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考古の検索結果281 - 320 件 / 933件

  • 備前焼の里に残る窯跡が陶片山積みで凄い!

    岡山県東部の備前市に位置する伊部(いんべ)地区は、備前焼の窯元が集まる陶器の生産地だ。 中世末期から近世にかけて操業していた古い窯跡があるというので見に行ってみたら、陶片が文字通り山積みになっていて驚いた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:神奈川県綾瀬市は「どこにでもある風景」を強みにロケ誘致が盛ん > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 備前焼の里「伊部」を歩く 先日中国地方を旅行したのだが、その帰りに少し時間があったので伊部に寄ってみることにした。 以前から備前焼のタンブラーが欲しいと思っていたので

      備前焼の里に残る窯跡が陶片山積みで凄い!
    • 3000年前の丸木舟を発見、五大湖で最古 米ウィスコンシン州

      米ウィスコンシン州メンドータ湖で発見された3000年前に使用されていた丸木舟の木片/Mark Hoffman/Milwaukee Journal SentinelUSA Today Network (CNN) 米ウィスコンシン州のメンドータ湖で、現地の人々が3000年前に使用していた丸木舟が発見されたことがわかった。五大湖地域で見つかった丸木舟としては最古級とみられる。ウィスコンシン州の史学会が明らかにした。 学会によれば、丸木舟は木片の状態で、湖の底で見つかった。収集には同州の先住民部族も協力したという。 学会によれば、丸木舟は1本のホワイトオークから削り出されたもので、全長は約4.4メートル。今回の丸木舟が見つかった場所の近くでは昨年11月に1200年前の丸木舟が完全な状態で発見されていた。 丸木舟は今後、2年をかけて専門家によって修復される見通し。 学会の考古学者は声明で、「メンドー

        3000年前の丸木舟を発見、五大湖で最古 米ウィスコンシン州
      • 畑からビザンツ帝国時代のモザイク画発見 ガザ地区

        パレスチナ自治区ガザ地区で、ビザンツ帝国時代のモザイク画を清掃する発見者の男性の息子(2022年9月18日撮影)。(c)MOHAMMED ABED / AFP 【9月19日 AFP】パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)中部でこのほど、5~7世紀ごろのビザンツ(Byzantine)帝国時代のモザイク画が公開された。自分の畑を耕していた農家が発見したという。 発見場所は、緊張した状態となることが多いイスラエルとの境界線から1キロ未満にある。 モザイク画を鑑定したエルサレム・フランス聖書考古学研究所(French Biblical and Archaeological School of Jerusalem)のフランス人考古学者ルネ・エルテール(Rene Elter)氏は、モザイクの保存状態は「完璧」だとしている。 同氏は「極めて質が高い作品で、比較的高級な材料が使われているのは間違

          畑からビザンツ帝国時代のモザイク画発見 ガザ地区
        • 日本の城跡から見つかった謎の地下室 ユダヤ教の沐浴施設の可能性:朝日新聞デジタル

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            日本の城跡から見つかった謎の地下室 ユダヤ教の沐浴施設の可能性:朝日新聞デジタル
          • 貴重なパピルス文書を米で発見、イスラエル考古学庁が公開(AFPBB News) - Yahoo!ニュース

            【9月12日 AFP】イスラエル考古学庁(IAA)はこのほど、古代ヘブライ語で記された約2700年前の第1神殿(First Temple)時代に属する、3例目となる貴重なパピルス文書の断片を公開した。考古学者が米国で所在を突き止め、所有者からイスラエルに引き渡されていた。 4行で構成された文書は「イシュマエルへ、送る」で始まるが、残りの文字は不完全で判読不能。考古学庁ユダヤ砂漠(Judaean Desert)文書班のジョー・ウジエル(Joe Uziel)氏は「何がどこに送られたのか判然としない」と語った。 同庁盗掘防止班のエイタン・クレイン(Eitan Klein)氏によると、当時、パピルスは公式文書用として使われていた。ユダヤ砂漠の乾燥した気候によりパピルスが保存されたとみられ、これより前に確認された第1神殿時代のパピルス文書は2例しか存在しない。 文書が発見されたのは、偶然の産物だった

              貴重なパピルス文書を米で発見、イスラエル考古学庁が公開(AFPBB News) - Yahoo!ニュース
            • 神奈川県内唯一 古代製鉄遺跡 横浜市、発掘調査報告書 作成せず 市民団体「開発優先で歴史遺産軽んじた」:東京新聞 TOKYO Web

              横浜市栄区上郷町の都市計画道路「舞岡上郷線」の地下に存在した県内唯一の古代製鉄遺跡「上郷深田遺跡」について、市が埋蔵文化財の記録保存に必要な発掘調査報告書を作成していないことが分かった。市の担当者は取材に「調査報告書を作成する必要性と将来の検討課題であることは認識している」としたが、具体的な対応への言及は避けた。(阿部博行) 上郷町は古くから鉱滓(こうさい)が出土する地域として知られ、市は道路建設に先だって横浜市埋蔵文化財調査委員会(当時)に委託して一九八六年九月から九カ月かけて発掘調査を実施。飛鳥時代の七世紀半ばから平安時代の九世紀前半にかけて約二百年間、砂鉄を使った「たたら製鉄」が営まれた遺跡を発掘した。

                神奈川県内唯一 古代製鉄遺跡 横浜市、発掘調査報告書 作成せず 市民団体「開発優先で歴史遺産軽んじた」:東京新聞 TOKYO Web
              • マヤ人とは何者だったのか? 古代文明の謎を解き明かす

                メキシコ、パレンケの「碑文の神殿」で発見されたマヤ戦士の頭部像。この神殿は7世紀の君主キニチ・ハナーブ・パカルの墓で、最大かつ最も保存状態が良いマヤのピラミッドのひとつだ。(DE AGOSTINI VIA GETTY IMAGES) 長く忘れられていた文明の痕跡は、中米ユカタン半島のあちこちに残されていた。スペイン植民地時代の修道院の地下にも、道路の下にも。その大半は草木に覆われ、ジャングルに埋もれていた。だが1830〜40年代、ユカタン半島を詳細に調査した英国人と米国人の探検家はすぐに、これらの謎に満ちた遺跡が考古学上の重要な宝であることを確信した。 発見された遺跡や工芸品は放棄されて荒廃しており、寺院やピラミッド、芸術品や文字といったそれらの役割は、当時はほとんど不明だった。それでも、米国人探検家のジョン・ロイド・スティーブンスは1841年に、これらは同一集団の人々が生み出したもののよ

                  マヤ人とは何者だったのか? 古代文明の謎を解き明かす
                • 貴重なパピルス文書を米で発見、イスラエル考古学庁が公開

                  エルサレムでイスラエル考古学庁(IAA)が公開したパピルス文書の断片(2022年9月7日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【9月10日 AFP】イスラエル考古学庁(IAA)は今週、古代ヘブライ語で記された約2700年前の第1神殿(First Temple)時代に属する、3例目となる貴重なパピルス文書の断片を公開した。考古学者が米国で所在を突き止め、所有者からイスラエルに引き渡されていた。 4行で構成された文書は「イシュマエルへ、送る」で始まるが、残りの文字は不完全で判読不能。考古学庁ユダヤ砂漠(Judaean Desert)文書班のジョー・ウジエル(Joe Uziel)氏は「何がどこに送られたのか判然としない」と語った。 同庁盗掘防止班のエイタン・クレイン(Eitan Klein)氏によると、当時、パピルスは公式文書用として使われていた。ユダヤ砂漠の乾燥した気候により

                    貴重なパピルス文書を米で発見、イスラエル考古学庁が公開
                  • 巨大な「ペニスの彫刻」が古代ローマの遺跡から発見される、古代ローマのペニス彫刻として過去最大級

                    スペインのコルドバ県にある古代ローマの遺跡から、長さ約46cmの「石造りのペニス(男根)の彫刻」が発見されました。ペニスは古代ローマ文化において重要なシンボルであり、彫刻として残されたペニスも多数発見されていますが、これほど巨大なものは珍しいとのことです。 Hallada en Córdoba una de las mayores esculturas fálicas del mundo romano | Cultura | EL PAÍS https://elpais.com/cultura/2022-08-24/hallada-en-cordoba-una-de-las-mayores-esculturas-falicas-del-mundo-romano.html Ancient Roman penis sculpture could be the largest of its ki

                      巨大な「ペニスの彫刻」が古代ローマの遺跡から発見される、古代ローマのペニス彫刻として過去最大級
                    • 一般家庭の台所の床下から4000万円相当の金貨の山が発見される

                      by Spink & Son イギリスの民家では、台所にあった陶器が2億円の価値を持つ中国・清王朝の宝物だということが判明するなどこれまでさまざまなお宝が見つかっていますが、新たに台所の床下から大量の金貨が見つかりました。 Coins worth up to $290,000 found under kitchen floorboards - CNN Style https://edition.cnn.com/style/article/gold-coins-england-kitchen-intl-scli/index.html U.K. Couple Finds Rare Gold Coins During Home Renovations | Smart News| Smithsonian Magazine https://www.smithsonianmag.com/smart-n

                        一般家庭の台所の床下から4000万円相当の金貨の山が発見される
                      • 「カラーだった」幻の江戸期の一級史料、高校生が90年ぶり再発見 | 西日本新聞me

                        弥生時代、現在の福岡県筑紫野市に有力な首長墓が存在したことを示す江戸時代後期の記録「鉾之記(ほこのき)」が約90年ぶりに“再発見”された。長らく所在不明となっていたが、市内の九州産業高の生徒たちが郷土史研究の過程で、鉾之記を書いた庄屋の子孫宅から見つけた。市は実物の可能性が高いとして、子孫から古文書を譲り受けた。 二日市村の庄屋だった鹿島九平次は1857(安政4)年、地元で甕棺墓(かめかんぼ)を発見し、入っていた銅剣と銅鏡の絵とともに当時の状況を鉾之記につづった。市文化財課によると、甕棺墓の発見場所や遺物の行方は不明だが、村は有力なクニだった奴国の域内にあり、ランクの高い首長墓だったと考えられている。 ...

                          「カラーだった」幻の江戸期の一級史料、高校生が90年ぶり再発見 | 西日本新聞me
                        • 古代職人の墓を発見、鮮やかな織物や宝飾品も ペルー

                          ペルーのエル・カスティーリョ・デ・ウアルメイ遺跡で、ポーランドとペルーの考古学チームが1000年前の墳墓から発掘した葬儀用織物(撮影日不明、2022年8月24日提供)。(c)AFP PHOTO / ANTAMINA MINING COMPANY 【9月5日 AFP】ペルーの首都リマの北290キロにある有名なエル・カスティーリョ・デ・ウアルメイ(El Castillo de Huarmey)遺跡で、ポーランドとペルーの考古学チームが発見した1000年前の墳墓から発掘された葬儀用織物。 調査チームを率いるポーランド人考古学者のミロシュ・ギエルシュ(Milosz Giersz)氏によると、この墳墓にはワリ(Wari)文化の傑出した職人が金や銀の宝飾品と共に埋葬されていた。(c)AFP

                            古代職人の墓を発見、鮮やかな織物や宝飾品も ペルー
                          • 「名前が判明している世界最古の人物」は、シュメールの『クシムとニサ』。職業はビール原料の倉庫管理。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                            メソポタミアから出土する、楔形文字の粘土板の解析に当たっているベルリン自由大学の研究だという。… ウルクというシュメールの都市(現在のイラク南部)で発見されたその粘土板は、紀元前3400年から3000年にかけてのものだった。つまり、いまから5000年以上も前のものということになる。 シュメール人が文字を使うようになったのは、もともとは文章を書くためではなく、商品の在庫量を記録するためだったらしい。文字を使うと、人間は脳本来の能力を超えることをできるようになる。この粘土板はその最初期の例だろう。 集団が小さく、取引も単純だった頃は、自分の頭ですべてを記憶することができた。しかし、都市が誕生すると、税金もかかるようになり、複数の人間の共有資産も多くなった。そうなると、すべてを頭に入れるのが困難なので、頭の外に記録するようになったのだろう。 文字で記録しておけば誰でも見られるので、見知らぬ人を信

                              「名前が判明している世界最古の人物」は、シュメールの『クシムとニサ』。職業はビール原料の倉庫管理。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                            • 延暦寺の麓に中世の集落跡 湖上交通の拠点、繁栄示す | 共同通信

                              天台宗総本山の比叡山延暦寺(大津市)の麓にある比叡辻遺跡で13~15世紀の集落跡が見つかり、市文化財保護課が1日発表した。集落跡は推定されていたが、発掘で確認されたのは初めて。香道や茶の湯の道具も出土し、文化的水準が高い人物が居住し、繁栄したことがうかがえるという。 同課によると、遺跡付近は湖上交通による流通の拠点として発展した。平安時代後期からは物資を馬や荷車で京都などへ運搬する「馬借」「車借」が集住。室町時代の史料には、高利貸を示す「土倉」や問屋である「問丸」の記述があり、延暦寺や麓の日吉大社(大津市)の門前町としてにぎわった。

                                延暦寺の麓に中世の集落跡 湖上交通の拠点、繁栄示す | 共同通信
                              • 中世の井戸の底から見つかった遺骨の謎、DNA分析で解明 英

                                (CNN) 2004年、英イングランド東部ノリッジのショッピングモールで、工事に取り掛かっていた建設作業員が、800年前の井戸の底から17体の遺骨を発見した。 成人6人と子ども11人からなるこれらの人物が何者で、なぜ中世の井戸の中に入ることになったのか。そうした疑問は長年にわたり考古学者らを悩ませてきた。骨格をそろえた形で並べる他の大規模な埋葬と異なり、見つかった遺骨の並びは奇妙な位置関係にあり、別の人物同士で混ざり合っていた。これはそれぞれが死亡してすぐ、逆さまの状態で井戸に投げ込まれたためである公算が大きい。 これらの人々が死亡した経緯について理解を深めるため、科学者らは最近になって骨に残る詳細な遺伝物質の抽出に成功。これには近年の古代DNA解析の進展が一役買った。 遺骨6体について遺伝情報を調べたところ、その中の4人には血縁関係があることが分かった。うち3人は姉妹で最年少は5歳から1

                                  中世の井戸の底から見つかった遺骨の謎、DNA分析で解明 英
                                • “神風”は本当に吹いた? 「水中考古学」で浮かび上がる歴史に迫る | 佐々木ランディに聞く 「日本に眠る遺産」

                                  海や湖、河川と人の関係の歴史を探る「水中考古学」。沈没船や水中遺跡のみならず、人間が水とどのように関わってきたかを調査する学問だ。 実は、日本では多くの水中考古学的「発見」があり、海外からも注目されるほどだ。と同時に、それらの遺産を守るうえで大きな課題も抱えている。 では、水底に眠る遺跡が現代人に教えてくれることとは? 水中考古学者の佐々木ランディに話を聞いた。 日本は「水中遺跡」大国だった! ──2022年2月に出版された著書『水中考古学 地球最後のフロンティア』では、水中考古学に対する想いが綴られ、印象的でした。同書で伝えたかったことは何ですか。 一番に伝えたかったのは、水中遺跡が「実はどこにでもあるもの」だということです。同時に、世界的に見て、日本がこの分野で大きく遅れをとっている事実を知ってほしいと思いました。「このまま変化を起こさないと貴重な遺産が失われていく」と。 ですが、ただ

                                    “神風”は本当に吹いた? 「水中考古学」で浮かび上がる歴史に迫る | 佐々木ランディに聞く 「日本に眠る遺産」
                                  • エピソード - みみより!解説

                                    「みみより!解説」のこれまでのエピソード一覧です

                                      エピソード - みみより!解説
                                    • Masayuki Tsuda on Twitter: "古代エジプトで使われた木製の鍵(エジプト錠) を復元してその構造を説明している動画。当時の鍵はかんぬきとセットになっていて、複数の穴の開いたかんぬきを差し込んでロックし、穴の位置と合うようにピンが付けられた棒で開錠していました。鍵… https://t.co/gQvaDKrSSz"

                                      古代エジプトで使われた木製の鍵(エジプト錠) を復元してその構造を説明している動画。当時の鍵はかんぬきとセットになっていて、複数の穴の開いたかんぬきを差し込んでロックし、穴の位置と合うようにピンが付けられた棒で開錠していました。鍵… https://t.co/gQvaDKrSSz

                                        Masayuki Tsuda on Twitter: "古代エジプトで使われた木製の鍵(エジプト錠) を復元してその構造を説明している動画。当時の鍵はかんぬきとセットになっていて、複数の穴の開いたかんぬきを差し込んでロックし、穴の位置と合うようにピンが付けられた棒で開錠していました。鍵… https://t.co/gQvaDKrSSz"
                                      • 【THE古墳】太安萬侶の墓誌に幻の文字 発掘から33年後の発見

                                        太安萬侶の墓誌の3次元計測CG画像。銅板に彫られた文字の左側から毛筆の跡(赤い部分)が見つかった。左の写真の「萬」の左側に毛筆跡のわずかな盛り上がりが確認できる(奈良県立橿原考古学研究所付属博物館提供)研究に終わりはない-。古代史ならではの謎解きのロマンを実感させたのが、古事記を編纂(へんさん)した太安萬侶(おおのやすまろ)の墓誌だった。昭和54年の発見以来、多くの研究がなされ、「もう新発見はないだろう」ともみられていたが、予想もしない幻の文字が見つかった。712年の古事記編纂から1300年にあたる平成24(2012)年、レーザー光による3次元測量で、肉眼では全く見えなかった「安萬侶」の毛筆の文字が浮かび上がった。来年は安萬侶の死去(723年)から1300年。再びメモリアルイヤーを迎える。

                                          【THE古墳】太安萬侶の墓誌に幻の文字 発掘から33年後の発見
                                        • 中国 長江 猛暑で水位低下し仏像現れる 約600年前の制作か | NHK

                                          記録的な暑さとなっている中国では、猛暑と干ばつにより水位が低下した川で、およそ600年前に制作されたとみられる3体の仏像が現れ、話題になっています。 ロイター通信によりますと、仏像が見つかったのは、中国内陸部 重慶を流れる長江の岩礁で、通常は水の底に沈んでいる場所だということです。 水位の低下によって、横に並んだ3体の像が現れ、このうち真ん中の1体は、座っているように見えます。 ロイター通信は、中国の報道を引用する形で「およそ600年前に制作されたものだとみられる」と伝えています。 仏像を見に来た男性は「水位が元に戻ったらもう見られないと思うので、見に来ました。私たちの先祖が残してくれた文化財です」と話していました。

                                            中国 長江 猛暑で水位低下し仏像現れる 約600年前の制作か | NHK
                                          • 修復進む古代エジプト王ラムセス3世の「黄金の神殿」

                                            修復作業が行われているエジプト南部ルクソール西方にあるラムセス3世葬祭殿「メディネト・ハブ」の内部(2022年8月4日撮影)。(c)AFP PHOTO / HO / EGYPTIAN MINISTRY OF ANTIQUITIES

                                              修復進む古代エジプト王ラムセス3世の「黄金の神殿」
                                            • トルコ東部で発掘がすすむ「130世紀前の遺跡」が人類史の常識を覆すかもしれない | 世界で最も重要な考古学的遺跡をめぐる旅

                                              自然の岩盤から彫られた高さ2.4メートルほどの硬直した朱色の男根が十数個、青天井の小部屋に押し込められているのを私は見つめている。 同様に、天然の岩を切り出して彫られた奇妙な頭像(人間か、悪魔か、司祭か、神か?)がこの男根型のトーテムを睨んでおり、あたかも原始のガーゴイルのようだ。その表情は陰鬱で、ほとんどしかめつらだ。 彼、または彼女、あるいは「それ」は、この状況のすべてが気に入らないかのように見える。白日の下で何もかもがむき出しの状態となり、130世紀ぶりにこの娑婆に晒されているということが。 そう、130世紀ぶりなのだ。というのも、トルコ東部、砂煙の舞うハッラーン平原からいま現われ出でんとするこれらの男根、独特の小部屋、そしてカラハン・テペの名で知られるこの不可思議な場所全体は、信じがたいほどに太古の存在なのだ。言い方を換えれば、推定1万1000〜1万3000年前に建造されたものなの

                                                トルコ東部で発掘がすすむ「130世紀前の遺跡」が人類史の常識を覆すかもしれない | 世界で最も重要な考古学的遺跡をめぐる旅
                                              • 中世の修道士、「寄生虫まみれだった」 英研究

                                                英ケンブリッジ大学の考古学者らが、中世の修道院の跡地から修道士の遺骨を発掘した/Cambridge Archaeological Unit ロンドン(CNN) 中世イングランドのアウグスティノ修道会の修道士たちは、腸内寄生虫に悩まされる可能性がその他の人々より2倍近く高かったとする研究がこのほど発表された。大半の修道院は洗面設備を有していたが、そうした環境からは予想外の実態が明らかになった。 当時、一般の人々が洗面設備を利用できたケースはまれ。 英ケンブリッジ大学考古学部の研究者らは、地元のアウグスティノ修道会の修道院があった土地から修道士19人の遺骨を発掘した。 これらの修道士の骨盤周辺から採取した土壌サンプルと、町の住民25人のサンプルとの比較により、寄生虫が生活様式の大きく異なる人々の間でどのように蔓延(まんえん)していたかを比べた。町の住民は修道士と同時代の12~14世紀を生きた人

                                                  中世の修道士、「寄生虫まみれだった」 英研究
                                                • 「石器時代の人はどうやって話をしていたの?」に専門家が本気で答えたら… | こどもの疑問に“マジ回答” ツバメイ8歳の疑問

                                                  石器時代は、遠い昔に存在したある時期のことです。だいたい300万年前から始まって、4万年ほど前まで続きました。 「石器時代」と名づけられたのは、私たちの遠いご先祖さまが石で道具を作っていたからです。私たちと同じような人間、つまりホモ・サピエンスが出現したのはほんの20万年くらい前。石器時代が始まってかなり長い時間が経ったころでした。 サルから進化した「原人」と呼ばれる原始的なヒト科のご先祖さまの一部が、大きめの石を砕いたかけらを尖らせて、簡単な石器を作るようになりました。これが石器時代のはじまりです。彼らは後ろ足でなかば立つようにして歩いていたので、前足はそのまま手となって自由に使えました。直立歩行をはじめたばかりの彼らの脳は小さく、チンパンジーの脳とさほど変わりありません。彼らには、言葉を使った会話はなかったと考えられます。 石器時代後期になると、これとは別のタイプのご先祖さまが現れまし

                                                    「石器時代の人はどうやって話をしていたの?」に専門家が本気で答えたら… | こどもの疑問に“マジ回答” ツバメイ8歳の疑問
                                                  • 考古学者・大塚初重さん死去 虎塚古墳「地域の宝に」 茨城県内に功績、悼む声

                                                    ひたちなか市埋蔵文化財調査センターの虎塚古墳石室のレプリカを背にした大塚初重さん=2011年11月 虎塚古墳の見学者に説明する大塚さん(手前)=1973年9月、いずれも同市教育委員会提供 日本の考古学研究をけん引し、幾何学文様の彩色壁画で知られる「虎塚古墳」(茨城県ひたちなか市中根)を発掘した考古学者で明治大名誉教授、大塚初重(はつしげ)さんが先月21日に亡くなった。95歳だった。発掘調査するだけでなく、市民に公開することで「身近な存在」「地域の宝」として根付かせた虎塚古墳の功労者だ。茨城県考古学に広く関わり、教えを受けた研究者も多い。茨城県内関係者から「地域との関わりを大切にしてくれた」と追悼の声が相次いでいる。 ■彩色壁画に歓声 大塚さんは登呂遺跡(静岡市)をはじめ、綿貫観音山古墳(群馬県高崎市)など数々の遺跡の発掘調査に関わり、戦後の日本考古学の礎を築いた。東京都出身。2005年、瑞

                                                      考古学者・大塚初重さん死去 虎塚古墳「地域の宝に」 茨城県内に功績、悼む声
                                                    • 19世紀に貯水池に消えた英ウェールズの村、干ばつで姿を現す

                                                      ロンドン(CNN) 伝説の島「アトランティス」と違って、水中に沈んでいた19世紀の英国ウェールズのとある村の遺跡が干ばつによって姿を現した。 ウェールズ・ポーイスにあるビルンウィ湖の水位が下がり、ランウッディーン村の遺跡が出現した。 ランウッディーン村の遺跡が最後に目にされたのは1976年の干ばつ時だったと地元メディアは報じている。 英国ではここ数週間、全土で記録的な高温が続き、多くの河川や貯水池と同様にビルンウィ湖の水位も下がった。 英気象庁によると、先月18日にフリントシャー郡の北東部でウェールズの過去最高となる気温が観測され、ビルンウィ湖から約72キロの地点では気温が37.1度に達したという。 写真家のフィル・ブラッグ氏がCNNに語ったところによると、村の一部は1週間前から現れ始めた。ウェールズ中央部に28年間住み、何度も同湖を訪れている同氏は雨が降る直前まで待ち、ビルンウィ湖の水が

                                                        19世紀に貯水池に消えた英ウェールズの村、干ばつで姿を現す
                                                      • 古墳時代初頭に中型犬か 奈良・纒向遺跡 | 共同通信

                                                        Published 2022/08/15 18:08 (JST) Updated 2022/08/15 18:58 (JST) 邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡(奈良県桜井市)で出土していた古墳時代初頭の犬の骨を分析したところ、背中までの体高は約48センチで中型犬の大きさと推定されることが15日、分かった。古代の犬は、小、中小、中、中大、大級に分類される。弥生時代までは小型犬が主流で、今回は中大級に該当し、古墳時代になって大陸からもたらされた可能性を示すという。成果は桜井市纒向学研究センターの研究紀要に掲載された。 犬は縄文時代から番犬や猟犬として飼われ、弥生時代には食用の習慣が伝わったとされる。骨は市教委の2014年度調査で出土。3世紀前半のものと考えられるという。

                                                          古墳時代初頭に中型犬か 奈良・纒向遺跡 | 共同通信
                                                        • 縄文時代の人々の寿命について - 茅野市ホームページ

                                                          来館されるお客様からよく尋ねられる質問の一つに、縄文時代の人々の寿命があります。質問というよりは「縄文時代の平均寿命って30歳くらいなんですよね?」というような、何となく覚えている知識に対する再確認のようなものです。 現在の日本は、世界的にもトップクラスの長寿国ですが、この長寿命は、食生活をはじめとする生活習慣や保険制度の充実などの行政システムが複合的に絡み合って達成したものだと言えると思います。 文明化以前の太古の昔では医学が未発達であることも踏まえ、このような長寿命になったことから、「縄文人寿命30歳説」は現代の多くの人が納得できるものだったと言えるでしょう。 縄文人寿命30歳説 では、この「縄文人寿命30歳説」はどこから出てきたのでしょうか。一般概説書にもよく書かれてきた「縄文人寿命30歳説」は、1967年に発表された「出土人骨による日本縄文時代人の寿命の推定」に基づくものです。この

                                                          • 小田原市で前方後円墳見つかる 神奈川で2番目の古さ(tvkニュース(テレビ神奈川)) - Yahoo!ニュース

                                                            小田原市は、市内で初めてとなる前方後円墳が見つかったと発表しました。3世紀末の古墳時代初頭に作られたものとみられていて、神奈川県内では、2番目の古さだということです。 小田原市の担当者によりますと、見つかった古墳は、土が盛られた「墳丘」部分は削り取られてしまっていましたが、その周りの溝である「周溝」が前方後円墳の形に残っていて、8月9日に、東海大学の専門家が確認したところ、古墳と認められたということです。 この古墳は、長さが35メートル、幅が25メートルほどとみられていて、中からは、祭祀に使われたり、墓に入れられたりする底部穿孔土器(ていぶせんこうどき)は見つかりましたが、棺は削り取られた部分に入っていたとみられ、見つからなかったということです。 この遺構は、個人住宅の地下から見つかったことや、史跡として保存する必要がないと判断されたため、写真や図面を記録したあと、8月中に埋め戻す予定だと

                                                              小田原市で前方後円墳見つかる 神奈川で2番目の古さ(tvkニュース(テレビ神奈川)) - Yahoo!ニュース
                                                            • 350年前のスペイン難破船、宝物の山を発見

                                                              350年前に沈没した難破船から宝石などさまざまな「宝物」が見つかった/ Courtesy The Bahamas Maritime Museum 海賊の伝説からハリウッド超大作にいたるまで、埋蔵された宝物や大昔の難破船の話は何世紀も人々を魅了してきた。だが、ある探検家チームにとっては伝説が現実になった。350年前に沈没したスペインのガレオン船から遺物の山を引き揚げると、そこにはかつて海洋の騎士たちが所有していた金貨や宝石や貴重な宝飾品が含まれていた。 1656年、「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス(魅惑の貴婦人)」号は仲間の船と衝突した後、バハマ沖のサンゴ礁にぶつかって沈没した。船はキューバからスペインのセビリアへ、フェリペ4世へ税金として納める献上品など大量の宝を運んでいた。891トンの船は2年前に沈んだ別の沈没船から回収した宝を運ぶ任務も負っていたため、積荷はいつもより重

                                                                350年前のスペイン難破船、宝物の山を発見
                                                              • 内戦の傷伝える廃虚の村 スペイン

                                                                スペイン内戦時の廃虚のまま残るアラゴン州ベルチテの元中心部(2022年7月8日撮影)。(c)CESAR MANSO / AFP 【8月7日 AFP】スペインの多くの村がそうであるように、北部アラゴン(Aragon)州のベルチテ(Belchite)も1936~39年の内戦で徹底的に破壊された。だが、今も内戦末期の姿をほぼとどめているのはこの村だけだ。 散乱するがれきの中に辛うじて立つ時計台、大聖堂に残る弾痕や迫撃砲の穴──。集団墓地で人骨を掘り起こしながら、考古学者のイグナシオ・ロレンソ(Ignacio Lorenzo)氏は「男性、女性、子どもも見つかっています」と言う。 「左派政党に投票したこと、あるいは組合に加入していたことが罪とされました」 ロレンソ氏のチームが発見した90人の遺骨の中には、手足を縛られたものや、拷問の痕が残るものもあった。 生存者の証言によると内戦初期、フランシスコ・

                                                                  内戦の傷伝える廃虚の村 スペイン
                                                                • コインでしか知られていなかった失われた古代都市「ナトウニア」を山中で発見した可能性 : カラパイア

                                                                  最近、イラクのザグロス山脈で古代の山岳要塞が発見された。これこそが、失われた古代都市「ナトウニア」ではないかと、専門家たちが色めき立っている。 ナトウニアは、かつての重要な王立都市で、これまでは数枚のコインでしかその存在が知られていなかった。 この調査結果は、『Antiquity』誌(7月20日)に発表された。

                                                                    コインでしか知られていなかった失われた古代都市「ナトウニア」を山中で発見した可能性 : カラパイア
                                                                  • 雨が降った後だけ現れる古代人の足跡「ゴーストトラック」が発見される

                                                                    アメリカ・ユタ州にあるグレートソルトレイク砂漠にて、雨が降った後のみ見えるようになるという謎の足跡「ゴーストトラック」が発見されました。少なくとも1万2000年前の人類が残したものではないかと見られています。 Archaeologists discover more pieces of the ancient past on UTTR > Hill Air Force Base > Article Display https://www.hill.af.mil/News/Article-Display/Article/3104657/archaeologists-discover-more-pieces-of-the-ancient-past-on-uttr/ 'Ghost footprints' left by ancient hunter-gatherers discovered in

                                                                      雨が降った後だけ現れる古代人の足跡「ゴーストトラック」が発見される
                                                                    • “年間329日も出勤” 平城宮跡で女官の勤務評価の木簡出土|NHK 奈良県のニュース

                                                                      奈良市の平城宮跡から、奈良時代の女性の役人、女官の勤務評価を記した木の札、「木簡」が初めて見つかりました。 この女性は、年間329日も出勤していたということで、研究者は「奈良時代の女官の実態を知るうえで貴重な資料だ」としています。 木簡は、奈良時代の都の跡、平城宮跡のうち、天皇の住まいがあった「内裏」と呼ばれる区画に近い水路の跡で去年、見つかりました。 木簡の長さはおよそ17センチ、幅およそ3センチで、女性を意味する「牟須売(むすめ)」の文字と年齢を示す「年五十九(とし・ごじゅうく)」、年間の出勤日数とみられる「日参佰弐拾玖(にち・さんびゃくにじゅうく)」という文字などが墨で書かれていました。 調査にあたった奈良文化財研究所では、この木簡は、およそ1300年前の奈良時代前半のもので、記載内容から、宮廷につかえた女性の役人、女官の勤務を評価したものではないかと見ています。 女官の勤務評価を記

                                                                        “年間329日も出勤” 平城宮跡で女官の勤務評価の木簡出土|NHK 奈良県のニュース
                                                                      • 「竜脚類は植物食」歯化石の傷を立体分析、恐竜で初解明 早稲田大など | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」

                                                                        竜脚類の恐竜が植物を食べていたことを、歯の化石の傷を立体的に分析して裏付けた。早稲田大学などの研究グループが発表した。これまでは歯や顎の形から推測されてきたが、岩手県久慈市で見つかった化石から、初めて客観的な証拠を得たという。食べ物で歯が摩耗した痕跡を3次元で調べる手法を、恐竜に初適用。恐竜の食べ物の物性を客観的に示したのは、世界初という。 竜脚類は首と尾が非常に長く四本足で歩く恐竜で、植物食と推定されてきた。ただ現在、似た形の動物がいないなどの事情で、決め手を欠いていた。 そこで研究グループは、食べ物により歯が擦れ、歯に微小な摩耗痕ができることに着目した。久慈市の中生代白亜紀の約9000万年前の地層から見つかった、竜脚類の歯の化石8本の先端の摩耗痕を、顕微鏡を使って立体的に測定。得られたデータを卵、肉、昆虫、植物、藻類、果実などさまざまな物を食べる現生のトカゲのものと比べ、食べ物の硬さを

                                                                          「竜脚類は植物食」歯化石の傷を立体分析、恐竜で初解明 早稲田大など | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
                                                                        • 熱波襲来の英国、隠れていた17世紀の庭園が出現 芝生が枯れ

                                                                          (CNN) このほど英国全土を襲った熱波の影響で、ダービーシャー州にある歴史的邸宅チャッツワース・ハウスの芝生が枯れ、17世紀に存在した観賞用庭園の遺構が現れた。邸宅を管理する団体が明らかにした。 同団体によると、観賞用庭園の輪郭は1699年にさかのぼるものだという。 史料の絵を見ると、当時は広大な庭園であったことが分かる。この庭園は1730年ごろに置き換えられた。 今後再び雨が降り、芝生が伸びるにつれ、庭の輪郭は少しずつ消えていく見通し。 同団体によると、チャッツワース・ハウスはデボンシャー公爵一家の自宅で、16世代にわたり受け継がれてきたという。

                                                                            熱波襲来の英国、隠れていた17世紀の庭園が出現 芝生が枯れ
                                                                          • 縄文時代は中国北部も温暖だった

                                                                            中国の研究グループの発表によると、約8000年から5000年前までは、北京付近は暖かかった。 推計によると、1月の平均気温は現在より7.7℃も高く、年平均気温も3.5℃も高かった。 分析されたのは白洋淀(Baiyangdian)という北京近くの湖の湖底の地層だ。花粉などの堆積物を調べることで、当時の気温が推計できる。 図は、同様の複数の分析から得られたミズワラビの分布図。黄色の点が8000年前から5000年前にかけて分布していた場所で、点線が北限。同様に、赤色の点は現在の分布場所で、点線が北限。 ミズワラビは、熱帯にある水生植物で、気温が10℃以下になると成長を停止する。昔は、現在の中国南部のような温暖な気候が、黄河を超えて北京より北まで広がっていたことが分かる。

                                                                              縄文時代は中国北部も温暖だった
                                                                            • 奈良時代の「九九」早見表、木簡が出土…役所で使用か「字が丁寧で計算間違いもない」

                                                                              【読売新聞】 かけ算の「九九」の式35個を記した奈良時代の木簡が、京都府京丹後市の●尾遺跡(8世紀)から出土した。九九木簡は全国で約80例見つかっているが、一つの木簡に書かれた式は15個以下で、今回が最多という。当時の役所で早見表と

                                                                                奈良時代の「九九」早見表、木簡が出土…役所で使用か「字が丁寧で計算間違いもない」
                                                                              • 干ばつのイタリア、川の水位低下で遺跡出現 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

                                                                                イタリアでは一部地域がここ70年で最悪の干ばつに見舞われており、河川の水位が低下したことで、これまで水没していた考古学的な遺構や遺物が出現している。 同国北西部ロンバルディア州にあるポー川の支流オーリオ川では、干上がった川底から、紀元前2300~700年の青銅器時代の建築物の支柱が出現した。同州のコモ湖では、湖底から約10万年前の大型の鹿の頭蓋骨や、サイ、ハイエナ、ライオンの骨が発見された。 北東部エミリアロマーニャ州のポー川沿いにある野生生物保護区では、第2次世界大戦時に沈没した船2隻の残骸が現れた。ベネチアのジュデッカ造船所で建造されたもので、1943年にドイツの攻撃を受けて沈没していた。ポー川ではさらに、第2次大戦中の1944年に米国の爆撃により沈没した長さ55メートルの荷船も姿を現した。 ポー川の主要な支流の一つである北部ピエモンテ州のセージア川では、赤れんがの遺跡が水中から現れ、

                                                                                  干ばつのイタリア、川の水位低下で遺跡出現 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
                                                                                • 「古代常陸の雄 三昧塚古墳」展 @明治大学博物館・お茶の水 - 墳丘からの眺め

                                                                                  7月23日土曜日、三昧塚古墳展を見に、明治大学博物館へ。 土曜日なので、古墳カレーの特別メニューがあるレストランはお休み。 土曜日は15時までと知らず、着いたのは閉館20分前ぐらいでした。 (月~金・10:00~17:00、土・10:00~15:00、日曜は8月7日以外休館。8月7日まで) 入館無料。撮影可。 三昧塚古墳の概要。 昭和30年(1955)に土取り工事の対象となり、トロッコで土砂を大量に運び出しているところを偶然に通りがかった県の文化財関係者が目撃、消滅前の緊急発掘調査が20日余りの期間で行われ未盗掘の石棺と大量の副葬品が出土。その成果により工事が中断され消滅を免れ、墳丘も復元整備されました。 自分が茨城県行方市の三昧塚古墳を訪ねたのは、古墳巡りを始めてすぐの2013年でした。 舟塚山古墳、府中愛宕山古墳、三昧塚古墳、富士見塚古墳 - 墳丘からの眺め 今回の展示は、その調査の様

                                                                                    「古代常陸の雄 三昧塚古墳」展 @明治大学博物館・お茶の水 - 墳丘からの眺め