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  • シベリアの古代のイヌ、人からもらって海洋生物を餌に 研究

    仏西部ナント郊外の動物園で飼育されているオオカミの亜種、ホッキョクオオカミ(2020年5月6日撮影・資料写真)。(c)Loic VENANCE / AFP 【7月23日 AFP】シベリア(Siberia)のイヌは7400年前にはすでにオオカミに比べてかなり小型化し、魚や貝類、海洋哺乳類などを餌として人にもらうようになっていたとする論文が22日、米科学誌サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)に発表された。 研究を主導したカナダ・アルバータ大学(University of Alberta)のロバート・ロージー(Robert Losey)氏は、人が狩猟や家畜の番、そりにイヌを使役するようになり、古代のイヌの数が増えたことの説明がつくと述べている。 同氏はAFPに対し「イヌの餌の長期的な変化は単純化されすぎてきた」と述べ、これまでの研究では、約4万年前にイヌがオオカミから分岐

      シベリアの古代のイヌ、人からもらって海洋生物を餌に 研究
    • 盛岡の遺跡にローマガラス 「薬師社脇」の土坑墓で東北初

      盛岡市浅岸の薬師社脇遺跡の土坑墓から出土した「ガラス小玉」が、地中海周辺地域(当時は東ローマ帝国領内)で生産された「ローマガラス」だったと推定されることが、奈良文化財研究所の分析で明らかになった。同地域の特徴的な化学組成を示し、近畿地方では多く出土しているが、東北での確認は初めて。5世紀後半に海外交易の珍しい品が現在の本県まで届いていたことをうかがわせ、貴重な研究として注目されている。 分析したのは同研究所の田村朋美主任研究員(保存科学、文化財科学)。盛岡市遺跡の学び館が所有するガラス小玉7点を蛍光エックス線分析したところ、1点が地中海周辺地域特有の鉱物「ナトロン」を原料にした可能性が高いソーダガラスと推定した。 ガラス小玉は同市本宮の市遺跡の学び館で常設展示している。 ◇      ◇ 記事全文は、7月18日付の岩手日報本紙をご覧ください。

        盛岡の遺跡にローマガラス 「薬師社脇」の土坑墓で東北初
      • 古代ギリシャの鎧「リノソラックス」を完璧に再現しようとした研究者たちの苦労とは?

        古代ギリシャで使用されていたとされる鎧(よろい)の一種「リノソラックス」は、紀元前8世紀ごろから存在が確認されているものの、現存する標本はほとんど残っていません。このリノソラックスに魅入られた学生たちがリノソラックスを完璧に再現しようとした時の苦労を、担当教授の妻が語りました。 Unraveling the linothorax mystery, or how linen armor came to dominate our lives | Johns Hopkins University Press Blog https://jhupress.wordpress.com/2013/04/24/unraveling-the-linothorax-mystery-or-how-linen-armor-came-to-dominate-our-lives/ ウィスコンシン大学グリーンベイ校で教

          古代ギリシャの鎧「リノソラックス」を完璧に再現しようとした研究者たちの苦労とは?
        • 平城京跡に奈良時代の基壇外装 全国でも希少な木製|奈良新聞デジタル

          平城京跡で初めて確認された木製の基壇外装の痕跡。写真右側が基壇。左側には石敷きの痕跡もあった=奈良市法華寺町(奈良文化財研究所提供) 奈良市法華寺町の平城京跡で、外観を木材で装飾した奈良時代の基壇が見つかった。平城宮・京跡で木製の基壇外装が見つかるのは初めて。全国でも10例ほどしか確認されておらず、構造の一端も明らかになる貴重な成果だ。発掘調査をした奈良文化財研究所(奈文研)の「紀要2022」で報告された。

            平城京跡に奈良時代の基壇外装 全国でも希少な木製|奈良新聞デジタル
          • 呪術のためではない…? 奈良時代の桃の種の穴、ネズミの仕業か | 毎日新聞

            奈良市の西大寺で大量に出土し、古代の呪術跡と考えられてきた奈良時代の桃の種(核)の穴が、実はネズミがかじった跡だった可能性が高いことが奈良文化財研究所の調査で分かった。一緒に8匹分の骨が見つかったネズミのうち、小型のアカネズミがクルミなどをかじった際にできる傷と大きさや形が酷似していたという。 西大寺で当時僧侶が食事を取った食堂(じきどう)院跡では、井戸から魚の骨や食器などが大量…

              呪術のためではない…? 奈良時代の桃の種の穴、ネズミの仕業か | 毎日新聞
            • 「人新世」人類繁栄した時代象徴する地層 別府湾に重要指標 | NHK

              人類が繁栄した時代を象徴する地層を選んで、地質学的に「人新世」という新しい時代区分にしようと、世界の候補地の調査が行われていて、日本の候補地である大分県の地層で、重要な指標になるとみられるごく微量のプルトニウムを検出できたと東京大学などのグループが発表し、選定されるための大きな前進だとしています。 「人新世」は、国際的な学術団体のグループが、人類の繁栄した時代を象徴する地層を選んで、地質学的な新たな時代区分にしようと、世界12か所の候補地から1か所を選ぶことになっています。 東京大学の横山祐典教授や愛媛大学などの研究グループは、日本の候補地である大分県にある別府湾の海底の地層を調べ、人類の活動の痕跡として、核実験によって全世界に降った、ごく微量のプルトニウムを検出できたと公表しました。 分析では、核実験が繰り返された1950年代の地層で、プルトニウムの濃度が上昇し、条約などで実験が制限され

                「人新世」人類繁栄した時代象徴する地層 別府湾に重要指標 | NHK
              • 古代ローマのモザイク画、新設博物館でお披露目 イスラエル

                イスラエル中部ロッドに新設された博物館で、ローマ時代のモザイク画の修復を行うイスラエル考古学庁の保存修復士(2022年6月27日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【6月28日 AFP】イスラエル・テルアビブ近郊ロッド(Lod)で27日、古代ローマ時代のモザイク画を保存・展示する博物館がお披露目された。モザイク画は約10年にわたり、世界の主要な博物館で巡回展示されていた。 モザイク画は長さ約17メートル、幅約9メートル。1996年にベングリオン国際空港(Ben Gurion International Airport)にほど近いロッドで発見された。 3世紀後半から4世紀初頭ごろに邸宅の床に施されたものと考えられており、咆哮(ほうこう)するライオンや戦うゾウ、キリン、イルカ、果物、花かご、船などが描かれている。 イスラエル考古学庁(IAA)の考古学者によると、モザイクの様

                  古代ローマのモザイク画、新設博物館でお披露目 イスラエル
                • 古代ローマは大阪だった…?一家に一台ありがちな調理用具がポンペイ展で展示されている

                  リンク 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII 公式サイト 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEIIの公式サイトです。2022年1月~12月の1年間、全国4会場巡回予定です。 2 users 1753

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                  • イスラム教初期のモスク発見 地域宗教の移行に光 イスラエル

                    イスラエル・ネゲブ砂漠のラハトで見つかった7世紀ごろのモスクの遺跡(2022年6月22日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【6月25日 AFP】イスラエル南部ネゲブ砂漠(Negev Desert)で今週、7世紀ごろのモスクの遺跡が見つかった。同国の考古学者チームが発表した。周辺地域におけるキリスト教からイスラム教への移行に光を当てる発見だとされる。 イスラエル考古学庁(IAA)は、ネゲブ砂漠北部にある遊牧民ベドウィンの街ラハト(Rahat)で宅地開発の際に見つかった遺跡について、1200年以上前のものであるとの見解を示した。 遺跡には、四角い部屋と聖地メッカ(Mecca)の方角を向く壁があり、壁には南を示す半円のくぼみがあった。 また、モスクからほど近い場所で「豪華な建物」の跡も見つかった。IAAは、出土した食器やガラス工芸品から裕福な住人だったと考えられるとしている

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                    • 800年前に沈んだ南宋の貿易船「南海1号」、貴重な積み荷が続々

                      海底に眠る引き揚げ前の「南海1号」。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG) 1987年、英国の調査チームが中国側の当局と協力して、南シナ海で18世紀に沈没したオランダ東インド会社の船を探していた。ところが、チームが発見したのは、香港と広東省海陵島の間の海底に眠る全長約30メートルの「ジャンク船(中国の帆船)」で、12世紀の南宋時代の貿易船だった。 1127年、華北の支配権を失った宋は南に退き、皇帝は臨安(現在の杭州)に新しく首都を定めて南宋を興した。南宋は安定し、隆盛を極めた。

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                      • 古代エジプトのミイラに謎の民エトルリアの文字、衝撃の発見録

                        「ザグレブの亜麻布の書」に記されたエトルリア文字。書はのちに細く裂かれ、エジプトのミイラを包むのに使われた。(COURTESY OF THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF ZAGREB, PHOTOGRAPH BY IGOR KRAJCAR) 1868年、クロアチア(当時はオーストリア・ハンガリー帝国の一部)のザグレブ博物館が、古代エジプトの女性のミイラを手に入れた。ミイラを包んでいた布は前の所有者によってほどかれていたが、ミイラと一緒に引き渡された。 ミイラになった女性は王族や聖職者ではなく、一般人だった。しかし、彼女を包んでいた亜麻布には、非常に興味深い謎があった。亜麻布に書かれていた文字が、エジプトの象形文字(ヒエログリフ)ではなかったのだ。文字の正体は、布を調べたドイツのエジプト学者ハインリッヒ・ブルクシュにもわからなかった。 23年後の1891年、博物館は、こ

                          古代エジプトのミイラに謎の民エトルリアの文字、衝撃の発見録
                        • ローマの墓を掘ったら立派なお魚フライが発掘された→9ヶ月の修復作業。正体は当時の「ステータスシンボル」だった

                          Hiroko Miyamoto @HirokoMiyamoto7 9ヶ月の修復作業の前と後。ドイツの考古学者が発見した(2019年)錆びた短剣は2000年前、ローマの兵士の墓で発見した銀の短剣になります。Smithsonian pic.twitter.com/rzsWRXBKks 2022-06-20 06:06:05

                            ローマの墓を掘ったら立派なお魚フライが発掘された→9ヶ月の修復作業。正体は当時の「ステータスシンボル」だった
                          • 「英国の歴史変えた」340年前の沈没船を発見、未来の国王が乗船

                            リンカーン・バーンウェル、ジュリアン・バーンウェル兄弟は2007年にH.M.S.グロスター号を発見したが、ずっと秘密にされていた。「ある日、潜ってみると、海底に大砲が散乱していたのです」とリンカーンさんは振り返る。「忘れられない光景です」(PHOTOGRAPH COURTESY NORFOLK HISTORIC SHIPWRECKS) のちに英国王ジェームズ2世となるヨーク公を乗せて340年前に難破した英海軍のH.M.S.グロスター号を発見したと、英イーストアングリア大学の研究者らのチームが6月10日に発表した。 「文字通り、歴史を変えるきっかけになった沈没船です」と、海事の歴史を専門とする同大学のクレア・ジョウィット氏は語る。未開封のワインボトルなどがすでに見つかっており、優雅な旅と歴史を物語る遺物の発見への期待が高まっている。 1682年、50門の大砲を備える英海軍のフリゲート、グロス

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                            • 黒死病の起源特定 600年以上の謎、DNA分析で解明

                              キルギス北部の湖イシク・クル近くに1338年か39年に埋葬された人の墓碑。「疫病で死亡」と書かれている(2022年6月14日提供)。(c)AFP PHOTO / A.S. LEYBIN 【6月17日 AFP】14世紀に流行した黒死病(ペスト)の起源をキルギスの一地域に特定したとする研究論文が15日、英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された。 黒死病は、500年近く続いたペストの世界的流行の第1波につけられた名称で、1346~53年のわずか8年間で欧州と中東、アフリカの人口の最大6割が犠牲になったと推定されている。発生源ははっきりせず、数世紀にわたり議論が続いていた。 論文を発表した研究チームの一員で、英スターリング大学(University of Stirling)の歴史学者であるフィリップ・スラビン( Philip Slavin)准教授は、現在のキルギス北部にある14世紀の墓地につ

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                              • 中国の三星堆遺跡で新発見 祭祀坑は商王朝末期のもの

                                【6月14日 CGTN Japanese】中国南西部、四川省(Sichuan)にある謎めいた三星堆(Sanxingdui)遺跡で13日午前、考古発掘の新たな成果が発表されました。三星堆祭祀(さいし)坑の年代が確認され、年代が少し後の五号坑と六号坑を除く祭祀坑の埋蔵年代はほぼ一致しており、中国2番目の王朝である商王朝の末期、今から約3200~3000年前のものであることが分かりました。これにより、三星堆遺跡が所属する古蜀文明は中華文明の重要な一部であることが確認されました。 中国考古学会の理事長・王巍(Wan Wei)氏によりますと、三星堆遺跡から出土した200余りの標本に対する年代測定によって、商王朝末期のものだと確定されました。当時は中華文明の青銅文明が非常に盛んな時期でした。商王朝は「殷商」とも呼ばれ、「司母戊大方鼎(后母戊鼎)」などの青銅器が盛んに鋳造されましたが、三星堆遺跡の青銅器

                                  中国の三星堆遺跡で新発見 祭祀坑は商王朝末期のもの
                                • アフリカの「失われた古代都市」4選、いったい何が起きたのか

                                  ギザのピラミッドやテーベの神殿は、かつてのアフリカにおける古代都市の繁栄を雄弁に物語る。一方で、繫栄していたにもかかわらず、歴史の表舞台から消えてしまった都市もあった。この記事では現在のエジプト、スーダン、マリにある4つの「失われた古代都市」を、ナショナル ジオグラフィック別冊『古代の都市 最新考古学で甦る社会』から紹介する。いずれも現代の考古学者が再発見するまで、長く歴史に埋もれていた。 栄華を極めた港トロニス=ヘラクレイオン(エジプト) 古代エジプトの都市トロニス=ヘラクレイオンは、近年発見された「失われた都市」の代表格だ。エジプト人からは「トロニス」、ギリシャ人からは「ヘラクレイオン」と呼ばれたこの港町は、交易と文化の一大拠点として栄え、その後1000年以上にわたり姿を消していた。 引き揚げる前のファラオ像を調べる考古学者フランク・ゴディオと、その水中探査チーム。(Photograp

                                    アフリカの「失われた古代都市」4選、いったい何が起きたのか
                                  • 約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に

                                    10日にSNSで急上昇し、番組が注目したワードは「古代都市出現」です。3400年ほど前に栄えた王国の遺跡がある理由で突如姿を現して、注目を集めています。一体、どういうことなのでしょうか。 イラクのクルディスタン地方で撮影されたおよそ3400年前の古代都市は元々、チグリス川の中にありましたが、突如として出現したのです。 発掘現場からは陶器の器…。さらに、くさび形文字が刻まれた100枚以上の粘土板などが発見されました。これらは紀元前1550年から栄えたミタンニ帝国の時代のものだといいます。 国士舘大学・21世紀アジア学部附属イラク古代文化研究所、小口裕通さん:「ミタンニというのは北イラク、北シリア、トルコも含めて、あと地中海、東地中海方面も含めてかなり広大な領域を持って、支配していた王国」 発掘したドイツ人らの考古学者のチームによると、この遺跡は高層の建物や宮殿などで構成された古代都市だといい

                                      約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に
                                    • 古代ローマの「精巧なペニスのペンダント」が見つかる

                                      by The Portable Antiquities Scheme 西暦42年から410年頃に作られたとみられる銀製の男根型ペンダントが、イギリスのケント州で発見されました。このペンダントは災難から身を守るために首からさげられていたようです。 Record ID: PUBLIC-E168F3 - ROMAN pendant https://finds.org.uk/database/artefacts/record/id/1035209 Metal detectorist in UK finds ancient Roman penis pendant | Live Science https://www.livescience.com/roman-penis-pendant-found-uk 発見されたペンダントは長さ約3.1cm、幅約1.2cm、厚さ約0.9cmで、重さは9.7gです。

                                        古代ローマの「精巧なペニスのペンダント」が見つかる
                                      • 気候変動による干ばつで、3400年前の古代都市が再び出現…イラク、チグリス川で

                                        水没していた青銅器時代の建造物が、干ばつにより川の水位が下がったことで姿を現した。 Universities of Freiburg and Tübingen, KAO 極度の干ばつでチグリス川の水位が下がり、約3400年前の都市が出現した。 イラクはここ数カ月の間、気候変動による干ばつに見舞われている。 考古学者たちは、気候変動によって露出したり破壊されたりした遺物の保存を急いでいる。 気候変動が引き起こした深刻な干ばつによってイラクの青銅器時代の古代都市が姿を現し、これによって調査する機会が得られたと研究者らが2022年5月30日に発表した。 イラクのクルディスタン地方では、2021年12月にこの地域を襲った干ばつから農作物を守るために、チグリス川の貯水場から大量の水が汲み上げられた。そのため水位が下がり、川沿いにある3400年前の古代都市の建造物が再び姿を現した。 国連によると、イラ

                                          気候変動による干ばつで、3400年前の古代都市が再び出現…イラク、チグリス川で
                                        • 粒のままの小麦は本当にまずいのか?食べてみる

                                          「小麦は粒のままでは食べられないため、粉にして食べる」というのは、わりと有名な話のようだ。 例えば『コムギ粉の食文化史』では「粒のまま食べても食味はきわめて悪い」などとはっきり書かれている。 小麦の栽培が始まる前から、人類は野生の小麦を粉にして食べていたというくらいだ。 でも本当に、食べられないほどのまずさなんだろうか。 本当に、本当なのか。 炊飯器や圧力鍋といった文明の利器を使って試してみたい。 また、調子にのってスペルト小麦(古代小麦)、大麦、ライ麦、エンバクも同様に試してみたい。 「小麦粒」に初めてのご対面 「玄小麦」という名前で売られていた 今回買ったのは「きたほなみ」という種類。中力粉になるうどん用の小麦で、日本産小麦では最も生産量の多い品種だそうだ。 これが、 これになるのだ 今朝もうどんを食べたのだが、初めて見る小麦粒にはけっこうな感動があった。 白米、玄米と比べてこの色の濃

                                            粒のままの小麦は本当にまずいのか?食べてみる
                                          • 特別展「大勾玉展-宝萊山古墳、東京都史跡指定70周年-」のご案内

                                            今年、大田区宝萊山古墳は東京都の史跡に指定されてから70周年、多摩川台公園古墳展示室は開室30周年を迎えました。宝萊山古墳は古墳時代前期(約1700年前)の前方後円墳で、全長約100mと関東では有数の規模を誇り、ヒスイ製の勾玉が4点出土しています。 勾玉は、その独特な形から現在でも多くの人々に人気がありますが、その歴史は古く、時代と共に変化を遂げてきました。今から約7000年前の縄文時代に誕生し、弥生時代になると形が定まり、古墳時代には最も盛んに作られ、奈良時代以降は急激に衰退していきます。 また、近年の玉研究の進展により、生産や流通など様々なことがわかるようになってきましたが、勾玉にはまだ謎が多く残されています。 今回の特別展では、大田区で出土した勾玉のルーツに迫るため、全国各地から約1500点の勾玉を一堂に集めました。各時代を代表する著名な勾玉とともに、研究史上、重要な勾玉や、本邦初公

                                            • 王家の墓、骨持ち去りは「学問の名による暴力」 識者に聞く研究倫理:朝日新聞デジタル

                                              ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                王家の墓、骨持ち去りは「学問の名による暴力」 識者に聞く研究倫理:朝日新聞デジタル
                                              • 完全な太鼓の埴輪が出土、全国初 奈良、古代から形変わらず | 共同通信

                                                Published 2022/05/30 19:18 (JST) Updated 2022/05/30 19:35 (JST) 奈良県田原本町の宮古平塚古墳(6世紀前半)から完全な形の太鼓形埴輪が出土し、同町が30日発表した。町によると、太鼓単体を表現した埴輪はこれまでに3例確認されているが、完全な形が残っているのは全国初で最古級。町文化財保存課の渡瀬加奈子技師は「現代と変わらない当時の太鼓の形が分かる貴重な史料だ」と話した。 見つかった埴輪は横置きで長さが28センチ、直径17.5センチの太鼓面が両面にあり、革を留めるびょう(直径1.5~2センチ)や、革の端を表現した線もあった。 太鼓形埴輪は31日~8月31日、唐古・鍵考古学ミュージアム(田原本町)で無料展示する。

                                                  完全な太鼓の埴輪が出土、全国初 奈良、古代から形変わらず | 共同通信
                                                • 水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』

                                                  水の中には、すごい遺物が眠っている。 考えてみてくれ、地球の大部分は水に覆われている。しかも、風雨にさらされ、人が歩き回る地表と比べ、水の底は安定している。そう考えると、人の手が届きにくく、探し当てられなかっただけで、水中には数多くの遺物・遺跡があるはずだ。 それが、最新技術のおかげで、そうした遺跡が続々と見つかっている。『世界の水中遺跡』では貴重な画像とともに紹介している。 縄文時代の貝塚(当時の有機物が残存している状態) ヒエログリフが刻まれた紀元前300年の石碑 古代ギリシャの暦の計算装置(アンティキセラ装置) 元寇のモンゴル兵が用いた火薬兵器 中世のヴァイキング船が丸ごと 縄文時代の有機物が大量に残っているのは、琵琶湖の粟津湖底遺跡だ。何千年も前なのに、なぜそんなに保存状態が良いのか? 遺跡の上には粒子の細かな粘土やシルトが積み重なっており、空気と遮断されていたためだという。 砂や

                                                    水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』
                                                  • 今だ起源も用途も不明、古代ローマの「中空十二面体」の謎 : カラパイア

                                                    古代ローマ文明には、一生かかっても解明できない秘密がいくつかあるといっていい。歴史家や考古学者たちが探究を続けていると、困惑するような遺物を発見することも多い。 そんな遺物のひとつが、「中空十二面体」だ。12の平らな五角形の面をもつ、石や青銅でできた中が空洞の物体だ。 西暦2〜4世紀のものとされており、中央ヨーロッパで100個以上見つかっているが、その用途はわかっていない。300年以上前に初めて発見されて以来、さまざまな説がささやかれている。

                                                      今だ起源も用途も不明、古代ローマの「中空十二面体」の謎 : カラパイア
                                                    • 縄文土器から穀物 「弥生」論争波及も 熊本大・小畑教授|熊本日日新聞社

                                                      -1 ? item.samune.replace('../../assets/img/og-image.png', '../../assets_separate/img_separate/noimage/noimage_400x266.png') : item.samune.replace('sns_share','crop_default').split('?')[0], 'background-position':'center', 'background-size':'cover', 'padding-top':'65%'}">

                                                        縄文土器から穀物 「弥生」論争波及も 熊本大・小畑教授|熊本日日新聞社
                                                      • アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見

                                                        南アメリカ・ボリビアの熱帯雨林に覆われた「古代都市」の存在が、ヘリコプターに搭載したレーザースキャナーを用いたLight Detection and Ranging(光検出と測距/LIDAR)による調査で明らかになりました。古代都市を建設した人々はかなり高い文明を持っており、巨大なピラミッドを中心に道路や運河のネットワークを築き、農耕や魚の養殖を行っていたとみられています。 Lidar reveals pre-Hispanic low-density urbanism in the Bolivian Amazon | Nature https://doi.org/10.1038/s41586-022-04780-4 Large-scale early urban settlements in Amazonia https://doi.org/10.1038/d41586-022-01367

                                                          アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見
                                                        • 人文学部歴史学科の桃﨑教授が展示企画「アジアを変えた鉄」で研究成果を発表しました

                                                          1月18日(火)~3月13日(日)、九州国立博物館で企画展示「アジアを変えた鉄」が開催されました。これは福岡大学人文学部歴史学科の桃﨑祐輔教授が代表とする研究チーム科学研究費で進めているプロジェクトの成果発表となりました。研究内容、今後の目標などについて、桃﨑教授に話を聞きました。 −企画展示「アジアを変えた鉄」について教えてください この企画展では、日本国内の中世遺跡で出土する「棒状鉄素材」に着目しました。これを農具(馬鍬)や釘とみる説と、鉄素材(インゴット)とする説の間で論争が続いていました。私は鉄素材説の立場で、中国の鉄鍋や鉄塊を日本に輸入し、棒状に加工して流通商品にしていたと考えていました。ところが2018年、北京での在外研究中に、棒状の鉄製品が中国から東南アジアへの航海中に沈んだ沈没船から束にした状態で数10~100トンも発見されていることを知って衝撃を受け、論文を書いた中国人の

                                                            人文学部歴史学科の桃﨑教授が展示企画「アジアを変えた鉄」で研究成果を発表しました
                                                          • 縄文時代の穀物栽培を立証 最新科学による縄文時代晩期末・江辻SX-1段階の大陸系穀物(イネ・アワ・キビ)流入を証明

                                                            <研究の内容> 熊本大学大学院人文社会科学研究部の小畑弘己(おばた・ひろき)教授と北海道大学大学院文学研究院の國木田大(くにきた・だい)准教授は、英国の考古科学雑誌「Journal of Archaeological Science」に縄文時代末期にすでにイネやアワが渡来していたという論文を発表しました。本研究はこれまで立証できなかった縄文時代における穀物の渡来と栽培を最新技術を用いて科学的に立証したもので、その結果は、論争中の弥生時代の開始年代のみでなく、弥生時代の定義そのものの見直しにも波及しかねない、学術上重要な研究成果といえます。 <研究の背景> これまでの日本考古学の定説によると、わが国におけるイネやアワ・キビなどの穀物栽培は、弥生時代早期(2790―2710 14C BP)に始まるとされてきました。これらの穀物は中国大陸に起源をもち、朝鮮半島の青銅器文化を通じてわが国へ渡来した

                                                            • 奈良文化財研究所 「木簡」研究で中国の研究機関と協定|NHK 奈良県のニュース

                                                              文字が書かれた木の札、「木簡」の研究について奈良文化財研究所は中国の研究機関と協力していくことになりました。 文字が書かれた木の札、「木簡」は県内では奈良時代の都、平城京の遺跡などから大量に出土し、当時、政治を行う際のメモ書きや連絡などのために使用されていたことがわかっています。 平城京などの調査を行ってきた奈良文化財研究所では木簡の研究をさらに進めるため、中国の政府系のシンクタンク、中国社会科学院の研究所と協力していくことになりました。 24日はオンラインで調印式が行われ、互いの代表が議定書にサインしました。 中国社会科学院の研究所は中国の木簡にあたる簡牘の研究が盛んで、日本の木簡は簡牘が元になっているとされています。 2つの研究所では、今後、研究の成果や研究方法の共有、それに人材育成などについて協力していくということです。 奈良文化財研究所の本中眞所長は「漢字が生まれた中国と、漢字文化

                                                                奈良文化財研究所 「木簡」研究で中国の研究機関と協定|NHK 奈良県のニュース
                                                              • 1万年以上前に人類が残した世界最古の石像がトルコ東部で複数発見されている

                                                                古代の遺跡といえばギザの大ピラミッドやストーンヘンジなどが有名です。作家のショーン・トーマス氏は1万1000年~1万3000年前というピラミッドやストーンヘンジよりはるか以前に作られたとされる複数の石像がトルコの東部で発見されたと報告しています。 Is an unknown, extraordinarily ancient civilisation buried under eastern Turkey? | The Spectator https://www.spectator.co.uk/article/does-an-unknown-extraordinarily-ancient-civilisation-lie-buried-under-eastern-turkey- トーマス氏が報告している古代遺跡はトルコ東部のシャンルウルファ県で発掘されたもので、「Karahan Tepe」と

                                                                  1万年以上前に人類が残した世界最古の石像がトルコ東部で複数発見されている
                                                                • 西欧系人骨 南城の古墓群に 1400~1600年代、風葬か - 琉球新報デジタル

                                                                  石厨子内にあった(左から)沖縄を含む日本由来、西ヨーロッパ由来、朝鮮半島由来の人骨(松下孝幸氏提供) 【南城】南城市玉城富里にあった風葬墓「神(かん)座(ざ)原(ばる)古墓群」の調査をしている土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県)の松下孝幸館長らの研究チームは20日、同市役所で会見した。古墓群から出土した骨を納める納骨堂の古い人骨78体を調査したところ、西ヨーロッパ・中央アジア由来と朝鮮半島由来のDNAを持つ人骨2体があったと明らかにした。人骨はグスク時代後期から琉球王朝前期(1400~1600年代)にかけてのもので、西ヨーロッパ・中央アジア由来の人骨が確認されたのは県内初とみられる。 放射性炭素年代で分かった人骨の時期は、琉球王朝時代やそれ以前の海外と交易していた時期に重なる。 松下館長は「当時の琉球人はモノによる交易だけではなく、異国の人を排除せずに受け入れ、家族を形成するなど、多

                                                                    西欧系人骨 南城の古墓群に 1400~1600年代、風葬か - 琉球新報デジタル
                                                                  • 2千年前の鮮やかな色彩がそのまま保存された「古代エジプトの天井画」を発見! - ナゾロジー

                                                                    エジプト中南部の町エスナにある「クヌム神殿」は、ある点で考古学者の強い注目を集めています。 それは、神殿内に描かれたレリーフ(浮き彫り)や壁画に鮮やかな色が現代まで残されていることです。 古代エジプトの遺物には、色付きで制作されたものも多いですが、これらは大抵、数千年の経年劣化で色あせているか、完全に色落ちしています。 ところが、クヌム神殿では、レリーフや壁画が塵や煤に覆われていたことで、約2000年もの間、色彩が保存されたのです。 そしてこのほど、独テュービンゲン大学(University of Tübingen)とエジプト古美術・観光省(MoTA)の共同研究チームは、クヌム神殿内で新たに、色彩豊かな天井画の復元に成功したと報告しました。 その保存状態の良さと緻密な芸術性に、驚くこと間違いなしです。 Spectacular ceiling frescoes discovered in t

                                                                      2千年前の鮮やかな色彩がそのまま保存された「古代エジプトの天井画」を発見! - ナゾロジー
                                                                    • 13万年以上前のヒトの歯をラオスで発見、謎の人類デニソワ人か

                                                                      古人類の歯が発見されたラオスのコブラ洞窟。緑豊かな急斜面にある狭い空洞だ。科学者たちはロープを使ってこの洞窟にアクセスした。(PHOTOGRAPH BY FABRICE DEMETER) ラオスのアンナン山脈で急勾配の岩場をよじ登ったとき、ローラ・シャッケルフォード氏はあまり期待していなかった。米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の古人類学者であるシャッケルフォード氏は、コブラ洞窟と呼ばれる狭い空洞に立ち、地元のモン族の少年が見たという骨を探していた。懐中電灯をつけて、一見何もなさそうな壁から壁へと光を走らせた。 そして、天井を見上げた。 「ほとんど骨しか見えませんでした」とナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)でもあるシャッケルフォード氏は振り返る。ゴツゴツした岩の天井には、大昔に死んだ動物の化石が埋め込まれていた。氏は「星空のようだった」と例える。 シャッケルフォー

                                                                        13万年以上前のヒトの歯をラオスで発見、謎の人類デニソワ人か
                                                                      • ブルーシートに覆われ18年…なぜ? 千葉・市川の国史跡「瓦窯跡」 | 毎日新聞

                                                                        発見から18年間、土のうとブルーシートで覆われたままの状態で放置されている北下瓦窯跡=千葉県市川市で2022年4月6日午後3時1分、小林多美子撮影 千葉県市川市の東京外郭環状道路(外環道)沿いで、国史跡に指定された奈良時代の瓦窯跡が土のうとブルーシートに覆われたままの状態で放置されている。発見から既に18年たっており、文化庁は速やかに埋め戻して保存するよう市川市に求めてきたが、埋め戻しの見通しは立っていない。なぜ、こんなことになっているのか。 史跡は「下総国分寺跡附(つけたり)北下瓦窯跡」。瓦窯跡は2004年、外環道工事に伴う周辺の発掘調査で見つかった。既に国指定史跡となっていた「下総国分寺跡」から東に約200メートル離れた台地状の斜面に2基(深さ約30~50センチ)が確認され、同寺で使われた瓦や釣り鐘などを製造していたとみられる。10年に史跡に追加指定された。 発掘調査は千葉県の外郭団体

                                                                          ブルーシートに覆われ18年…なぜ? 千葉・市川の国史跡「瓦窯跡」 | 毎日新聞
                                                                        • 7万人が居住可能な約2000年前の地下遺跡がトルコで発見される

                                                                          最大7万人が居住できたとみられる約2000年前の地下遺跡が、トルコ南東部のマルディン県ミドヤトで発掘されました。地下に広がる広大な空間には、ローマ帝国によって迫害された初期のキリスト教徒らが住んでいた可能性があるとのことです。 Huge Underground City Discovered in southeastern Turkey https://ftnnews.com/news-from-turkey/43832-excavations-in-cave-reveal-huge-underground-city-in-turkiye Excavations reveal huge underground city in Turkey’s Mardin | Daily Sabah https://www.dailysabah.com/life/history/excavations-r

                                                                            7万人が居住可能な約2000年前の地下遺跡がトルコで発見される
                                                                          • 3000年前の「神々の行列」壁画を発見、新アッシリア帝国

                                                                            3000年近く前に彫られた古代の神々の横顔。警察が盗掘者を追跡し、この地下施設にたどり着いた。新アッシリア帝国がこの地域に進出した紀元前8世紀に建設されたと思われる(PHOTOGRAPH BY Y. KOYUNCU AND M. ÖNAL, ANTIQUITY PUBLICATIONS LTD) トルコ南東部の古代の地下施設で、メソポタミアの神々を描いた壁画が発見された。嵐の神アダド、月の神シン、太陽の神シャマシュ、この地域で豊壌の女神とされていたアタルガティスなど、少なくとも6人の神が描かれている。今から3000年近く前、当時の世界最大の帝国である新アッシリア帝国が、国境地帯で「ソフトな統治」を行っていたことを示す貴重な発見という。5月11日付の学術誌「Antiquity」に発表された。(参考記事:「メソポタミアへの見方を変えたウルの王墓、その財宝と残酷な儀式」) この壁画が見つかった経

                                                                              3000年前の「神々の行列」壁画を発見、新アッシリア帝国
                                                                            • 禁止令も出た奈良時代のボードゲーム復元 記者もやってみた:朝日新聞デジタル

                                                                              ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                                禁止令も出た奈良時代のボードゲーム復元 記者もやってみた:朝日新聞デジタル
                                                                              • 中世の「貴族の食卓」に肉料理は並んでなかった? 歴史の通説を覆す“人骨研究”の結果 | 貴族も肉より「パンや野菜を食べていた」

                                                                                貴族が「肉をよく食べていた」証拠はない これまで中世のアングロサクソンの王様や支配階級の人々は、農民やその他の人々がなかなか口にできない、肉料理が中心の贅沢な食事をしていたと信じられてきた。 だが、この説を覆す研究結果が4月末に発表された。その最新の調査結果によると、王や支配階級は、実際のところはそれほど肉を口にしておらず、振舞われていた食材自体は平民たちとほぼ同じ。パンを主食に、野菜やスープを食べていたという。 この研究はイギリスの考古学者や歴史学者らによって行われたもので、彼らが導き出した結果は、5世紀から11世紀にかけてイギリスで埋葬された2000体以上の人骨の分析に基づく。

                                                                                  中世の「貴族の食卓」に肉料理は並んでなかった? 歴史の通説を覆す“人骨研究”の結果 | 貴族も肉より「パンや野菜を食べていた」
                                                                                • 3200年前のエジプトの石板にはピラミッド建設の労働者の「仕事をサボる言い訳」が書き連ねられている

                                                                                  大勢の集団で仕事をする時、同じ仕事をするメンバーの中に仕事をサボる者が現れることがよくあります。紀元前1250年にエジプトでピラミッドを建設する時も仕事をサボる労働者がいたことを、当時のピラミッド建設チームの石板が記しています。 ostracon | British Museum https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA5634 3,200-Year-Old Egyptian Tablet Records Excuses for Why People Missed Work: "The Scorpion Bit Him," "Brewing Beer" & More | Open Culture https://www.openculture.com/2022/02/3200-year-old-egyptian-tablet-

                                                                                    3200年前のエジプトの石板にはピラミッド建設の労働者の「仕事をサボる言い訳」が書き連ねられている