インターネットの世界では、 提供者から消費者へ、また組織から個人へと、主役がシフトしていくと見られていた。少し前のWeb2.0時代までは、このような夢物語が現実味を帯びてきていた。個人が発するブログなどが闊歩した時代でもあり、少数派の意見でも注目されることが多かった。多様な意見が受け入れられるネット世界が定着するかのように思えたのだ。 ところがフェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアが本格化するに伴い、風向きが変わってきた。インターネットの特徴であった多様性が失われてきているというのだ。ここで紹介するPew Research Centerの調査結果でも、ソーシャルメディアでは多様な意見を交わすことが減り、「沈黙のスパイラル」現象に陥っているとまとめている。ソーシャルメディアにおいて、多くのユーザーは反論を交えて議論しようとせず、特定の意見やニュースに同調する傾向が強まっているとい
《『Voice』2014年6月号より》 「仲間とまったり」「イオンで買い物」 マイルド化する若者の消費を読む 荒れない成人式 斎藤 原田さんの『ヤンキー経済』(幻冬舎新書)を読んで、15年ぐらい前のことを思い出しました。当時、博報堂の『広告』という雑誌の仕事で原宿や渋谷の若者をサンプリングして、何回かインタビューをしていました。ある回で池袋に行って、多少ビクビクしながら若者のインタビューに臨んだわけです。 原田 ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』に出てくるような不良を思い浮かべて。 斎藤 そうです。ところが拍子抜けしたのは、チーマーたちの言葉がとにかく「地元愛」一色。池袋って、われわれから見たらもう都会ですよ。てっきり都会っ子かと思いきや、「渋谷には行きたくない」というわけです、行くのが疲れるから(笑)。要は地元の友だちとのつながりだけで、つるんで遊んでいたい。ほとんど半径数キロのきわめ
日頃より「興味深い記事がありましたのでシェアさせていただきます」という決意表明をされている皆様に一つどうしても確認させていただきたいことがありまして記事に。 なんでそんな決意表明をするのか全く私にはわからず、人間とはやはりわからないものに対する恐怖があり、この発言をする人たちがだんだん怖くなってきました。すごく怖いですが、その数は徐々に増えているように思います。 そもそもシェアしましたという報告ではなく、これからシェアしますという決意表明です。まだシェアしてないんです。どういうことでしょうか。 自分のフィールドならわかる 例えば・・・ これならわかる。 すごくわかる。ブログでも同じようなことが起こる。 面白いものを紹介する。そう、わかる。 Twitterでもよく見かける。 Google+ではこういうのしょっちゅうある。 Tumblrとかもう全部これなんじゃないのパクリすぎ。 LINEですら
オバマ大統領との首脳会談を受け、安倍総理はTPP(環太平洋経済連携協定)の早期妥結を指示しましたが日米協議は合意に至りませんでした。貿易自由化で既得権を奪われるひとたちが自民党の支持基盤になっているためでしょう。 その一方で、日本とオーストラリアのEPA(経済連携協定)では牛肉の関税を38.5%から23.5%に引き下げることが決まりました。これによってオーストラリア産牛肉も安くなるでしょうから、消費者にとっては朗報です。 ところが不思議なことに、「得する」ネタが大好きなはずの新聞やテレビは、「関税引き下げで家計が楽になる」とか、「TPPで米国産牛肉も安くしよう」などとはいっさいいわず、「畜産農家の経営への影響」を懸念しています。TPP問題では、多数派(消費者)のメリットはできるだけ小さく報じ、少数派(農家)の被害を強調するのが“正しい報道”とされているようです。 もっともこれは特別なことで
あなたはソーシャルゲームやスマホゲームをやったことがあるだろうか。一度やってみると、その中毒性の高さに驚くはずだ(写真1)。 その一例が、一定の時間でゲーム内のキャラクターの体力が回復する仕組み。本人の意思にかかわらずゲームを継続できなくなるものだが、ゲームができない間もゲームのことが気になるようになっている。 友だちと協力すると、自分にも友だちにもメリットがある“交流”の要素も、ゲームをやめられなくする要素の一つだ。それだけではなく、アイテムのコレクションや勝負、周りのユーザーからの評価や承認など、中毒性を高める仕組みやお金を使いたくなる仕組みが数多く存在する。 「自分がやりたいんじゃなくて、付き合いだから」 「ゲームをやらないと友だちから浮いちゃうからやるの。招待されたり、体力回復アイテムをおねだりされたりするし、無視するとやばい。LINEの新しいゲームが話題に出たらやらなきゃついてい
今年の成人の日は、所用があって、自転車で都内を走り回っていた。 サドルの上から街場の風景を眺めてみるに、成人式に振り袖を着る女子の数は、明らかに増加している。 理由のひとつは、振り袖の値段がリーズナブルになったかららしい。 たしかに、私が新成人だった当時は、和装一式の値段は数十万円が相場だった。 レンタルでさえ、着付けとコミで数万円は下らなかったはずだ。 それがいまは、50万円を超える値段のブツは、むしろ少数派になっているのだそうで、なるほど、そういう意味では、うちの国の経済と文化は、少しずつでも健全化しつつあるということのかもしれない。 そんなことより、前々から私が不思議に思っているのは、成人式に集まる新成人の出席率が、年々高まっているように見えることだ。 聞くところによると、記念品の贈呈が廃止され、式典に費やす予算を節約する自治体が増えているにもかかわらず、成人式への出席率は、平成に入
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