タグ

メキシコに関するko_iti301083のブックマーク (2)

  • タコスの歴史 - なぜタコスは日本で流行らないのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    メキシコの民族から世界のファストフードへ タコスべたことありますか? 「はい!」とまっすぐ手を挙げられる人ってそんなにいないんじゃないかと思います。ナチョスとか、トルティーヤとか、ブリトーとか、それっぽいものはべたことあるけど何をべたかあまりよく覚えていない、という人も多いんじゃないでしょうか。 まだまだ日人には馴染みの薄いべ物ですが、健康の人気が高まりでコーン100%グルテンフリーのべ物としてタコスに注目する人もいます。 いつか来るであろう「タコス・ブーム」の前に、タコスの歴史をまとめておきます。 1. タコスの原型 日では一般的には「タコス」と言われますが、アメリカやメキシコでは"taco(タコ)"と呼ばれます。 タコスは大きく分けると、ソフトタイプとハードタイプに分けられます。 ソフトタイプはとうもろこしの粉を溶かして焼いた柔らかいトルティーヤを使います。タコスの

    タコスの歴史 - なぜタコスは日本で流行らないのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 【大航海時代】新大陸メキシコに渡った日本人の記録 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    様々な形で太平洋を渡った名もなき日人たち 1639年に徳川家光が鎖国体制を完成させるまでの16世紀から17世紀前半までは、史上類を見ないほど日人の海外進出が盛んな時期でした。 ベトナムのホイアンやフィリピンのマニラなど東南アジア各地に日人町を作って商業活動を行う者もいれば、アユタヤの山田長政のように政治・軍事にまで介入する者、また末端では傭兵や奴隷としてポルトガル人やスペイン人の下で働く事例も数多くありました。 中には太平洋を超えて新大陸に渡ったり、大西洋を超えてヨーロッパに渡った事例もあります。 1. メキシコに連れて行かれた日人奴隷 太平洋の奴隷交易 1565年、フィリピンのマニラからメキシコのアカプルコを結ぶガレオン船の航路が開通し、メキシコからは大量の銀、マニラからは中国製の陶磁器や絹製品などが流通するようになりました。 モノと情報の流通が活発になると、それに吸い寄せられる

    【大航海時代】新大陸メキシコに渡った日本人の記録 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 1