ウィリアム・クラインは生涯を通じて、いいタイミングでいい場所にいたと言えそうだ。例えば、亡き妻ジャンヌとの出会いは、彼がニューヨークからパリに到着したその日だった。彼がちょうど画家のフェルナン・レジェに弟子入りしたとき、レジェはそれまでの画廊システムの外で活躍するように弟子たちに勧めていた時期でもあった。 そして1952年には、イタリアの建築家がたまたま展覧会でクラインの作品を発見。インテリアとして使用するためにいくつかの作品を依頼。そんなときにクラインは写真と出会い、当初は抽象的な作品を追求するためにカメラというメディアを使った。しかし、ここで彼が習得したのは、後に「グリッチの美学」とも呼ばれる独特な技法だ。