【読売新聞】 人口減少が進む中、都市機能を集約して行政機能を効率化する「コンパクトシティー」構想を進めるための「立地適正化計画制度」が導入されてから今年で10年となる。500以上の自治体が計画を策定しているが、その効果は見えにくい。
タグ検索の該当結果が少ないため、タイトル検索結果を表示しています。
人口減時代に必要なコンパクトシティーづくりが進まない。日本経済新聞が直近の国勢調査を分析したところ、郊外の宅地開発が止まらず、2015年までの10年間で大阪府の面積に迫る居住地区が生まれたことがわかった。かたや都心部では空き家増加などで人口密度が薄まっている。無秩序な都市拡散を防がなければ、行政コストは膨れ上がる。 居住地が郊外に散らばるとインフラや行政サービスの新設コストが増す。人口減や高齢化で将来の税収が減ると過剰ストックの維持費だけがかさむようになる。このため、多くの自治体が市街地に都市機能や住宅を集約するコンパクトシティー計画を掲げるが、実行力が乏しいとの指摘が専門家から相次いでいる。その実態を探るため、全国の人口動態を調べた。手掛かりは国勢調査だ。国勢調査は国土を約500メートル四方(メッシュ)で区切り、個別地区の人口を地理情報とともに集計している。日経新聞は住民が50人以上とな
著: ミニマリストしぶ(澁谷直人) 僕がミニマリストになった街 福岡市、姪浜(めいのはま)。僕がミニマリストに憧れてモノを減らし、初めて一人暮らしを始めた街。と同時に、母子家庭の家族3人で住んでいた街でもある。そんな姪浜の実家を抜けて、僕は実家から徒歩5分のワンルームマンションを借りた。ワクワクの一人暮らしデビューを同じ地元でスタートするほどに、姪浜は居心地のよい街だった。 福岡市地下鉄「空港線」の最も端に位置する姪浜は、都心部である博多や天神から離れていることもあり、ファミリー世帯が多いエリアである。「最も端で都心部から離れている」とはいっても、コンパクトシティといわれる福岡市。地下鉄で天神までは約15分、博多まで約20分とそう離れているわけでもない。 中心部より家賃も安く、スーパーやディスカウントストアが多い。市内唯一の大型アウトレットモール「マリノアシティ」もある。釣りやバーベキュー
コンパクトシティという言葉を聞いたことはあるでしょうか。この言葉、拡がりすぎた都市を「ぎゅっ」とする考え方で、今から20年ほど前に「これからの日本の都市はコンパクトシティを目指すべきだ」ということが国土交通省や一部の先進的な自治体の中で言われ始めました。1970年代のイギリスで、ダンツィクとサアティという数理的なプランニングを指向する人たちが言い出した言葉ではあるのですが、そのままの意味では使われておらず、日本においてもこの20年間あれこれと解釈が加えられています。 私も「使えるかな?」と、実験的な気持ちで(=粋がって)この言葉を20年ほど前にある都市で使ったことがあるのですが、その時はすぐに使われなくなるかなと内心思っていたのですが、結果的には人口に膾炙され、たくさんの政策がこの言葉に紐づけられてしまいました。もう日本語と言ってもいいほどの言葉になったと思います。2014年には「立地適正
JR青森駅前の大型ビル「アウガ」から少し離れた通りは空き店舗が並ぶシャッター通りとなっていた=青森市で2023年8月11日 色とりどりの洋服やユニークな雑貨が並んでいたテナントスペースは消え、職員が淡々と市民に応対する窓口になっていた――。 昨年8月、JR青森駅(青森市)の目の前にある地上9階建ての大型ビル「アウガ」を、私は6年ぶりに訪ねた。かつて若者たちでにぎわった商業ビルは、無機質な市役所にリニューアルされていた。 アウガの前で駐車していたタクシー運転手の男性(69)は「アウガが破綻したときに比べれば、多少人通りは良くなったけど、どうせまた人も減っていくんでは」と吐露する。「行政に振り回されてきた街で、年々人口が減るのに、再開発ばかり進めてもまいねびょん(だめだよね)」 アウガは2001年にオープン。青果・鮮魚市場や市立図書館などが入った官民複合の再開発ビルで、「コンパクトシティー」構
商業施設や住宅を中心部に集約させる「コンパクトシティー」構想は、疲弊する地方都市の「切り札」として、約30年間にわたり期待されてきた。だが、いまだに明確な成功事例を築くことができていない。実際に街を歩き、「失敗の本質」を探った。 この原稿は計3回の連載です。 コンパクトシティー30年 失敗の本質は/上(本記事) 国のコンパクトシティー政策チグハグ 郊外開発も推進/下 別稿 コンパクトシティー 次世代路面電車に活路も 色とりどりの洋服やユニークな雑貨が並んでいたテナントスペースは消え、職員が淡々と市民に応対する窓口になっていた――。 私は2011~17年、初任地の青森支局で勤務した。今年8月10日、JR青森駅の目の前にある地上9階建ての大型ビル「アウガ」を6年ぶりに訪ねると、若者たちでにぎわったかつての商業ビルは、無機質な市役所にリニューアルされていた。 アウガは01年にオープン。地下に青果
日本中の地方自治体にとって、高齢化と人口減少を踏まえたまちづくりは大きな課題のひとつだ。そのなかでも、英誌「エコノミスト」は富山市に注目。同市の30年先を見据えた都市計画とは、いったいどんなものなのだろうか? 小さくて高密度の、車に依存しない都市を目指して 東京から北西に250キロ、紺碧の湾と雪を頂く峰々の狭間に富山市はある。ここは多くの点で、日本の地方都市の典型的な一例といえる。 住民は高齢化し、産業は安定しているが硬直化もしている。しかし料理は素晴らしい。第二次大戦中には、鉄工所を狙ったアメリカ軍の焼夷弾が街の中心部の99%を焼き払ったが、その後の人口増加に伴い、富山市は迅速に再建・拡大していった。 しかし、それも今は昔。人口41万4千人(今も減少中)の同市は、1990年代以来、高齢化に伴う課題と闘ってきた。すなわち、膨れ上がる支出、減り続ける税収、そして時代遅れの都市計画である。 し
バスや鉄道運転士の残業規制が4月から強化され、運転士不足をさらに加速させると見られる。地方自治体が目指すコンパクトシティの実現もピンチに陥りそうだ。 バスや鉄道運転士の残業規制が4月から強化され、運転士不足をさらに加速させると見られる。地方自治体が目指すコンパクトシティ(交通、商業、医療、教育、行政などの機能を都市中心部に集中させる概念)の実現もピンチに陥りそうだ。愛媛県の松山市駅を発車した伊予鉄道高浜線の電車が3両編成で松山市内を走る。ビルに囲まれた市中心部を抜けると、沿線の風景が住宅街に変わってきた。やがて山口県行きのフェリーが発着する三津浜港と三津駅が見えてくる。松山市北西部の拠点となる地域だ。 この辺りは古くから港町として栄え、明治時代に書かれた夏目漱石の小説「坊っちゃん」にも登場する。当時は独立した三津浜町だったが、太平洋戦争直前の1940(昭和15)年、松山市に編入された。以来
商業施設や住宅を中心部に集約させる「コンパクトシティー」構想は、疲弊する地方都市の「切り札」として、約30年間にわたり期待されてきた。だが、いまだに明確な成功事例を築くことができていない。実際に街を歩き、「失敗の本質」を探った。 この原稿は計3回の連載です。 コンパクトシティー30年 失敗の本質は/上 国のコンパクトシティー政策チグハグ 郊外開発も推進/下(本記事) 別稿 コンパクトシティー 次世代路面電車に活路も チグハグな対応 中心地の活性化を掲げる一方で、郊外開発を認める国のチグハグな対応も、制度を骨抜きにした。中心市街地活性化法と同じ1998年には自治体に「特別用途地区」での土地利用の規制緩和を認める「改正都市計画法」、2000年には大型店の出店規制を緩和する「大規模小売店舗立地法」が施行され、大型店の郊外進出が進んだ。 中心地の衰退は続き、国は06年に「まちづくり3法」を改正し、
岡山県津山市の作陽高校が、生徒の確保が難しいとして4月から倉敷市へ移転した。津山市はかつてコンパクトシティの先進地ともてはやされたが、何があったのだろうか。 岡山県津山市の作陽高校が、生徒の確保が難しいとして4月から倉敷市へ移転した。津山市はかつてコンパクトシティ(交通、商業、医療、教育、行政などの機能を都市中心部に集約する概念)の先進地ともてはやされたが、何があったのだろうか。 吉井川沿いの小高い丘にあるレンガ色の校舎は窓が閉じられ、白いカーテンが引かれている。なかに人の気配は感じられない。岡山県北部の中心都市・津山市の作陽高校。昭和初期の1930(昭和5)年に創設された私立高校だが、4月から県南部の倉敷市に移転し、作陽学園高校の新名称で再スタートを切った。 作陽高校は難関国立大学に進学する生徒を輩出する一方、スポーツや文化活動で有名だった。プロゴルファーの渋野日向子さんや俳優のオダギリ
初めに 以前に青森市のコンパクトシティ構想が失敗したことについて、書いた記事がありました。このコンパクトシティ政策とそれに反する居住地膨張が全国的な問題になっていることを知り、興味を持ちました。 初めに 居住地が拡大することの問題 日本人の新築嗜好 何故問題が生じるのか 過去記事 vdata.nikkei.com 居住地が拡大することの問題 まず居住地が拡大することの問題点ですが、青森市の事例でも取り上げたように最大の問題はインフラや行政サービスのコスト増加です。 青森市の場合は冬季の除雪エリアの拡大が行政の財政を圧迫するという点が一番わかりやすい例でした。しかし、今回のサイトで紹介されていた都市は雪の心配のないつくば市、広島市、茨木市(大阪府)、大阪市です。当然の事ならがインフラや行政サービスは除雪に限定されず、学校などの教育、水道、電気、ガスなどのライフラインがあります。新たに人が住み
▽先日、自動ブレーキについての記事を書いた。1つ付け足すとすると、便利になることが必ずしも最善ではないということだ。以前、ライターが規制されたことがある。本来は簡単に火を点けることが一番の目的なのだけど、それだと子供でも簡単に扱えてしまう。そして重大な事故が起き、ライターは規制され非常に固くなった、もしくは点けにくくなった。 そう考えるとクルマというのも子供であってもオートマ車であればアクセルを踏むだけでいいので走らせることは出来てしまう。そこで先日の話に戻るけどマニュアル車の登場だ。簡単に操作できないということはやはり危険防止に繋がる。人間は不便を受け入れることはできるのか。 あかしあ台のスーパー閉店へ 「買い物弱者」の対策急務 三田 https://www.kobe-np.co.jp/news/sanda/201912/0012938944.shtml こちら兵庫県のニュータウンでの話
人口減少や少子高齢化に悩む地方自治体が、徒歩で移動できる都市の中心部に住宅や商業施設、行政機関などを集積させようという「コンパクトシティ」構造。国も支援に乗り出して注目されてきたが、どうも成功事例が見当たらない。神戸国際大学経済学部教授の中村智彦氏が、早くからコンパクトシティを目指しながらも頓挫した「青森市」の現状をレポートする。 * * * 一世を風靡した「コンパクトシティ」構想だが、その後、評判は芳しくない。特に先進地として名を馳せ、多くの人が視察に行われた青森市は、すっかり「失敗事例」の烙印を押されてしまった感がある。青森市の今はどうなっているのだろうか。 ◆青森市のコンパクトシティを目指した「3つの問題」 青森市がコンパクトシティという発想を「青森市都市計画マスタープラン」に盛り込んだのは、1999年。まだ、地方の人口減少問題があまり着目されていない時期だった。しかし、青森市ではす
元増田です。追記がてら書いておくと、 コンパクトシティーはまさに自分が思ってることで、山間部の50km圏内に500人300世帯みたいなコミュニティなら その点在してるの全部まとめて中心部に団地作って病院やらスーパーやら作ってハイどうぞで爆安家賃で住まわせたら良い と思うんだよな クソ田舎に水道や郵便、そもそも道路、電気などのインフラを維持するコストかけるぐらいなら全部なくして 中心部に馬鹿でかい箱物作ってそこでみんなで幸せに暮らそうぜの思想 もちろん、住み慣れた我が家、我が地域が良いのはすごくわかる。だから本当にそこに住みたい人は住めば良い 自給自足で。宅配、郵便は週1、生協は来ない、電気はない(ソーラーと蓄電池で頑張れ)、水道は井戸、インターネットは無線で勘弁してやる これで住みたいなら住んだら良い。嫌なら中心部で団地。アメリカの西部みたいなもんよ この選択は、もしかしたらこの先20年後
人口減少や少子高齢化に悩む地方自治体が、徒歩で移動できる都市の中心部に住宅や商業施設、行政機関などを集積させようという「コンパクトシティ」構造。国も支援に乗り出して注目されてきたが、どうも成功事例が見当たらない。神戸国際大学経済学部教授の中村智彦氏が、早くからコンパクトシティを目指しながらも頓挫した「青森市」の現状をレポートする。 【写真】青森市の施設になった再開発ビル * * * 一世を風靡した「コンパクトシティ」構想だが、その後、評判は芳しくない。特に先進地として名を馳せ、多くの人が視察に行われた青森市は、すっかり「失敗事例」の烙印を押されてしまった感がある。青森市の今はどうなっているのだろうか。
岡山県津山市の作陽高校が、生徒の確保が難しいとして4月から倉敷市へ移転した。津山市はかつてコンパクトシティ(交通、商業、医療、教育、行政などの機能を都市中心部に集約する概念)の先進地ともてはやされたが、何があったのだろうか。 【画像】えっ…! これが津山市の「人口減少率」です(7枚) 吉井川沿いの小高い丘にあるレンガ色の校舎は窓が閉じられ、白いカーテンが引かれている。なかに人の気配は感じられない。岡山県北部の中心都市・津山市の作陽高校。昭和初期の1930(昭和5)年に創設された私立高校だが、4月から県南部の倉敷市に移転し、作陽学園高校の新名称で再スタートを切った。 作陽高校は難関国立大学に進学する生徒を輩出する一方、スポーツや文化活動で有名だった。プロゴルファーの渋野日向子さんや俳優のオダギリジョーさんらがOBに名を連ねる。学年の定員は240人。最近は定員割れが続いたが、それでも毎年400
チャンネル登録、高評価をお願いします。https://youtube.com/c/PIVOT公式チャンネル <目次> 00:00 ダイジェスト 00:44 無印良品出店問題の論点整理 12:17 地方政治がなぜブラックボックス化するのか? 18:29 公共施設の削減は必須 28:47 限界集落を受け入れよ 36:31 政治のエンタメ化が必要 <ゲスト> 石丸伸二|安芸高田市長 1982年広島県安芸高田市生まれ。2006年京都大学卒業後、三菱UFJ銀行で経済を分析・予測するアナリストを務める。4年半ニューヨークに駐在し、アメリカ大陸の主要9ヵ国を担当。2020年8月より現職。 唎酒師、剛柔流空手道初段、トライアスリート。 ▼全動画アプリで無料公開中 https://app.adjust.com/13qntq67?redirect=https%3A%2F%2Fpivotmedia.pag
東日本大震災は、地方における「人々の暮らし方」にも大きな変化をもたらした。震災後注目を集めたのが、安全な場所に皆で集まって暮らす「コンパクトシティー」計画だ。高齢化対策でもメリットがあるとされた新しい「街づくり」はその後、順調に進んだのか。 にぎわいの中心は、2017年4月、旧市街地より10mほどかさ上げされた街の中央にオープンした大型商業施設「アバッセたかた」だ。スーパーマーケットやドラッグストアのほか、書店やカフェ、化粧品店など約20の店や施設などがある。併設する市立図書館にも地元の学生や住民らが多数訪れており、年間の来場者数はのべ120万人いる。 「オープン以来、来場者数は安定し商業施設も埋まっている」。こう話すのは、書籍・文具を販売する伊東文具店を運営し、地元商工会の会長も務める伊東孝氏だ。 震災前には5つの商店街がばらばらに点在。人の流れが分散し、地域全体の高齢化もあっていずれも
中心部のにぎわい偏重から、多極的な街づくりへ。国の路線変更に影響を与えたとされるのが、公共交通を活用してコンパクトシティーを目指す富山市の取り組みだ。 この原稿は計3回の連載です。 コンパクトシティー30年 失敗の本質は/上 国のコンパクトシティー政策チグハグ 郊外開発も推進/下 別稿 コンパクトシティー 次世代路面電車に活路も(本記事) 富山市は2006年、国内で初めてLRT(次世代型路面電車)を本格的に導入した。老朽化したローカル線の軌道を引き継ぎ、JR富山駅北側から市北部への7・6キロを結んだ。その後も富山駅南側に環状線を整備し、駅で南北の路線を接続させるなど拡張。利用者数は堅調に推移している。 市は並行してLRT沿線の地域を「居住推進地区」に設定して住宅取得を補助した。車への依存度を下げるため、高齢者向けに市内を走る路面電車やバスの運賃が1回当たり100円になる年間パスを発行するな
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く