トンガで噴火が発生したのは15日(土)の日本時間の13時過ぎでした。気象衛星画像でも即座に巨大な傘状の噴煙が確認出来たことから、非常に規模の大きな噴火と判断ができたため、航空機向けの情報などが迅速に発信されました。 その約1時間後には、アメリカ領サモアで0.6mの潮位変化が観測されました。太平洋津波警報センターは「火山活動により津波が発生した」として、噴火から約1時間半後に当該地域に津波注意報を発表しています。 18時を過ぎると、ハワイでも津波が観測され始めます。これは通常の「海中を伝わる津波」として計算されたよりも2時間ほど早い到達でした。これを元に、19時43分に太平洋津波警報センターはハワイにも津波注意報を発表しました。事前に発信されていた「津波の脅威はない」という情報を打ち消す発表でした。 20時頃には日本でも気圧の変化や潮位変化が観測され始めます。21時台には本州の沿岸でも海面上
中国地方などの大雨を受け、広島県府中市が8日朝に出した避難指示などの情報が、東京都府中市にいた人の携帯電話に「緊急速報メール」として届くトラブルがあった。東京都府中市への取材で判明した。住民からの問い合わせを受け、同市はホームページで「避難情報は発令されておりません」と注意喚起した。 東京都府中市によると、誤ったメールが届…
料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 日本有数の巨大テーマパーク、千葉県浦安市の東京ディズニーリゾート。その従業員らが東日本大震災の日にとった行動が、後に「神対応」として称賛された。来園者の頭を守るため売り物のぬいぐるみを配ったり、シャンデリアの妖精を演じてゲストを安全な場所へ誘導したり。中でも有名なエピソードが、普段は決して見せてはならない「バックヤード(舞台裏)を通る1500人の避難計画」だった。あれから10年。その決断を下した担当者は異動を経て再び震災当時と同じ部署に配属されていた。彼が今語るのは「あの対応に間違いはなかった」という確かな自信と、10年前もこの先も変わらない「ゲスト(来園者)の安全最優先」というオリエンタルランドの信念だった。 (デジタル編集部・山崎恵) まだ肌寒さの残る2011年3月11日。東京ディ
24年経っても、多くの神戸っ子にとって1月17日は特別な日だ。 もっとも私は、当時小学2年生だったし、被害の軽い神戸市西区に住んでいたので、深い思い出はない。震災当日も呑気に幼馴染と学校へ向かっていたところ、電気が止まってつかなくなった信号のもとで交通整理をしていた教師に「何やっとんねん!はよ帰れ!」と追い返されたくらいだ。延々と続く安否情報に飽き飽きしながらも、少しでも明るく振る舞おうとしてくれた大人たちの姿はぼんやりと記憶に残っている。まだ当時は、本当の苦労は知らなかったのだ。 震災のことに関して、むしろ記憶に残っているのは、高校生の時分にインターンシップという名目で遊びに行っていた会社で受け取った「災害対応マニュアル」と書かれた小さな冊子のことだ。 地場のシステム屋が、リクルーティングと宣伝を兼ね社長の気まぐれで夏休みの期間に始めたものだったが、初日に「手の空いたときにでも読んでおい
9月4日、非常に強い勢力を保ったまま、大阪を中心として近畿地方に上陸し、各地に大きな被害をもたらした台風21号。中でも大きなダメージを受けたのが、大阪府泉佐野市の海上に浮かぶ関西国際空港だ。 非常に強い風の影響で防潮堤を乗り越えた高潮によって、主力である第1ターミナルのほぼ全域が冠水。停電も発生した。近くに停泊していたタンカーが流されて連絡橋にぶつかり、自動車専用道路が大きくずれたほか、鉄道の線路も損傷した影響で、大勢の利用客が空港内に取り残される事態となり、空港の機能が一時は完全に停止してしまった。 関空は台風上陸から3日後の9月7日(金)には、損傷の少なかった第2ターミナルとB滑走路を使って運航を再開した。同空港を拠点とするLCC(格安航空会社)のピーチ・アビエーションは9月10日(月)時点で同空港発着の33便のうち32便を運航。全日本空輸(ANA)は上海便、日本航空(JAL)は羽田便
国の対策プランでは、7日のB滑走路運用再開によるピーチ・アビエーション(APJ/MM)の国内線一部再開、8日の国際線一部再開などに続き、9月中旬を目途に冠水したA滑走路の暫定運用開始を目指す。 また、復旧までの代替空港として、伊丹や神戸への国際線と国内線の振り替えを検討している。 タンカー衝突で損傷を受けた連絡橋については、道路は7日午前5時10分から対面通行に切り替え、鉄道もおおむね4週間で運行再開を目指す。 「できない理由しか挙がってこない」 関空の2017年度の国際線旅客数は、前年度比14%増の2190万1061人と、6年連続で過去最高を更新し、開港以来の年度合計として初めて2000万人を突破した。訪日客も、21%増の1500万6132人で6年連続で前年度を上回り、4年連続で日本人客を上回った。 首都圏よりアジアに近く、国内外のLCCが数多く就航する関空は、2020年に年間訪日客数4
その朝、衝撃的な映像がテレビに映し出されました。広島の上空を飛ぶヘリコプターがとらえた泥水で覆われた街です。 「4年前の土砂災害の悲劇がまた繰り返されたのか」 「みんな避難できたのだろうか」 同時に前の日の夜、私たちがあちこちで目にした光景を思い出しました。自宅に帰る途中で起きていた激しい渋滞です。その意味を考えました。(広島放送局記者・秦康恵・大石理恵) 前日の6日朝。4年前に土砂災害に見舞われた広島市安佐南区に住む私・大石は、ふだんどおり、小学生の長男と朝食をとっていました。いつもと違ったのは、大雨警報が出て長男の学校が休校になったこと。「学校に行けなくて退屈だ」とぼやく長男を母に預けて出勤しました。 この記事を書いているもう1人の私・秦は、今回大きな被害が出た呉市に住んでいます。隣接する広島市に電車で通学する中学3年の長女を早朝に送り出した後、次女を母に、3歳の長男を保育園に預け、「
申し訳ございませんが、お探しのページまたはファイルが存在いたしません。 ご指定のページは、移動または削除されたなどの理由で、表示することができません。 お手数をおかけいたしますが、トップページから目的のページをお探しいただくか、サイトマップをご利用ください。 JR北海道ホームページ(https://www.jrhokkaido.co.jp/) Thank you for visiting our website. We are sorry, the page or file you've requested could not be found. For your requested page, please search from our homepage or site map.
驚きの内容。勝見貴弘氏による詳細な解説連ツイをまとめました。米国連邦議会図書館資料から読み解く(注:完全翻訳ではありません)3.11時の政府の対応の足跡。当時の菅直人政権がどのような措置をとりながら災害対策に奔走していたか、またそれらの活動が(復興庁HPはじめ日本政府が現在も公表中の資料の中にあるにもかかわらず)なぜ我々のもとに正しく伝わってこなかったのか、色々と見えてくるものがあると思います。 ※当まとめの続編「【コラム】国難級の災害に接して迅速に激甚災害指定することの意義 #熊本地震 #激甚災害 #被災地支援」にきましても是非ご覧下さい(こちらは勝見氏ご本人のまとめになります)。 togetter.com/li/964202 続きを読む
熊本地震における、被災者支援のありかたが問われるなか、静岡県が2007年に開発した避難所運営ゲーム「HUG」が注目を集めています。 パッケージはマニュアルと4組のカードセット、ゲーム進行用のPowerPointデータが入ったCDから構成(画像は静岡県地震防災センターより) 「HUG」は、ボードゲームを通じて避難所の運営ノウハウを学べるツール。名前は「避難所」「運営」「ゲーム」の頭文字から取られており、「避難者を優しく受け入れる(ハグする)」という意味合いも。これまで各地域の自治体や町内会において、防災の講習会に活用されています。 静岡第一テレビで報じられた、静岡市駿河区での「HUG」による防災への取り組み(以下、画像は動画より引用) ゲームは6人以内で編成された、数グループでプレイ。避難所の受付に相当する読み上げ係が、250枚のカードを順に読み、プレイヤーはその指示に従って避難所マップにカ
佐藤一男 @kajyuon 東日本の教訓を生かしてください。 ①二次防災に努めてください。 九州での地震は今も頻発しています。 少しでも傾いた建物には入らないでください。 生き残った命を大切にしてください。 (東日本では一ヵ月後にも本震に近いサイズの地震が発生しました。) 2016-04-18 09:51:31 佐藤一男 @kajyuon 東日本の教訓を生かしてください。 ② 消防・救急・警察・ライフライン復旧の車両への燃料の優先供給にご協力ください。 (東日本ではガソリンスタンドで燃料が順調に供給されるようになったのは一ヶ月以上先でした) 2016-04-18 09:53:04 佐藤一男 @kajyuon 東日本の教訓を生かしてください。 ③ 避難所での長期生活に備えてください。 支えてもらいながら同時に支えあってください。 物資の奪い合いが起きると精神的に疲弊します。 少ない物資でも「
多田です。 2014.8/20の未明に起きた広島市豪雨災害で、たくさんの方々が被害にあわれ、命を落としていらっしゃいます。いまだに行方不明の方々がたくさんいらっしゃり、消防・警察・自衛隊・近隣の方々などにより、救助活動が継続されております。 当院救急科として、今回の災害へどのように対応したかの詳細については、また院内もしくは圏域などで検討したいと思います。 今日は、当日当直医で初動を経験した自分の備忘録として、対応の概要を記します。 自分の記憶の中での時間軸で、正確な時間の確認はできていませんので、ご了承ください。 --------------------- 2014.8.19は朝からの晴天で、いたって普通の日勤帯を過ごしました。 当直の時間帯となり、当科で研修終了後の研修医、S先生と進路について話しながら準夜帯を過ごしましたが、日付が変わる前頃より、大雨と雷が救命救急センターからも確認で
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