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古文書の検索結果1 - 40 件 / 46件

古文書に関するエントリは46件あります。 歴史history研究 などが関連タグです。 人気エントリには 『源氏物語が好きすぎてAIくずし字認識に挑戦でグーグル入社 タイ出身女性が語る「前人未到の人生」 | Ledge.ai』などがあります。
  • 源氏物語が好きすぎてAIくずし字認識に挑戦でグーグル入社 タイ出身女性が語る「前人未到の人生」 | Ledge.ai

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      源氏物語が好きすぎてAIくずし字認識に挑戦でグーグル入社 タイ出身女性が語る「前人未到の人生」 | Ledge.ai
    • 嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち(Yahoo!ニュース 特集)

      歴史的事実の検証に必要な古文書。だが、その中に嘘が含まれているものもある。そんな偽文書の一つが、江戸時代後期に国学者の椿井政隆によって作られた「椿井文書(つばいもんじょ)」だ。京都や滋賀を拠点に偽の歴史を大量につくったとされる。それを検証する本が昨年出版されると、各地で困惑する人が出始めた。椿井文書には何が記され、どんな影響を与えているのか。取材した。(取材、撮影:ノンフィクションライター・伊田欣司/Yahoo!ニュース 特集編集部)

        嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち(Yahoo!ニュース 特集)
      • エピソード - みみより!解説

        「みみより!解説」のこれまでのエピソード一覧です

          エピソード - みみより!解説
        • 「巨大地震が起こる確率80%」の根拠がタンスの古文書って… あぜんとした記者は徹底検証のため高知へ向かった:東京新聞 TOKYO Web

          われわれが繰り返し聞かされてきた、南海トラフ地震の30年以内の発生確率が「70〜80%」という国の予測(80%予測)。それがどう計算されたのかはほとんど知られていない。その確率の根拠が江戸時代に港を管理していた役人の一族に伝わる古文書だと、知り私は驚いた。  南海トラフ地震 静岡県の駿河湾から九州沖の海底に延びる溝(トラフ)沿いで起きる巨大地震。過去1400年の歴史上、100〜200年間隔で大地震が起きている。政府の中央防災会議は2012年、最悪の場合、死者が約32万人に上ると想定。地震調査委員会は13年に南海トラフ全域でマグニチュード(M)8以上の巨大地震が30年以内に起きる確率は60〜70%と発表。18年には年数の経過により70〜80%と引き上げられた。

            「巨大地震が起こる確率80%」の根拠がタンスの古文書って… あぜんとした記者は徹底検証のため高知へ向かった:東京新聞 TOKYO Web
          • 源氏物語で最古の写本発見 定家本の1帖「教科書が書き換わる可能性」|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

            源氏物語の現存する最古の写本で、鎌倉時代の歌人・藤原定家による「定家本」のうち「若紫」1帖(じょう)が、東京都内の旧大名家の子孫宅で見つかった。冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)が8日発表した。定家が校訂したとみられる書き込みや、鎌倉期に作られた紙の特徴などから、同文庫が定家本と鑑定した。 既に確認されている定家本4帖は、いずれも国の重要文化財に指定されている。「若紫」は、光源氏が後に妻となる紫の上との出会いを描く重要な帖だけに、今後の古典文学研究に大きな一石を投じる可能性がある。 源氏物語(全54帖)の定家本は、紫式部による創作から約200年後の13世紀初めに書き写された。昭和初期に国文学者・池田亀鑑(きかん)が調べ、「花散里(はなちるさと)」「柏木」「行幸(みゆき)」「早蕨(さわらび)」の4帖が確認されていた。 今回鑑定した元文化庁主任文化財調査官の藤本孝一氏によると、冊子の大きさは縦2

              源氏物語で最古の写本発見 定家本の1帖「教科書が書き換わる可能性」|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
            • 65年ぶりに“聖書の原型”「死海文書」発見される

              約2000年前に書かれた聖書の原型ともいえる「死海文書」が新たに発見されました。今回の発見は65年ぶりです。 歴史的な発見があったのは、中東の死海のほとりに広がるユダヤ砂漠で、調査隊はロープを付けて崖を降りなければたどりつけない横穴、通称「恐怖の洞窟」で発掘を続けてきました。 イスラエル考古学庁によりますと、発見されたのは約2000年前に書かれた巻物の断片20個ほどで、ギリシャ語で旧約聖書にある「ゼカリヤ書」の一節などが書かれていました。 神の名前だけがヘブライ語で書かれていたということです。 このほか、約1万年前に作られた世界最古とみられる編みかごや、自然にミイラ化した6000年前の子どもの遺体も発見されたということです。 この地域で発見された古代の文書は死海文書と呼ばれ、聖書の原型を知るうえで貴重な資料となっています。 また、多くの謎が残されているため、世界的な関心を呼んできました。

                65年ぶりに“聖書の原型”「死海文書」発見される
              • 【2日12時追記】フランスにて発見された読解不能な日本語の古葉書、内容を知りたいと投稿→2時間で年代、差出元、大体の内容が解き明かされる【集合知】

                6/2、12:00頃更新 様々な専門家たちが集い、一大プロジェクトみたいになってきましたね... 完全に追いきれなくなってきたので投稿者さんのツイート、RTを中心に更新しています

                  【2日12時追記】フランスにて発見された読解不能な日本語の古葉書、内容を知りたいと投稿→2時間で年代、差出元、大体の内容が解き明かされる【集合知】
                • 農家の蔵に眠る行李、出てきた文書に国立公文書館が「大変なもの」:朝日新聞デジタル

                  長野県中野市で果樹農家を営む男性が、自宅の蔵の整理をしていて見慣れぬ行李(こうり)を見つけた。入っていたのは、大量の文書と1枚の写真。専門機関に相談すると、「大変なもの」だった。 資料を見つけたのは田中武徳さん(67)。3年ほど前、大切な文書などを火災などから守るために堅牢につくられた文庫蔵を整理していた際、2階の棚に黒っぽい行李が置いてあるのに気づいた。手の込んだつくりに思え、貴重なものがはいっている予感がした。開けると、濃紺の風呂敷がかぶせられ、中からは大量の文書と、建物を写した写真が出てきた。写真の裏に「枢密院の建屋」と手書きされていた。 どんな価値があるものなのか分からず、国立公文書館(東京都千代田区)に持ち込んでみた田中さん。その場で「貴重なもの」と驚かれた。 公文書館が数カ月かけて作成した目録によると、見つかったのは、明治憲法下における天皇の最高諮問機関だった「枢密院」の関係文

                    農家の蔵に眠る行李、出てきた文書に国立公文書館が「大変なもの」:朝日新聞デジタル
                  • 江戸時代の奉行は慎重だった? 当時の貴重な「裁判記録」発見 | NHK

                    “大岡裁き”などで知られる江戸時代の奉行らが実際にはどのような裁判をしていたのか、当時を知る手がかりとなる記録が見つかりました。 江戸時代の裁判記録は関東大震災で焼失したものも多く、専門家は「江戸時代の役人が慎重に刑罰を判断していたことがうかがえる貴重な資料だ」としています。 新たに見つかったのは「御仕置廉書(おしおきかどがき)」という18冊の冊子で、幕末までのおよそ150年にわたって江戸幕府の奉行所で言い渡された判決が年代や刑罰ごとに記録されています。 雇い主を殺した罪に問われ、死刑の中でも最も重い「はりつけ」とされた男の判決には、最終的な結論を出した老中の名前が書かれていて、奉行所だけで判断せずに幕府の中枢の役人にも伺いを立てていたことが確認できます。 また、ところどころ付箋のようなものが貼られ、過去の判決を参考に刑を考えていた様子がうかがえるほか、無罪となったケースを集めた「無搆(か

                      江戸時代の奉行は慎重だった? 当時の貴重な「裁判記録」発見 | NHK
                    • 博物館などで古文書食べる害虫「シミ」相次いで発見 外来種か | NHK

                      博物館などで紙の資料を食べることから害虫とされる「シミ」について、国内ではこれまで報告が無かった種類が全国で相次いで見つかっていることが分かりました。従来の「シミ」より繁殖力が高いとみられ、専門家は、文化財などに被害が出るおそれがあるとして、対策が必要だとしています。 紙を食べる昆虫、「シミ」は、博物館などに保管されている古文書などを損傷させる害虫として知られています。 東京文化財研究所などのグループによりますとこの数年、国内の博物館などからこれまで知られていた種類とは異なる「シミ」が相次いで報告されたことから、DNA解析などを行ったところヨーロッパや中米などに生息する外来種とみられることが分かったということです。 この「シミ」は体長が1センチほどで色が白っぽいということで、グループでは、和名として「ニュウハクシミ」と名付けました。 グループによりますと少なくとも国内の7か所で確認され、1

                        博物館などで古文書食べる害虫「シミ」相次いで発見 外来種か | NHK
                      • 島原の乱でも「忍者」暗躍 古文書に記述、九州での存在明らかに | 毎日新聞

                        江戸時代初期に起こった農民やキリシタンによる島原・天草一揆(島原の乱、1637~38年)で、鎮圧に当たった九州の大名が抱えていた「忍者」が暗躍していたことが、近年の研究で明らかになってきた。九州では忍者の存在はあまり注目されてこなかったが、忍者によるまちおこしを目指す動きと連動して各地で史料分析が進んだ。 古文書から松江藩などで忍者の存在を裏付けた三重大国際忍者研究センターの山田雄司教授(日本中世史)は、忍者でまちおこしを目指す佐賀県嬉野市や、NPO法人「福岡忍者普及協会」(福岡市)から、それぞれの地元で忍者が実在したか調査を依頼され、2017年から九州の古文書を調べている。

                          島原の乱でも「忍者」暗躍 古文書に記述、九州での存在明らかに | 毎日新聞
                        • 日本の中世文書WEB

                          日本の中世(11~16世紀頃)の文書の読み方を学習するためのコンテンツです。国立歴史民俗博物館の2018年秋企画展示「日本の中世文書―機能と形と国際比較―」の展示内容を元に制作しました。

                            日本の中世文書WEB
                          • 死海文書、米博物館の断片は「すべて偽造」 - BBCニュース

                            200ページにおよぶ報告書では、「この断片のあらゆる特徴が、慎重に偽造されたものであることを示唆している」と述べられている。

                              死海文書、米博物館の断片は「すべて偽造」 - BBCニュース
                            • そあん(soan):古活字画像を用いて現代日本語テキストをくずし字画像に変換/共有するサービス

                              ライブラリのアプリ化 現代のニュースをくずし字で読んでみませんか?内容がわかるテキストをくずし字で読んでみると、くずし字に対する印象が変わるかもしれません。 edomi ニュース その他の事例については、活用事例を参照してください。 構成 古活字とくずし字 そあん(soan)で用いる「古活字」とは、今から400年ほど前に使われた印刷技術に由来する言葉です。一方「くずし字」とは、くずして書かれた文字を指す言葉です。くずし字は、印刷では古活字版だけでなく整版印刷にも使われましたし、写本などの手書きの文字(草書体)も、その多くはくずし字です。一方、古活字の中には、文字を崩していないものもあります。このように、古活字は印刷技術を指す言葉、くずし字は文字の形を指す言葉、という違いがあります。 そあん(soan)は、テキストをくずし字画像に変換する方法として、古活字画像を組み合わせる方法を用いるサービ

                                そあん(soan):古活字画像を用いて現代日本語テキストをくずし字画像に変換/共有するサービス
                              • 神社関係者が書類の保管について「紐で綴るのがベスト」と言う理由に納得「二百年経っても大丈夫」

                                別府八幡宮【公式】 @beppuhatimanguu ここ数日社務所奥の間で色々な資料を片付けていて思うのは書類を纏めるなら紐で綴るのがベストなんだなということ ホッチキスやクリップでとめたものは二十年も経ってなくても錆びてしまいボロボロに 輪ゴムでとめたものは溶けて貼り付いてしまい大惨事 紐で綴ったものは二百年近く経ってても大丈夫 2019-09-15 13:45:28

                                  神社関係者が書類の保管について「紐で綴るのがベスト」と言う理由に納得「二百年経っても大丈夫」
                                • 国宝の藤原定家「源氏物語」注釈書、欠損1枚が掛け軸に貼られた状態で発見(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

                                  鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語奥入(おくいり)」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定されているが、少なくとも10ページ以上が欠損しており、今回見つかったのはそのうちの1ページ。池田和臣・中央大名誉教授が東京都内の古美術商から掛け軸に貼られた状態で購入し、定家筆源氏物語奥入の一部と確認した。 定家筆源氏物語奥入は、定家が家中の女性たちに源氏物語全54帖(じょう)を写させ、その際に各巻末に記した注釈部分だけを後に切り出して1冊にまとめたもの。今回発見されたページは縦16・7センチ、横14・9センチで、池田名誉教授が2年前、古美術商から「定家筆かもしれない」と聞いて掛け軸ごと購入した。調査すると、現存する奥入原本の近接ページにも、このページと同じ形の虫食い痕があったことや、書体も定家独特のものであることなどが分かり、定家筆と確

                                    国宝の藤原定家「源氏物語」注釈書、欠損1枚が掛け軸に貼られた状態で発見(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
                                  • 明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に:朝日新聞デジタル

                                    戦国武将の織田信長(1534~82)が、配下の明智光秀(1528?~82)に討たれた本能寺の変(1582年)をめぐり、光秀は本能寺(京都市中京区)の現場には行かず、部下に実行させていたとする学説が出てきた。本能寺の変に参加した家臣から聞いた情報として、事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。これまで映画やドラマなどでは光秀本人が寺を襲ったように描かれてきたが、それを裏付ける史料はなく、研究者の間でも議論されてきた。 古文書は江戸時代前期に、加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が書いた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻本)。史料の存在は一部で知られていたが、主に加賀藩に関わる部分が注目されてきた。このほど、富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)が読み解いて明らかにした。 萩原さんによれば、本

                                      明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に:朝日新聞デジタル
                                    • 甘葛(あまづら)を復元し『枕草子』『今昔物語集』に登場した究極古代スイーツを作る | ブルーバックスアウトリーチ | 講談社

                                      失われた幻の甘味料「甘葛」 砂糖が日本に伝来したのは754年。唐の高僧・鑑真によるものとされています。しかし、砂糖が広く口にされるようになるには、鎌倉時代以降の対外貿易の拡大まで待たねばなりませんでした。 ですが、古代の日本人もおいしいスイーツを食べていました。当時の日本には「甘葛(あまづら)」という甘味料があったのです。 甘葛は多くの古典籍にたびたび登場しています。たとえば芥川龍之介の名作『芋粥』のもととなった『今昔物語集』『宇治拾遺物語』の説話には、甘葛で煮た芋粥が饗宴のご馳走だと記されており、飽くほど食べたいと望む貴族が登場しています。 さらに『枕草子』では、夏に氷室から出された氷に甘葛をかけるかき氷が「あてなるもの(上品で雅なもの)」として登場しています。 貴族社会における優雅な生活文化を演出する上で、甘葛はとても重要な存在でもあったのです。 ▲清少納言著『枕草子』四十七段「あてな

                                        甘葛(あまづら)を復元し『枕草子』『今昔物語集』に登場した究極古代スイーツを作る | ブルーバックスアウトリーチ | 講談社
                                      • 細川忠興が記した書物の裏に石田三成らの自筆書状 | NHKニュース

                                        戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、細川家が九州の有力大名となる礎を築いた細川忠興が記した書物の裏に石田三成や古田織部の自筆の書状があることが東京大学史料編纂所などの調査でわかりました。専門家は豊臣秀吉に仕えた武将たちの素顔がうかがえる貴重な史料だとしています。 細川忠興は戦国時代から江戸時代初期の武将で、豊臣秀吉などに仕え、細川家が九州の有力大名になる礎を築いたほか、茶道などにも通じた文化人としても知られています。 細川家の史料を保管している東京 文京区にある永青文庫と東京大学史料編纂所は共同で巻物になっていた忠興が記した書物を調べたところ、忠興が受け取った書状などの裏側を再利用していることがわかりました。 その中には、1586年ごろ、秀吉に一緒に仕えていた石田三成や古田織部が自筆で忠興に宛てた書状が含まれていました。 石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて忠興

                                          細川忠興が記した書物の裏に石田三成らの自筆書状 | NHKニュース
                                        • ニホンヤモリは外来種だった!遺伝子と古文書で解明したヤモリと人の3千年史

                                          【本学研究者情報】 〇東北アジア研究センター 教授 千葉聡 研究室ウェブサイト 【発表のポイント】 ニホンヤモリは約3000年前に中国から九州に渡来後、人の移動や物流に便乗して東に分散したことを、ゲノムワイドの変異解析と古文書の記録で推定。 ニホンヤモリの分布拡大パターンは日本社会の発展と同調。 現在の生物分布と多様性に、近代以前の人と生物の関係が強く影響。 【概要】 ニホンヤモリは、日本民家の"隣人"で家の守り神(家守)として親しまれていますが、中国東部にも分布しており、実は在来種ではなく外来種ではという疑いがもたれてきました。しかし、渡来期も含めその来歴は不明でした。東北大学大学院生命科学研究科博士課程学生の千葉稔氏と東北アジア研究センターの千葉聡教授らのグループは、その日本進出の過程を、ゲノムワイドの変異解析と古文書の調査から推定することに成功しました。 ニホンヤモリは、約3000年

                                            ニホンヤモリは外来種だった!遺伝子と古文書で解明したヤモリと人の3千年史
                                          • 豊臣秀吉が妻の北政所に宛てた自筆の書状見つかる 鹿児島 | NHK

                                            鹿児島市にある県歴史・美術センター「黎明館」に預けられた島津家一族の資料の中から、豊臣秀吉が妻の北政所に宛てて書いた自筆の書状が見つかりました。 書状は、朝鮮半島に兵を出した文禄・慶長の役の際に、秀吉が城を築いた現在の佐賀県の名護屋から北政所に宛てて書かれたものです。 天正20年(1592年)6月3日に書かれたと推定されています。 手紙には、「当年中には唐国、明を取り唐国に遷ったら迎えを遣わせる」と書かれ、文末には「まんどころ殿太閤」と記されています。 東京大学史料編纂所の協力を得て、筆跡などの研究を進め、秀吉の自筆の書状だと確認したということです。 この書状は5月31日から「黎明館」で開かれる企画展で展示されます。

                                              豊臣秀吉が妻の北政所に宛てた自筆の書状見つかる 鹿児島 | NHK
                                            • 仏壇の中から約200年前の陰陽師のものらしき古文書が出現→Twitterに投稿して書籍名が判明するまで

                                              たねんぼ @tanenbo_00 絵と写真とアートと色々。やってます。13期。🌵←☁️→🐳 いったりきたりしたい。 【pixiv】https://t.co/M2bgC6xUGa 【ご依頼】tanenboworks.00@gmail.com

                                                仏壇の中から約200年前の陰陽師のものらしき古文書が出現→Twitterに投稿して書籍名が判明するまで
                                              • ふすま剥がしたら…「徳川家康」関連の古文書 台風で被災した酒々井・清光寺への調査で発見 専門家「史料的価値高い」

                                                徳川家康が認めたとされる書状の写し。「天正元年 家康御書判」や「永代大樹寺」などと記されている=1日、酒々井町の清光寺 徳川家とゆかりのある酒々井町上本佐倉の浄土宗の寺院「清光寺」(福田大和住職)で、江戸幕府との関係性などを示す書状の写しなど多数の古文書が見つかっていたことが2日、町などへの取材で分かった。昨秋の台風で甚大な被害を受け、建て替え方針が打ち出されている同寺への歴史調査で明らかになった。桶狭間の戦い後、故郷に戻り独立した家康の書状の写しなどもあり、専門家は「中世の史料は相対的に少なく、史料的価値は高い。徳川家、江戸幕府と清光寺の関係解明のきっかけにもなる」と期待している。 町などによると、清光寺は室町時代末期の1556年に月峯上人によって開山された古刹(こさつ)。将軍家所縁の寺院として、「葵の紋」を許可されている。91年に徳川家康から御朱印地五十石を拝領され、家康や2代将軍の秀

                                                  ふすま剥がしたら…「徳川家康」関連の古文書 台風で被災した酒々井・清光寺への調査で発見 専門家「史料的価値高い」
                                                • 古文書に記された『神津島の噴火の音が京都まで聞こえた』という記録が、トンガの大噴火でリアリティを帯びてきた

                                                  人工衛星からの映像と各地から届く衝撃波の動画が、昔の記録に「そういうことか」という納得感を与えています。 後世になってからの「これってあれのことでは?」という読み解きはたまらないものがありますね。

                                                    古文書に記された『神津島の噴火の音が京都まで聞こえた』という記録が、トンガの大噴火でリアリティを帯びてきた
                                                  • 江戸時代の武家のボーナス支給明細も 古文書2300点余発見 愛知 | NHKニュース

                                                    愛知県豊田市にある寺のふすま絵の下張りから、江戸時代前期の武家の帳簿や証文など大量の古文書が見つかりました。今でいう“ボーナスの支給明細”のような文書もあり、当時の武家の財政事情や暮らしぶりがうかがえる貴重な資料として注目されます。 古文書が見つかったのは徳川家康の重臣、渡邉守綱の菩提寺で、豊田市にある守綱寺です。 本堂にある狩野派の絵師が描いたとされる「松に禽鳥図」という8枚のふすま絵の修復作業を行っていたところ、下張りから2300点余りにのぼる古文書が見つかりました。 これらの古文書を近世の歴史を研究している愛知県立大学の大塚英二教授らが調べたところ、最も古いものは江戸時代初期の1636年のもので、売り掛けの帳簿や証文など使い終わった紙を、ふすまの下張りとして再利用していたとみられるということです。 中には「仕着代・鼻紙代」として、12月に今でいう“ボーナス”を支給した明細のような文書

                                                      江戸時代の武家のボーナス支給明細も 古文書2300点余発見 愛知 | NHKニュース
                                                    • 「日本最大級の偽文書」か 郷土史の定説ひっくり返るかも…京都・山城の古文書|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

                                                      椿井文書を模写したとされる「笠置山之城元弘戦全図」。椿井文書が山城地域に波紋を広げている(京田辺市田辺・中央公民館) 京都府山城地域の自治体史に数多く引用されてきた史料「椿井文書(つばいもんじょ)」を偽文書と指摘する新書が先頃出版され、地元の歴史関係者らに波紋を広げている。たった1人の男が質の高い偽文書を大量に作り出した手法などを明らかにしており、特に関わりの深い山城地域では定説が覆りかねないためだ。郷土史が再検証を迫られるだけでなく、「日本最大級の偽文書」の作者かもしれない男の人物像にも注目が集まる可能性がある。 椿井文書は、山城国相楽郡椿井村(現木津川市)の有力農民、椿井政隆(1770~1837年)が制作した文書の総称。椿井は山城や近江、河内、大和などで、武家につながる家系だと示したい豪農や山の支配権争いなどに関わり、歴史的な正当性を与えるために多くの文書を創作したとされる。 以前から

                                                        「日本最大級の偽文書」か 郷土史の定説ひっくり返るかも…京都・山城の古文書|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
                                                      • 「カラーだった」幻の江戸期の一級史料、高校生が90年ぶり再発見 | 西日本新聞me

                                                        弥生時代、現在の福岡県筑紫野市に有力な首長墓が存在したことを示す江戸時代後期の記録「鉾之記(ほこのき)」が約90年ぶりに“再発見”された。長らく所在不明となっていたが、市内の九州産業高の生徒たちが郷土史研究の過程で、鉾之記を書いた庄屋の子孫宅から見つけた。市は実物の可能性が高いとして、子孫から古文書を譲り受けた。 二日市村の庄屋だった鹿島九平次は1857(安政4)年、地元で甕棺墓(かめかんぼ)を発見し、入っていた銅剣と銅鏡の絵とともに当時の状況を鉾之記につづった。市文化財課によると、甕棺墓の発見場所や遺物の行方は不明だが、村は有力なクニだった奴国の域内にあり、ランクの高い首長墓だったと考えられている。 ...

                                                          「カラーだった」幻の江戸期の一級史料、高校生が90年ぶり再発見 | 西日本新聞me
                                                        • 南海トラフ地震 30年以内の発生確率「70~80%」に疑義 備えの必要性変わらないけど…再検討不可欠:東京新聞 TOKYO Web

                                                          橋本特任教授(地震学)が19日に滋賀県で開催される日本自然災害学会で発表する。以前から南海トラフの30年確率には信ぴょう性を疑う声もあり、今後の議論に影響を与えそうだ。 70〜80%という確率は1980年に島崎邦彦東京大名誉教授(地震学)らが提唱した「時間予測モデル」を使って算出され、次の地震を2030年代中ごろと予測している。このモデルは、地震により地面が大きく隆起すれば、それだけ地震のエネルギーが多く放出され、次の地震のエネルギーを蓄えるため長く時間がかかるという仮説だ。江戸―昭和初期の史料に記載された、室津港の隆起による海底の深さの変化の測量記録から、次の地震発生時期を予測している。

                                                            南海トラフ地震 30年以内の発生確率「70~80%」に疑義 備えの必要性変わらないけど…再検討不可欠:東京新聞 TOKYO Web
                                                          • 藤堂高虎の最古級の文書発見 朝鮮出兵や関ケ原生々しく:朝日新聞デジタル

                                                            戦国武将で津藩の初代藩主、藤堂高虎に関する新たな一代記が、津市垂水の石水博物館で見つかった。高虎の死後、約10年後に書かれたもので、現存する高虎の伝記の中では最古の文書とみられる。 博物館によると、新たに見つかったのは「藤堂家覚書」と題した古文書。この覚書は1641(寛永18)年7月3日、藤堂家に提出された1本の巻物で、長さ約8メートル。継ぎ紙で裏打ちもなく状態は良好で、作成当初の原形をとどめている。末尾に藤堂家の重臣ら8人の花押(サイン)があり、本物と確認したという。 この年、3代将軍徳川家光の命により、全国の藩と旗本で家系図(寛永諸家系図伝)の編纂(へんさん)が始まった。各藩の徳川家への忠節の実績や、徳川家との関係の濃淡を「公式文書」として残すためだ。覚書は、津藩で作られた下書きだという。 文字数は約7千字。当時の公式文書には珍しく、ひらがな交じりの口語体で記されている。高虎の死後、古

                                                              藤堂高虎の最古級の文書発見 朝鮮出兵や関ケ原生々しく:朝日新聞デジタル
                                                            • 古文書を図書館に寄贈しようとしたら「廃棄承諾書と一緒に送れ」と言われた話を聞く…図書館のあり方とは

                                                              大山 格🇺🇦 @itaru_ohyama 長持に入った古文書、そのまま図書館へ寄贈と思ったら「廃棄承諾書と一緒に送れ」とかいわれたり……そういう話しを二度三度と聞かされたなぁ。ヤフオクに出して残るんなら、図書館で廃棄されるよりはマシなんじゃないの。ちなみに、その地域の郷土資料館は廃止されてるヨ。 2021-08-26 07:27:50

                                                                古文書を図書館に寄贈しようとしたら「廃棄承諾書と一緒に送れ」と言われた話を聞く…図書館のあり方とは
                                                              • 「くずし字」解読アプリ1月公開へ 実家に眠る古文書読めるかも | 毎日新聞

                                                                凸版印刷が開発した古文書の解読スマホアプリ。くずし字の文書などを撮影すると、AIが解読してくれる=凸版印刷提供 印刷大手の凸版印刷(東京都)と京都市歴史資料館などが、主に江戸時代の「くずし字」で書かれた古文書を解読できるスマートフォンアプリを開発し、2023年1月中にも試験版を公開する。数十億点が未解読のまま眠っているとされる古文書が手軽に一定程度解読可能になるとみられ、「以前から所蔵していたり、年末年始の帰省先で古文書を見つけたりしたら役立ててほしい」と呼びかけている。 著名な歴史人物の書状などの古文書は、現代でもしばしば発見され話題になる。凸版印刷によると、身分を問わず当時の人が残した古文書の解読が進めば、歴史・文化・経済のほか、地震や津波など防災の研究が発展する可能性がある。一方でくずし字を解読できるのは「日本人の0・1%未満」。公的な施設でも未解読の所蔵資料は多数あり、研究機関へ持

                                                                  「くずし字」解読アプリ1月公開へ 実家に眠る古文書読めるかも | 毎日新聞
                                                                • 88歳女性が古文書4100点寄贈 「肩の荷下りたよう」 近世~近現代知る第一級史料 - 丹波新聞

                                                                  市に文書を寄贈した石田さん(右)と感謝状を贈呈した丹後政俊・丹波篠山市教育長=2021年5月14日午後1時36分、兵庫県丹波篠山市和田で 兵庫県丹波篠山市の石田榮代さん(88)がこのほど、代々受け継がれてきた17―20世紀にかけての古文書「石田家文書」を同市に寄贈した。江戸時代には村の庄屋などを務めた石田家の文書は約4100点という膨大な量で、近世から近現代にかけての地域の様子を知る上で第一級の史料。石田さんは、「祖父や父が大切にしてきたもの。寄贈できて肩の荷が下りたよう」と安堵した。同市の中央図書館に移して調査を進め、同市が行っている市史編さん事業に活用する。 石田家は和田村庄屋のほか、畑組の大庄屋、郡取締役などを務め、近代には畑村長も輩出した家。文書の中には歴代の当主が記した職務上の日記などが数多く含まれる。 江戸末期の万延元年(1860)に記された日記には、一揆を起こして石田家に押し

                                                                    88歳女性が古文書4100点寄贈 「肩の荷下りたよう」 近世~近現代知る第一級史料 - 丹波新聞
                                                                  • 清水寺から大量古文書、新出資料は天皇綸旨15点 文書群には、秀吉・尊氏の名前も|社会|地域のニュース|京都新聞

                                                                    清水寺(京都市東山区)は7日、中近世の天皇や足利尊氏、豊臣秀吉の関連文書が古文書の整理調査で見つかったと発表した。新出資料となる天皇の綸旨15点は、中興の祖・願阿弥ら勧進僧が戦乱で荒れた伽藍復興に寄与し、寺院に定着してゆくさまを示す。 200点近くあった文書群には、京における鉄砲の使用時期を示す三好長慶の禁制のほか、厚い観音信仰で知られた尊氏による土地の寄進状、秀吉が母の病気回復への返礼をつづった書状といった多数の原本が含まれていた。

                                                                      清水寺から大量古文書、新出資料は天皇綸旨15点 文書群には、秀吉・尊氏の名前も|社会|地域のニュース|京都新聞
                                                                    • 平安時代歴史オタクが図書館の閉架にあるBL文学を三ヶ月かけて解読した結果、カップリングが好みと逆だった悲劇

                                                                      えでぃ@Bluesky勢 @Edhi_Minamoto 高校生の時平安時代歴ヲタでさ。口語訳されてない、貴族と武士の平安時代のBL文学が閉架式図書館にあるって日本史の先生に聞いて、古語辞典片手に放課後毎日図書室に通い詰めたよ。 訳注も何もない古文を三カ月掛かって読了してみたら、カップリングが好みと逆だった。 解散!!!!!!! 2022-07-26 00:52:26 えでぃ@Bluesky勢 @Edhi_Minamoto 貴族と武士のCPっていうから、下剋上好きの頭でてっきり武士×貴族かと思ってたらさ… 慣例に従い、位が上である貴族が攻だったんだよ…それは解釈違いだよ… 平安時代の人さぁ…カプ表記しといてくれよ… 2022-07-26 00:55:16

                                                                        平安時代歴史オタクが図書館の閉架にあるBL文学を三ヶ月かけて解読した結果、カップリングが好みと逆だった悲劇
                                                                      • 「古文書 見るだけから手元で触れて」 解体新書など複製販売 富士ゼロックス京都 | 毎日新聞

                                                                        富士ゼロックス京都(京都市中京区)は、これまでに手掛けた古文書などの「複製」の販売を始めた。「文化財は“遠くから見るだけ”から“手元で触れる”へ」がコンセプト。現時点では8点だが、順次200点程度まで増やしていく。 販売するのは、日本語と英語をひらがなで並べて書いた単語帳「外国言付(ことつけ)初編」(1850年ごろ)▽伊勢物語の歌209首を題材にした「伊勢物語御歌かるた」(同志社大所蔵、江戸時代)▽杉田玄白らが1774年に日本で初めて刊行した解剖書「解体新書」(東京・国…

                                                                          「古文書 見るだけから手元で触れて」 解体新書など複製販売 富士ゼロックス京都 | 毎日新聞
                                                                        • 戦争だけが歴史じゃない 2024年大河ドラマ「光る君へ」時代考証・倉本一宏教授インタビュー【後編】 - 東大新聞オンライン

                                                                          2024年の大河ドラマ「光る君へ」。紫式部が主人公となる本作は、平安貴族の世界を描く初めての大河ドラマとなる。「光る君へ」の時代考証を務めるのは、日本古代史・古記録学を専門とする倉本一宏教授(国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学)だ。大河ドラマの見方や、日本古代史研究の魅力、歴史への向き合い方について話を聞いた。(取材・山口智優) 【前編はこちら】 戦争だけが歴史じゃない 2024年大河ドラマ「光る君へ」時代考証・倉本一宏教授インタビュー【前編】 倉本一宏(くらもと・かずひろ)教授(国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学) 89年東大大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。09年より現職。著書に『紫式部と藤原道長』(講談社)、『平安貴族とは何か三つの日記で読む実像』(NHK出版)など。 好きなことに打ち込んだ学生時代 ゼミから開けた将来の道 ──東大ではどのよ

                                                                            戦争だけが歴史じゃない 2024年大河ドラマ「光る君へ」時代考証・倉本一宏教授インタビュー【後編】 - 東大新聞オンライン
                                                                          • 馬部 隆弘 (Takahiro Babe) - 椿井文書研究余録 - researchmap

                                                                            ようやく前期の遠隔授業も終わりがみえてきました。前期の最後となる今回は、学生諸君ではなく、世間一般に問いかけたいと思います。 直近の【3288】でも「#椿井文書 の絵図と城館発掘結果が合致するのは、作成年月日が戦後で、作者は研究職の誰かだから」と述べるように、素人さんたちの主張はあまりに支離滅裂なので私の立場が揺らぐ心配はありませんでしたが、正直なところをいうと、ごく一部の人が素人さんたちの発言を真に受けている様子は少しだけ気にはなっていました。幸い私の場合は、過去に執筆した論文がいつでも証明してくれるので黙殺すれば済むのですが、そうではない人の場合を想像すると、誹謗中傷が拡大する当事者の気持ちが少しだけわかって恐怖を感じました。そして、これが人を死に追いやるのかと思うと怒りも感じました。 しかし、研究の時間を割いてまでして、素人さんたちの相手をするのは明らかに無駄です。ところが、このタイ

                                                                            • TechCrunch

                                                                              This restores, with some changes and protections, the rules passed back in 2015 allowing the FCC to enforce basic rules of connectivity and fairness in broadband.

                                                                                TechCrunch
                                                                              • 古文書が語る明智光秀家臣団 左馬助と秀満は別人?:朝日新聞デジタル

                                                                                天正10(1582)年の本能寺の変で主君織田信長を討ち取った明智光秀の家臣の一人、明智弥平次秀満(やへいじひでみつ)。山崎の戦いで光秀が羽柴(のちの豊臣)秀吉に敗れた後、馬に乗って琵琶湖を渡り、対岸まで逃れたとする「左馬助(さまのすけ)の湖水渡り」の伝説で知られ、これまでは左馬助は秀満の通称とみられてきた。だが、このほど詳しく調査された「乙夜之書物(いつやのかきもの)」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻本)には、二人は別人として書き分けられている。 「乙夜之書物」は江戸時代前期、加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の兵学者だった関屋政春(せきやまさはる)が古老らから聞き取ったエピソードなどを書き残した自筆本。史料の存在は一部で知られていたが、光秀に関わる部分については、このほど富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)が読み解いて明らかにした。 光秀と家臣をめぐる記述は、本能

                                                                                  古文書が語る明智光秀家臣団 左馬助と秀満は別人?:朝日新聞デジタル
                                                                                • アマビエ?いいえ「アマヒユ」です 岐阜・大垣市の史料から「新発見」 | 毎日新聞

                                                                                  新型コロナウイルス感染拡大の中で人気を集めている妖怪アマビエ。そのルーツ解明の手がかりとなる妖怪を記した史料が、岐阜県大垣市が所蔵する旧旗本家関連の史料に残されていた。その名はアマビエならぬ妖怪「アマヒユ」。姿は似ていないが、研究者は「アマビエ誕生の謎に迫る貴重な史料」としている。 長い髪を持ちウロコに覆われたアマビエは、1846(弘化3)年4月中旬と日付の入った瓦版「肥後国海中の怪」(京都大学付属図書館所蔵)に登場。江戸後期に肥後国(現在の熊本県)に現れた「病よけ妖怪」として注目を集めるが、その人気に反して、現在、確認されているアマビエの姿などが描き残されている史料はこの瓦版たった1枚という謎の多い妖怪だ。 アマビエと同じ「予言する妖怪」が描き残されていたのは、江戸期に同市周辺を治めた旧旗本西高木家が所蔵していた「高木家文書」。妖怪の絵とともに残された記述には1846(弘化3)年5月の日

                                                                                    アマビエ?いいえ「アマヒユ」です 岐阜・大垣市の史料から「新発見」 | 毎日新聞

                                                                                  新着記事