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増田と家庭に関するkutakutatriangleのブックマーク (3)

  • 自分の人生を肯定することに疲れた

    幼い頃から、自分が生まれてきたことに負い目を感じてきた。それを克服できたと思っていたけれど、当は何一つ変わっていなかった。 両親は若い頃共に夢を追っていた。私が生まれたことでそれを叶えることが出来なくなった。もともと堅実な生活をする道から外れてきた人たちだから、私を養うことが難しく、常に家計は逼迫していた。両親は必死に働く中ですり減っていった。それが私のためにされていることだということは、幼い頃から言い聞かされてきたから分かっていた。私はいつもありがとうと言っていた。でも当は、その愛情が苦しかった。 私が生まれなかった人生だったら、二人は歌と絵で成功することができたかもしれない。芸術家として生きることができたかもしれない。その可能性を潰したのは私だ。だから、私なんていなければよかったのにと、いつも思っていた。そのことを口にしたことはない。口にしてしまえば、その愛情を裏切ってしまうから。

    自分の人生を肯定することに疲れた
    kutakutatriangle
    kutakutatriangle 2016/10/09
    「私にはまぶしかった」と書かれている段落共感した。まぶしい人に対して「私もそんな風に育っていたら自分自身のためにもっとエネルギー注げるのに」と思ったりすることある。
  • 親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係

    http://bokurasha.hatenablog.com/entry/2014/04/01/115953 受けた寂しさの、程度の差は相当あるけれど、 それでも私たちはそろそろ、母親を許しませんか? 母親から完全に離れて、一人の女性として見てあげませんか? 母親たちもまた、そのまた母親達と全く違う時代に生き、 私達と同じようにモデルケース不在の中、 手探りで、戸惑いなら、幸せを模索してきた女のひとり。 私達と同じ、「幸せ探し」に迷走した女のひとりです。 私たちはもう大人で、愛し愛される対象を自分で探すことができる。 勇気をもって母親の面影を優しく手放してあげましょうよ。 それが 「自己肯定」へのはじめの一歩であり、 「自分自身の人生」を生きることだと私は思います ※とりあえず改行うざいので若干詰めました。文字・文章等はいじってません。 結構ひどい母娘関係から脱出して今に至るんだが、これ

    親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係
  • 育ってきた家庭が機能不全家族だったと気づいた。

    どこかで言わないと、家族にぶつけてしまいそうなので吐き出し。 私の家庭が機能不全家族だった。 父は自分の事以外に無関心、癇癪もち。育児は母親に任せっきり。すぐイライラして、それを他人にぶつける。 母はなんでも自分で背負い込むタイプ。普通になりたいけど、普通になれないから苦しんでる。 人は自覚ないけど、母方の実家との関係がすごく共依存っぽい。 そんな家族だけど、私が思ったまんまを言うと怒られるので、このあたりは深く考えないようにしていた。 今も、こうやって文章にすることに少し抵抗がある。 ここからは私の話。 コミュニケーションを取るのが苦手だ。 「そんなに気を使わなくていいよ」ってよく言われる。 でも、そう言われてもどうしたらいいのかわからない。 実際に私が取った行動を思い出して考えたら、気遣いっていうより、自分のことしか考えてなかった。 それが全部口に出てたわけだから、先輩からみたらさぞ

    育ってきた家庭が機能不全家族だったと気づいた。
    kutakutatriangle
    kutakutatriangle 2012/08/12
    機能不全家族で育ったらそのこと自体には中々気づけないもんですよ、何かきっかけがないと。『家族』なんて言葉、ブラックボックスとしか言いようがないものですし。
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