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写真に関するmrbrownstoneのブックマーク (4)

  • 1970〜80年代、日本に来たロックスターたちのノスタルジックな記念写真 : カラパイア

    ビートルズが初来日したのは1966年のこと。日音楽シーンに、そしてロックキッズに大きな影響を与えたわけで、50年以上経った今でも鮮明に語り継がれている。その後、世界的ロックスターが次々に来日するようになったんだ。 日で何をするのかというとライブやコンサートをするんだけど、プライベートではどんな風なんだろう。1970〜80年代に撮影された、日滞在中のロックスターたちの姿を見てみよう。

    1970〜80年代、日本に来たロックスターたちのノスタルジックな記念写真 : カラパイア
  • 【画像】 「夢だった雪化粧の金閣寺が見れた!」 雪化粧した京都の美しさ : 痛いニュース(ノ∀`)

    【画像】 「夢だった雪化粧の金閣寺が見れた!」 雪化粧した京都の美しさ 1 名前: キドクラッチ(愛媛県)@\(^o^)/ [RO]:2017/01/16(月) 00:08:06.99 ID:eDehhAFg0.net 金閣寺から伏見稲荷まで。雪化粧した京都の美しさに息を飲む(画像集) じゃけん@絵里推し@gokurakucyo 京都に移って6年目。夢だった雪化粧の金閣寺が見れた!!! https://pbs.twimg.com/media/C2K9XFpUkAEqLBC.jpg http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/14/snow-kyoto_n_14176432.html じゃけん@絵里推し@gokurakucyo 京都に移って6年目。夢だった雪化粧の金閣寺が見れた!!! イセ川@3日目東t29b@_nanashina_ せっかくなんで雪の銀閣寺に行

    【画像】 「夢だった雪化粧の金閣寺が見れた!」 雪化粧した京都の美しさ : 痛いニュース(ノ∀`)
  • 17歳でこのセンス。スタンリー・キューブリックが撮った1946年のニューヨーク地下鉄内の光景 : カラパイア

    「時計じかけのオレンジ」、「シャイニング」、「2001年宇宙の旅」など、数々の名作を生み出した、映画界の鬼才、スタンリー・キューブリック監督は、幼少期をアメリカ、ニューヨークで過ごした。 少年時代、キューブリックの興味を引いたもの中にカメラ、チェス、ジャズがあり、特にカメラが彼の経歴の出発点となる。これらの写真はキューブリックが17歳だった頃、ニューヨークの地下鉄内を撮影したものだ。キューブリックのフィルターを通すと、地下鉄内がまるで映画のワンシーンのように見えてくる。 キューブリックはこのとき、アメリカの雑誌「Look」でカメラマンとして働いていたそうだ。2週間に渡り15000枚以上の写真を撮り、そのうちの129枚が採用されたという。Lookのカメラマンの中で最年少だったというキューブリック。だがその着眼点は素晴らしく、第二次戦争直後のアメリカ人の日常をロマンティックに、時に退廃的に写し

    17歳でこのセンス。スタンリー・キューブリックが撮った1946年のニューヨーク地下鉄内の光景 : カラパイア
  • 1980年代、ニューヨークの地下鉄が最も危険な公共機関だったころの写真 : カラパイア

    1969年、ニューヨークでは新たなる文化やコミュニティが発生し、とても栄えた時期だった。だが10年もすると街には凶悪犯罪がはびこり、希望は絶望へと変わっていった。 そして1980年代、中でも地下鉄は危険極まりないエリアとなっていた。そのすべてを警察がパトロールするにはあまりにも闇が深すぎた。ダークサイドに堕ちた地下鉄内は犯罪の温床となり、特に観光客や社会的弱者はスリや強盗のターゲットにされ、犯罪行為は日常茶飯事。にもかかわらず犯人が処罰されることは滅多になかった。 薄汚れ落書きが氾濫し、いつ襲われるかわからない場所であっても、地下鉄は人々の暮らしに必要不可欠な交通手段である。暗黒の地下交通網はそれでも毎日利用者を運び続けた。 当時22歳だったカメラマンのクリストファー・モリスは、荒廃した地下鉄内の撮影に情熱を燃やしていた。自らを危険にさらしながらも撮り続けたこれらの写真は、ついに認められ、

    1980年代、ニューヨークの地下鉄が最も危険な公共機関だったころの写真 : カラパイア
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