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ブックマーク / diary.uedakeita.net (2)

  • ハトの配色は奇をてらいすぎ - 真顔日記

    去年の夏、河川敷に座って、鴨川の流れをながめていた。川というのは見飽きない。作為がないからである。周囲にはハトがたくさんいた。まじまじとハトを見た。ハトもまた見飽きない。やはり作為がないからである。 と、言いたいところだが、ハトを見て思ったのは、首まわりの配色が奇をてらいすぎだということだった。全身は地味な灰色なのに、首のあたりだけ、蛍光のパープルとグリーンがざっくりと塗りたくられている。これはかなり大胆な色使いだろう。企画会議なら非常に揉めそうなもの。けっこう長いこと見ていたが、いっこうに納得がいかなかった。 ハトというのは日常的な鳥だし、そこらの公園に行けば一山いくらでポッポポッポやっているから、ついつい普通のものだと思ってしまうが、あらためて観察すると、こんな妙な鳥はない。そもそも、この歩き方はなんなのか。一歩進むごとに頭を前後に動かしている。 どんなお調子者も五分で恥ずかしくなりそ

    ハトの配色は奇をてらいすぎ - 真顔日記
    minogozen
    minogozen 2018/01/03
    ハトについてここまで観ているんですね…
  • B'zの稲葉と同居しても自分は歌がうまいと思えるか? - 真顔日記

    今の家に住みはじめるまで、私は一人のネコ好きを自認していた。なんせ実家でもネコを飼っていたし、犬とならば迷わずネコを選ぶほどのネコ好きである。 しかし、三十一歳女性と同居するようになり、この女の圧倒的なまでのネコ好きぶり、というかネコ狂いと言ってもいいような日常を目にした瞬間、気軽に自分はネコが好きだと言えなくなった。 「好き」というのも相対的なものである。たとえば、あるアーティストのヒット曲をちらっと聞いて「好き」と言うのも、インディーズ時代から何十年と追っかけて「好き」と言うのも、言葉にするならば「好き」なわけである。 このズレから「古参ファンとにわかファン」のような揉め事も起こるんだろうが、その意味で言えば、私と同居人は、同じネコ好きでもレベルがぜんぜん違う。 そして圧倒的な存在と同居したとき、人は自分の半端さを思い知らされる。私はこの数年、もう気軽にネコ好きを自称できなくなってお

    B'zの稲葉と同居しても自分は歌がうまいと思えるか? - 真顔日記
    minogozen
    minogozen 2015/06/17
    稲葉さんの下りが書きたかっただけとしかww
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