久しぶりに人を好きになり、心に波立つ少しだけ上がった気分を、自分の中だけで味わい楽しんでいた。これ書いた時には。http://anond.hatelabo.jp/20150608214416 でもやばいな、というのが今の実感だ。 人を好きになるとやがて苦しくなるということを忘れていた、あまりに恋愛が久しぶりすぎて。 もうすでに苦しくなってきた。 そういうのが嫌でここ数年、自分のカラに閉じこもってきたんだった、そういえば。 どうしようか。
献血をしたことがない、という話をしたら、男友達に鬼の首を取ったかのように叩かれた 私は、39〜41キロをうろうろしているのでそもそも献血の対象になれないのだが 女は弱いとか言って人助けをしないとかなんとか言ってプンスカ怒っていた
この前、知り合いが「これまで淫夢語の元ネタを知らずによく使っていたけど、ふとしたことで元ネタを知ってびっくりした」と言っていた。 ……いや? 調べるだろ? すくなくとも、自分がいいなと思って使う場合は調べるだろ? 元ネタを? 文脈を? でないと怖くて使えやしないだろ? たいがいの流行語はググれば三秒でネタ元わかるし、忙しいからとかそういう問題でもないだろ? なんで調べないの? っていうか元ネタ知らないとおもしろいもクソもなかろうが? とそのときは心のなかで突っ込んだけど、気になって後で周囲のインターネット大好き人たちに聞いてみたら、むしろ俺のほうが少数派だったらしい。 「めんどくさい」 「どうせ調べても意味なくない?」 「そういう考えになったことなかったな」 うーん。 関係ないけど、「やめてめう」は流行り具合のわりには元ネタが調べにくくて苦労した。 炎上騒動が契機になって解説エントリをあげ
ネットで時々「無能な働き者」という言い回しを見る。 有能な働き者は役に立つ。有能な怠け者はうまくやる。無能な怠け者は役に立たないが放っておけばいい。しかし、無能な働き者は役に立たない癖にしゃしゃり出てきて他の人の足を引っ張るので、一番タチが悪い、ということらしい。 いま「無能な働き者」でググってみたところ22万件ヒットしたのだが、最初の数十件を見てみると、ほとんどすべて、「無能な働き者に対してどう対応すればいいのか」という趣旨のようだ。つまり、他人が「無能な働き者」である場合について書かれている。 自分が「無能な働き者」である場合は、どうしたらいいのだろうか。 なんでそんなことが気になるかというと、私自身がまさに「無能な働き者」だからだ。 ろくに仕事ができない。成果物の質はよくないし、時間がもかかる。判断したことはたいてい正しくない。みんなで議論しているところに悲観的な意見(のような何か)
小学生のとき、多分文集か何かだったと思うけれど、名前の由来や長所短所を書く親の欄に「長所・なし」と書かれたことがある。 母は私の長所が思い浮かばずにしばらく悩んでいて、どうしよう何を書こうと私に相談してきた。 何も思い浮かばないんだったらなしでいいんじゃないの?と言ったのは覚えてる。それもそれで面白いからいいや、と子供心に思ったのも覚えてる。 母は私の言葉通りに書き(え、ホントになしって書くんだと驚いたことも覚えているから、おそらく本当にそう書くとは思っていなかったのだろう。なんだかんだ言って最後には長所を書いてくれると思っていたのだろう)、それが文集になり皆の目にさらされるとは思っていなかったらしく、知らなかった「なし」と書くんじゃなかったと後から言っていた。 ああ、何も思い浮かばずに子供の言葉通り「なし」と書いたのに、それが文集にのると知ってたら違うことを書いたってこと?嘘を書いたって
長年連れ添った猫を亡くしてしまった。 どうしても離れたく無くて ダイヤモンドのピアスにしてもらった。 これでずっと一緒。
嫁がごはんにサラダ油をかけているのを目撃した。 サラダ油が最近やたらと減る。 風呂あがりに決まって減っているので、風呂に入ったふりをしてシャワー出したまま出てきた。 そしたら、嫁が俺のごはんにサラダ油をかけていた。 何やってんだよ。 と言ったら、 なんで見るのよ。 と怒られたから謝った。 俺は油ごはんを食っていたってことだ。 そりゃ太るわけだ。
83歳のうちのばあちゃんの話。みんなは83歳のおばあちゃんというとどんなのを想像するだろうか。 おそらくうちのばあちゃんはみんなの思い描く生活を送っていない。おそらく特殊だ。小さい頃にもう片方のおばあちゃんが死んでしまったため、今も生きているおばあちゃんの生態は常識だと思っていた。でもよくよく考えるとなんかおかしい。というかかなり変な気がする。世間のおばあちゃんも本当はこんな感じなんだろうか。誰か教えてくれ いまからばあちゃんの生態系について話していこうと思う。 ばあちゃんは毎朝6時前くらいに起きる。このへんは多分普通のおばあちゃんだとおもう。ただ、理由がいただけない。曰く、「朝アニメ枠を見逃さないために、生活リズムを崩してはならない。」早寝早起きのせいか健康すぎるくらい健康だ。というかそもそも朝のアニメ枠って小さい子供向けのアニメとか特撮じゃないのか…? 朝アニメを見ながら朝食を摂ったば
怪物が弱すぎる。 というか、人間が強すぎる。 ゲームなら仕方ないのだ。 「何やってもドラゴンに勝てません。近づく前に上空から超広範囲にブレス浴びて死にます」 じゃゲームが成立しない。 最初から剣が届く範囲を歩いていて、真正面からブレス喰らっても回復魔法で一瞬で全快する仕様でも仕方ない。 「モンスターの餌にされるんで、村とか街とかなんて作れません」 じゃゲームバランスが崩壊するから、ゴブリンだらけの所に村作るのもしょうがない。 しかし、そのシステムが普及しすぎたのか、 昨今のラノベだと「ドラゴンは剣で倒せて当たり前」「国があって町があって村があって当たり前」みたいな扱いになってしまっている。 いや、無理だろ普通。 剣と盾じゃ熊も倒せねえよ。 っつーか、全長数十メートルで空飛んで超火力のブレスをブッパするドラゴンって、 普通に考えればキングギドラだよ。 剣と盾持ってキングギドラと戦えるか? ド
うちの金魚は5歳である。名前はあるが、個魚情報なので一応伏せておく。うちにやって来たときには生まれていたから、正確な誕生日はわからないけれど、まあとにかく大体5歳である。金魚の年齢で5歳というと、まだまだ生きられそうに思えるが、実のところすでに寿命は近い。うちの金魚は金魚すくいでよく見かける赤いやつではなく、背ビレのない、背中が丸みを帯びているあの形である。たまにテレビに映る何十歳のでっかい老魚とちがって、このタイプは比較的るい弱だし、体もそこまで大きくはならない。ましてうちの子はあまり食べずに育ったから、年のわりに貫禄がなく子供っぽくみえる。 でも小さいくせしてなかなか骨の折れる魚生を送ってきた。うちの水槽に来た当初は2匹の仲間と一緒に泳いでいたが、いつか彼らはこの世を去り、今では大きすぎる住処に1匹で生活している。氷水みたいに冷たくなった冬の水中で、じっと身を縮めるところなどを見ると、
私は美容師(まだアシスタント)のくせに極度の人見知りで、 直そうと努力はしているけれど中々うまくいかない。 昨日オーナーのお客さまのシャンプーを担当した際、 「温度はいかがですか、痒いところはないですか」と聞くが 私の声が小さすぎるせいで「え?え?」と何度も聞き返される始末。 挙句の果てに返事がなくなり、(あぁ、無視された・・・。またやってしまった) と落ち込んでいたら、お客さま寝てた・・・。 最後お見送りのときに「君さ、」と言われて、(あぁ、何か言われる)と思ったら、 「シャンプーとっても気持ち良かったから寝ちゃってゴメンネ!」と言われて 「でもせっかくいいシャンプーの腕があるんだから、もっと明るく接客できるといいね。頑張ってね」と 優しく笑顔でアドバイスしてくださった。最近ミスばかりで落ち込んでいた私は、 お客さまの姿が見えなくなってから少し泣いてしまった。 その日最後のお客さまだった
起業家支援の仕事をしている。 行政か、金貸しか、コンサルかは秘密。 したたか酔っぱらって気持ちいいので世のため人のためになるけど、普段は絶対言わないことを書く。 今、僕のいる会社を含め世の中は、開業者を倍以上に増やそうとしているけど、この記事を読んでいる君がそれを少しでも考えているなら、 決して起業なんてしてはならない。 特に、今のベンチャーブームにのっかて起業しようと考えている人は絶対にやめたほうがいい。 それはなぜか?今ベンチャーブームに乗せられて起業を考えている人のレベルはたいてい中途半端だからだ。 三桁の起業家とそれ以上の数の起業家になりたい人たちと会ってきた、彼らは大体こんな具合に層別されている。 ①ハイエンド起業家 大抵が社会に適合できなさそうなギーク(IQ MENSAレベル 常人では理解できないスピードで思考するため単体では会話にならない)と、 その人間の言葉を翻訳するビジネ
そもそも喫茶店って客を落ち着かせるためにあるもんだろうがよ それがなんだあの格式ばってんのか安っぽいのかどっちつかずな内装は!ショートだトールだラージだなんてこっちはしらねーんだよ そもそも日本の喫茶店のスタイルがアメリカで成功して逆輸入したんだろあれ、それなのになんでアメリカナイズされてんだよ あんなとこで落ち着くのは落ち着いてるように見せたいおしゃれ貧乏だけなんだよ。マックブックエアーを開いてるやつらよーーーく観察してみろよ、何もしてねーぞあいつら 喫茶店てのはな、インスタントだか挽いてんだかわからないようなどっちつかずだけど妙に安心するコーヒーに砂糖をてきとうにいれて楽しむもんだろうがよ なんだキャラメル巻きアートって、そんなものは竹下通りのテナントで見世物としてやれよ あんなものに1000人も並ぶなんてまじでどうかしてるわ
かつてこんなにも私のクローゼットが素晴らしかったことはないと思った。 ここ2年間服装について私は試行錯誤を重ねた。 普通の女の子だったら10代後半くらいにくるのかも知れないそのビッグウエーブは、20代後半の私に訪れた。 それまで自分の服装というものは社会生活を送る上での必要最低限を満たすものでしかなかった。 オシャレをしようとかお化粧をしようとか積極的に考えたことはなかった。 もともとそれほど自分の容姿に自信があるほうではなく、所得賃金も低く、オタクだったり非常に忙しい仕事をしたり、 とにかくオシャレをしない理由は数え切れないほどあった。 きっかけはそのときの同僚の男の人に「もっと薄い色のほうがモテる」と言われたことだと思う。 それまでの私であればきっとそんな言葉は無視してたであろう。だがなぜかすとんときてしまった。たぶん、所得が大幅に改善したこともあるだろう。 私は次の日から服を買いに銀
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