、めずらしく早く眠ってしまった。 (ラーメン二郎の顛末については、私のツイッターアカウントを参照ください) http://twitter.com/kenichiromogi 午前3時過ぎに目が覚めた。ラップトップで、BBCのネットにつなぐと、イギリスの政局について、生放送を見ることができた。 ちょうど、保守党と自由民主党の連立協議が大詰めに差し掛かり、劇的な変化が起きるところを、BBCの報道特別番組が時々刻々と報じている。 ゴードン・ブラウンがダウニング街10番の前に出てきて「辞任」を表明し、そのままジャガーに乗ってバッキンガム宮殿に行く。 エリザベス女王に辞任を申し出、対抗政党の保守党の党首に組閣を要請するのが適切であると助言する。 ゴードン・ブラウンは、バッキンガム宮殿を出た後、労働党本部に向かい、スタッフたちに感謝の言
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