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自由と科学に関するomega314のブックマーク (2)

  • 表現悪影響論・表現規制論に対抗するための『理論武装』~その科学的根拠~|手嶋海嶺

    ゆっくりしていってね!!!! 今回の記事では、タイトルに書いたように 表現悪影響論・表現規制論を徹底的に批判するわ。 また、「表現の自由」側の主張の根拠として、特に重要性の高い論文を紹介&解説させていただいたわ。 もちろん、海外の査読付き学術誌に掲載された論文から選定したし、さらに複数の総説論文を参照してチェック、「一部の変な研究者に支持されているだけじゃないの?」という疑念まで解消した安心設計よ! 表現に関する議論に役立つ、強力な『理論武装』の一助になるはず! 【2022年1月13日追記】 こちらのnote記事に対し、次の批判記事が公開されました。 私のnote記事を「これから読む」という方は、まずは上記の記事を読まれることを強く推奨致します。(誤った部分を修正したとしても、表現規制反対の論に不利な方向の変更とならない点は幸いでした。) なお、私の記事に含まれる誤った記述に関しては、一

    表現悪影響論・表現規制論に対抗するための『理論武装』~その科学的根拠~|手嶋海嶺
  • 自由意志 | 科学的世界観のblog

    記述の便宜として、【 世界(客観・客体)=Ⅹ 】、【 私(主観・主体)=Y 】とします。 自由意志という場合、少なくとも二つ以上の複数の選択肢があり、そのどれかを自分の判断と責任で任意に選べる、ということが必要だと思います。何らかの法則等によって決定されている場合、そういうことはありえません。私が世界Xの一部であって法則がXを操るとするならば、私は客観世界の法則に縛られています。したがってこの場合には、法則から自由であることが自由の最低条件だと考えます。法則に従う現象に自由がないのは明白です。それは法則に従うのです。Xにおいては、人間も現象です。そう考えるなら、人間は決してXから自由にはなれない、というのが私の意見です。人間も現象としては自由がありません。それは法則に従うのです。客観世界のみを実在と考えるなら、自由意志は幻想です。私は、「客観的な自由(自然現象としての自由)」は、無い、と考

    自由意志 | 科学的世界観のblog
    omega314
    omega314 2011/05/04
    『客観Xから見れば、「私」は、法則に従う客観現象に、自由という「幻想」あるいは「仮想現実」を感じているということになります。~(略)~客観現象に自由がなくても、「私」の自由には何の影響も与えません。』
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