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  • 『土偶を読む』を読んだけど(2)|縄文ZINE_note

    前回書いた『土偶を読む』を読んだけど(1)が思いのほか読まれてしまい、著者の竹倉さんからもコメントをいただき、少し気が引けているのだけど、乗りかかってしまったので続きを書くことにする。これはつい最近晶文社というサイのマークの出版社からだされた『土偶を読む』という意欲的な本の読書感想文に似た書評でもある。 竹倉さんもあとがきでこう書いている「今後の考古研究によって私の仮説が追試的に検証され、遠くないうちに「定説」として社会的に承認されることを私は望んでいる。」であれば、ここでの指摘に限らず様々な指摘や反論も本懐だろうと思う。 『土偶を読む』の「はじめに」ではこう述べている「さあ、それでは私が「世紀の発見」に成功した人類学者であるのか、はたまた凡百の「オオカミ少年」に過ぎないのか、ぜひ皆様の目で判断してもらえればと思う。ジャッジを下すのは専門家ではない。今この本を手にしているあなたである」 あ

      『土偶を読む』を読んだけど(2)|縄文ZINE_note
    • 公園にある古墳を専門家と見る~考古学者と街を歩く

      東急沿線の街を何かの分野の専門家と歩く記事シリーズ、今回はいよいよ古墳を専門家と見る回である。「ここ実は古墳なんです」と聞いて私たちは何を思えばいいのか。一体どう反応すればよかったのか。今日それらのふがいない過去をすべて精算するときがやってきたのだ。これからはもう、古墳、どんとこいである。 谷口榮さんが案内してくれたのは東急大井町線大井町駅。駅前の道を歩き歴代の東海道を見て歩いてきたが公園に入る 前回の記事に引き続き東急大井町線大井町駅から一緒に歩いてくれているのは考古学者の谷口榮さん。前回は大井町駅前の道を歩くだけで、古代の東海道、中世の鎌倉街道、現代の東海道(第一京浜)、近世の東海道(江戸時代)と辿れることがわかった。 今回はそこから横道に入りやってきたのは公園である。 公園に来ました。もうわかりますか 円墳あらわる 谷口:この高まりが古墳だと言われています。 林 :そうなんですか。

        公園にある古墳を専門家と見る~考古学者と街を歩く
      • 3700年前の古代カナン人宮殿、地震で廃墟化

        イスラエル、テル・カブリ遺跡のカナン人の宮殿跡にある、壊れたワインの瓶(かめ)が並ぶ倉庫跡。3700年前に起きた出来事を探るための重要な手がかりとなった。(PHOTOGRAPH BY ERIC H. CLINE) 現在のイスラエル北部にあるテル・カブリ遺跡には、今からおよそ3700年前の紀元前18世紀、カナン人の見事な宮殿があった。6000平方メートルもの巨大な建物は現代のショッピングモールよりも広く、壁画が描かれ、豪華な宴会場があり、倉庫には100個以上の大きな瓶(かめ)に詰めたスパイスワインが貯蔵されていた。 ところが同世紀中に突然この宮殿は打ち捨てられ、以後1000年近くにわたり利用された形跡がない。 西暦2009年から遺跡の発掘が始まったものの、考古学者たちは困惑していた。これほど壮麗な建物は、この地のカナン人にとっては間違いなく政治の中枢だったはずだ。利用されなくなる直前まで改修

          3700年前の古代カナン人宮殿、地震で廃墟化
        • ツタンカーメンの鉄剣の製造方法と起源の特定に成功

          千葉工業大学地球学研究センター及び惑星探査研究センター所長の松井孝典率いる研究チームが、エジプト考古学博物館において、ポータブル蛍光X線分析装置を用いてツタンカーメンの鉄剣の非破壊・非接触での化学分析を行った結果、鉄剣が低温鍛造により製造されたこと、エジプト国外から持ち込まれた可能性があることを明らかにしました。 この研究成果は、2月11日付の米国科学雑誌「Meteoritics and Planetary Science」電子版に掲載されました。 <概要> 古代オリエント世界で栄えたヒッタイト帝国(紀元前1200~1400年)は、鉄の製造技術を独占することで軍事的優勢を得たとされている。それ以前には、世界にはまだ鉄の製造技術はなかったと考えられている一方で、エジプトのツタンカーメン王(紀元前1361年~1352年)の墓から、鉄剣が発見されたことは大きな謎であった。この謎を解き明かすため、

            ツタンカーメンの鉄剣の製造方法と起源の特定に成功
          • 初期人類の3属、南アフリカで同時期に存在していた

            南アフリカで発見された初期のホモ・エレクトゥスの頭骨の破片。この地域でホモ・エレクトゥスの骨が発見されたのは初めてだ。(REPRINTED WITH PERMISSION FROM HERRIES ET AL., SCIENCE 368:47 (2020).) 2015年の冬、オーストラリアのラ・トローブ大学の学生ジェシー・マーティン氏とアンジェリーン・リース氏は、岩石の中からヒヒの骨らしき化石を取り出す作業をしていた。彼らは南アフリカのヨハネスブルクの北西に位置するドリモーレン採石場で化石の採集調査を行う遠征隊のメンバーだった。頭骨の破片をクリーニングして組み合わせてみると、ヒヒではなく若い初期人類ホモ・エレクトスのものであることがわかった。南アフリカでホモ・エレクトスの骨が見つかったのは初めてだ。 マーティン氏は当時を回想し、「私たちはこのことを指導教官たちに報告しましたが、彼らは自分

              初期人類の3属、南アフリカで同時期に存在していた
            • エルサレムで発見の2500年以上前のトイレ、「ジアルジア症」の痕跡

              (CNN) 中東エルサレムで2500年以上前のトイレ2基が発見され、排せつ物のサンプルを分析したところ、下痢を引き起こす寄生虫の痕跡が見つかった――。寄生虫学の専門誌に25日、そんな論文が発表された。 石造りのトイレ2基の下にある汚水溜(だ)めから発掘された物質を分析した結果、下痢を引き起こす寄生虫の痕跡が見つかった。2基のトイレはエリート層のものだったとみられる。 当時のエルサレムはアッシリア帝国の政治・宗教上の拠点として活況を呈しており、8000~2万5000人が暮らしていた。 今回見つかったのは「ジアルジア症」と呼ばれる疾患の最初期の例。この感染症は下痢や腹部の痛み、体重の減少を引き起こす。以前にも現在のトルコに当たるローマ時代の土地や、現在のイスラエルに当たる中世の土地で発見されていた。 論文の筆頭著者を務めた英ケンブリッジ大学考古学部の名誉研究員、ピアーズ・ミッチェル氏は声明で「

                エルサレムで発見の2500年以上前のトイレ、「ジアルジア症」の痕跡
              • 正倉院に保管されている宝物の破片のレベルが想像を超えていてヤバい「気が遠くなる作業…」

                リンク 正倉院展 正倉院展「塵芥の整理」 | 動画・コラム | 正倉院展 元は宝物の一部だった破片類は集められ、「塵芥(じんかい)」として保管されてきました。塵芥は大正時代から100年以上かけて整理され、新しい発見につながったこともあります。塵芥整理を担う人々の、守り伝えるための努力と想いを紹介します。【制作 読売新聞社、読売テレビ】(3分38秒) 2 users 10

                  正倉院に保管されている宝物の破片のレベルが想像を超えていてヤバい「気が遠くなる作業…」
                • 古代ローマ・トイレの落とし穴、その1

                  * 本稿は、日本トイレ協会事務局の求めに応じて『日本トイレ協会ニュース』No.15-1、2(2015/4/20;8/1)に連載された原稿の修正拡大版である。ウェブへの転載をご快諾いただいた事務局のご好意に感謝する。 2014年8月末、ウェブ情報で、イギリス、というよりスコットランドの古代ローマ補助軍の要塞の、木簡出土で著名なヴィンドランダ遺跡から、史上はじめて木製トイレ便座の発掘が報告され、話題となった。これまで公共トイレの便座は石製や大理石製が多く発掘されていた。木製も想定されはしていたが、今回はじめてそれが立証されたわけだ。ヴィンドランダの風土や土壌が有機物を分解しにくいので、この僥倖となったのだが、発掘団は「次はスポンジ発見だ」と張り切っている由。私はさすがにそりゃないだろうとたかを括っている。というのは、地中海産が主流のそれが最果ての北国からそうそう出てくるわけはないし、スコットラ

                  • 滋賀 近江八幡 川の中で発見 約1500年前の前方後円墳か|NHK 関西のニュース

                    5年前(2019年)、滋賀県近江八幡市の川の中で見つかった古墳を県文化財保護協会が調べたところ、およそ1500年前の古墳時代に造られた前方後円墳とみられることが分かりました。 協会は川に沈むなどして消失した遺跡が存在することを物語る貴重な事例としています。 近江八幡市江頭町を流れる日野川の中では、2019年に県が行った調査で▼人工的に土を積み上げた跡や▼1列に並んだ円筒状の埴輪6本が見つかり、県は、中州のような土の盛り上がりは、古墳の可能性があるとしていました。 この場所を、去年10月から先月(2月)にかけて県文化財保護協会が調べたところ、新たに13本の円筒状の埴輪が1列に並んだ状態で見つかりました。 埴輪は5年前に見つかったものと同じ種類で、▼カタカナの「ハ」の字型に並んでいることや、▼焼き方の特徴などから、この古墳はおよそ1500年前の5世紀後半から6世紀前半ごろに造られた前方後円墳と

                      滋賀 近江八幡 川の中で発見 約1500年前の前方後円墳か|NHK 関西のニュース
                    • 戦国大名・朝倉氏の栄華と没落の地 一乗谷朝倉氏遺跡(1) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

                      日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は福井市の一乗谷朝倉氏遺跡です。戦国大名・朝倉氏の栄枯盛衰や戦国時代の城下町の姿を伝える、広大な国の特別史跡でもあります。 (トップ写真は朝倉氏5代の本拠地、一乗谷朝倉氏遺跡) 【動画】一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねて 明智光秀が頼った朝倉義景 美濃を追われた明智光秀は、朝倉義景を頼って越前に逃れたとされている。称念寺(福井県坂井市)の門前で、10年ほど浪人として過ごしたようだ。朝倉氏が美濃守護の土岐氏と親しい間柄であったことから、土岐一族出身の光秀は朝倉義景を頼ることができたという。 光秀の前半生は謎が多く、越前での動きも定かではない。一説には、鉄砲の腕を買われて義景への仕官がかなったという。文献上で光秀の名が確認されるのは、1567〜68(永禄10

                        戦国大名・朝倉氏の栄華と没落の地 一乗谷朝倉氏遺跡(1) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
                      • マヤ暦の仕組みがついに解読される。819日暦は45年間の惑星周期と一致していた : カラパイア

                        古代メソアメリカで栄えたマヤ文明は、天文学や数学に優れ、独自の文字や暦法を発展させた。その暦法の中には、今でも解明されていないものがある。マヤの碑文に刻まれていた、819日周期サイクルのマヤ暦もその1つだ。 この819日暦は、長いこと学者たちを悩ませてきた。だが、新たな研究によって、これが45年間の惑星周期とどのように一致するかが明らかになったという。 この暦はこれまで誰も考えつかなかった、惑星の合同周期と関係する、遥かに広い視野を必要とする手の込んだ暦だったのだ。

                          マヤ暦の仕組みがついに解読される。819日暦は45年間の惑星周期と一致していた : カラパイア
                        • 古代メキシコにあったこの像かわいい→用途は“生贄の心臓置き場”「ヲタク大好き」「土産の本立てがこれだった」

                          東京国立博物館 広報室 @TNM_PR 東京国立博物館(トーハク)広報室のアカウントです。 トーハクの展示・イベント情報やお知らせをつぶやきます。 個別のご質問、リプライには対応しておりません。ご了承ください。 運用ポリシー:tnm.jp/modules/r_free… tnm.jp リンク www.tnm.jp 特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」 メキシコには35もの世界遺産があり、なかでも高い人気を誇るのが、古代都市の遺跡群です。前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻までの3千年以上にわたり、多様な環境に適応しながら、独自の文明が花開きました。本展は、そのうち「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあて、... 240

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                          • 凍結ミイラ「アイスマン」発見から30年、明らかになった10の事実

                            アイスマン「エッツィ」の復元像。エッツィは約5200年前、ヨーロッパアルプスで生活していた。1991年9月19日、ドイツ人の登山者によって、自然環境下でミイラ化した遺体が発見された。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 今から30年前の1991年9月、オーストリアとイタリアの国境の山岳地帯で、ヨーロッパで最も有名なミイラが発見された。5000年以上前の凍結ミイラ「アイスマン」だ。 標高約3200メートルの湖のそばの氷原で、うつぶせの状態で横たわっていたこのミイラは、発見地エッツタール・アルプスから「エッツィ」と名付けられ、たちまち世界の注目を集めた。新石器時代のヨーロッパを生きた彼の生活や壮絶な最期は、数々の本やドキュメンタリーに描かれ、長編映画まで制作された。 エッツィは現在、イタリア、ボルツァーノの南チロル考古学博

                              凍結ミイラ「アイスマン」発見から30年、明らかになった10の事実
                            • モンゴル中部で匈奴帝国の首都遺跡見つかる | 新華社通信

                              黒枠のラベルは、コンテンツホルダー自身が付与したものです。グレー枠のラベルは本文解析で自動付与されたものです。 竜城遺跡の建物遺構から出土した「天子単于」銘のある瓦当。(ウランバートル=新華社配信) 【新華社ウランバートル7月20日】モンゴル中部でこのほど、古代モンゴル草原で一大勢力を築いた匈奴(きょうど)の首都とされる竜城の遺跡が発見された。モンゴルの考古学者が18日、明らかにした。 考古学調査チームのリーダーを務めるウランバートル大学のイデルハンガイ准教授は新華社の取材に対し「匈奴帝国の政治の中心地を10年余り探し続けていた。竜城を発見し、発掘できたことをうれしく思う」と語った。 イデルハンガイ氏は「遺跡の建物遺構から漢字で『天子単于』と刻まれた瓦当(軒瓦の先端部分)が見つかった。これにより遺跡が竜城であると分かった」と述べた。「天子単于」の銘のある瓦がモンゴルで見つかったのは今回が初

                                モンゴル中部で匈奴帝国の首都遺跡見つかる | 新華社通信
                              • 旧約聖書に書かれた「ユダヤ人の起源」は、考古学的に正しいのか?

                                日々刻々 橘玲 移り変わりの激しい世界の中でつい見逃しそうになる事件や経済、金融、社会問題などについて、作家・橘玲氏が鋭くメスを入れる。 バックナンバー一覧 日本の歴史を『古事記』の天孫降臨から始めるのは「歴史学」ではないが、戦前の日本はこれを学校で大真面目に教えていた。そしてイスラエルでは、いまでも旧約聖書の物語が“公式”の歴史観となっている。それによれば、「ユダヤ人の起源」は次のように説明される。 紀元前2000年頃、テラと呼ばれる男が、その息子アブラハムと妻サラ、孫のロト(アブラハムの甥)を連れて当時の文化の中心バビロニアを去り、ユーフラテス川を越えて現在のトルコ南部にあたるハランにやってきた。彼らは「イヴリム(川向うから来た人々)」すなわち「ヘブライ人」と呼ばれた。 父のテラが死んだあと、70歳代になったアブラハムは神ヤハウェ(エホバ)に出会い、神の戒律(男児は誕生から8日目にかな

                                  旧約聖書に書かれた「ユダヤ人の起源」は、考古学的に正しいのか?
                                • 古代エジプト、王たちが交わした382枚の「アマルナ文書」とは

                                  王の言葉を書き取る書記官たちのレリーフ。紀元前1400年のもの。エジプトのファラオ、ホルエムヘブの墓で発見された。イタリアのフィレンツェにある国立考古学博物館所蔵。(BRIDGEMAN/ACI) 考古学者たちは時に、古代の世界に関するこれまでの理解を完全に変えてしまうような発見に出会うことがある。エジプト学でいえば、「アマルナ文書」がまさにそんな発見と言えるだろう。382枚の粘土板に刻まれた、世界最古級の外交文書だ。 紀元前14世紀に書かれたアマルナ文書は、エジプトのファラオと、バビロニア、アッシリア、ヒッタイト、ミタンニなどライバル諸国の王、そしてエジプトの支配下にあった傀儡の王たちとの間で交わされた書簡だ。エジプト第18王朝アメンホテプ3世の治世(紀元前1390年頃~1353年頃)に始まり、その息子のアクエンアテンの治世(紀元前1353年頃~1336年頃)までの文書で、これらを分析すれ

                                    古代エジプト、王たちが交わした382枚の「アマルナ文書」とは
                                  • マヤ人とは何者だったのか? 古代文明の謎を解き明かす

                                    メキシコ、パレンケの「碑文の神殿」で発見されたマヤ戦士の頭部像。この神殿は7世紀の君主キニチ・ハナーブ・パカルの墓で、最大かつ最も保存状態が良いマヤのピラミッドのひとつだ。(DE AGOSTINI VIA GETTY IMAGES) 長く忘れられていた文明の痕跡は、中米ユカタン半島のあちこちに残されていた。スペイン植民地時代の修道院の地下にも、道路の下にも。その大半は草木に覆われ、ジャングルに埋もれていた。だが1830〜40年代、ユカタン半島を詳細に調査した英国人と米国人の探検家はすぐに、これらの謎に満ちた遺跡が考古学上の重要な宝であることを確信した。 発見された遺跡や工芸品は放棄されて荒廃しており、寺院やピラミッド、芸術品や文字といったそれらの役割は、当時はほとんど不明だった。それでも、米国人探検家のジョン・ロイド・スティーブンスは1841年に、これらは同一集団の人々が生み出したもののよ

                                      マヤ人とは何者だったのか? 古代文明の謎を解き明かす
                                    • 世界遺産ストーンヘンジの謎解明 英大学など、25キロ北から運搬 | 共同通信

                                      【ロンドン共同】英南西部にある世界遺産の環状遺跡ストーンヘンジについて、立ち並ぶ巨石の大半が約25キロ北方から運ばれたことが英ブライトン大などの調査で判明した。英メディアは29日「巨石の起源を巡る謎が解明された」と伝えた。 ロイター通信などによると、調査の対象は、馬蹄型に組まれるなどし、遺跡を象徴する約50のサーセン石。石から抽出した筒状の細長い試料の入手が可能となり、25キロ離れた場所の砂岩と成分の特徴が一致した。 1950年代に石の補強を実施した際、作業員の1人が許可を得て石の試料を持ち帰っていた。作業員が一昨年、調査目的で試料の返還を申し出た。

                                        世界遺産ストーンヘンジの謎解明 英大学など、25キロ北から運搬 | 共同通信
                                      • 300年以上前の特殊な方法で封じられた手紙をX線スキャナーで仮想的に開くことに成功

                                        by Unlocking History Materials Collection 封筒が登場する以前のヨーロッパでは、誰かに送る手紙を途中で読まれないようにするため、手紙自体を特殊な折り方で封じる「レターロッキング」という方法が採用されていました。レターロッキングで封じられた手紙を開かずに内容を読む方法が、国際的な研究チームによって開発されたと報告されています。 Unlocking history through automated virtual unfolding of sealed documents imaged by X-ray microtomography | Nature Communications https://www.nature.com/articles/s41467-021-21326-w Secrets of sealed 17th century lett

                                          300年以上前の特殊な方法で封じられた手紙をX線スキャナーで仮想的に開くことに成功
                                        • 日本で人気のメジェド様に対する海外のエジプト学者たちの反応(海外の反応)

                                          スコットランドのエジプト考古学者 - マーガレット・メートランド博士らのツイートより 『メジェド』に対する海外のエジプト考古学者たちの反応まとめ ソース 金沢大学教授/エジプト学者/考古学者 - 河合望 メジェドさまの日本での大流行が海外のエジプト学者の間で話題になっています。 https://t.co/ZJFINaA3e8 — 河合望 Nozomu Kawai (@kingtutmystery) 2019年9月7日 スコットランド・エジンバラ国立博物館の古代エジプト部門および古代地中海部門の主任キュレーター(学芸員)/エジプト考古学者 - マーガレット・メートランド博士 Great to see the minor Egyptian god Medjed (“Smiter”) still featuring in Japanese popular culture &at #ICOMKyo

                                            日本で人気のメジェド様に対する海外のエジプト学者たちの反応(海外の反応)
                                          • マヤ文明の衰退、従来説を覆す研究成果

                                            マヤ文明で都市の破壊を伴う「総力戦」が起きたのは紀元9世紀に干ばつが連続し、食料をめぐる争いが始まってからというのが定説だった。(PHOTOGRAPH BY DEA/G. DAGLI ORTI/DE AGOSTINI/GETTY) 古代マヤ文明において古典期と呼ばれる700年ほどの期間(紀元250年ごろから950年ごろまで)、戦争はある程度「儀式化」されていたというのがこれまでの定説だ。(参考記事:「知ってるようで知らないマヤ文明」) つまり、王族が連れ去られたり、象徴的な建造物が解体されたりすることはあっても、大規模な破壊行為が行われたり、一般人に大量の死傷者が出たりしたことはめったになかった。そして古典期の終わりになって干ばつが増え、食料が不足した結果、王国間の戦争が激化して文明が衰退に向かっていった、という説だ。 しかし、8月5日付けの学術誌「Nature Human Behavio

                                              マヤ文明の衰退、従来説を覆す研究成果
                                            • 「神の罰で洪水に飲み込まれた」と伝えられる中世ヨーロッパの都市ラングホルトの大教会が干潟の底から発見される

                                              ラングホルトは北海とバルト海を分けるユトランド半島に存在したといわれる中世ヨーロッパの都市であり、「神の罰によって海に沈んだ」とも伝えられています。近年の発掘調査でラングホルトは空想上の都市ではなく実在したことがわかっており、新たにラングホルトにあった大きな教会の遺構が干潟の底から発見されたと報告されました。 Lost since 1362: Researchers discover the church of a sunken medieval trading place | Press and Public Relations https://press.uni-mainz.de/lost-since-1362-researchers-discover-the-church-of-a-sunken-medieval-trading-place/ Impressive Medieval

                                                「神の罰で洪水に飲み込まれた」と伝えられる中世ヨーロッパの都市ラングホルトの大教会が干潟の底から発見される
                                              • 「蒙古襲来」や「秀吉の大返し」を科学的に解明した 『日本史サイエンス』 | BOOKウォッチ

                                                出たばかりの本だが、ネットで高評価が並んでいる。『日本史サイエンス』(講談社ブルーバックス)。日本史にはさまざまな謎があるが、「蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和」の真相について科学の目で迫り、実はこうだったのではないかと解き明かしている。理系のブルーバックスだが、歴史ファンにとっても見逃せない一冊だ。 船に関わり続ける 「蒙古襲来」は「元寇」とも呼ばれ、1回目は1274年の「文永の役」、二回目は1281年の「弘安の役」として知られる。かつては、「神風」が吹いて、蒙古軍が撤退したといわれていた。戦前の日本では、最後は「神風」が吹く先例として語られ、国民を鼓舞する材料になっていた。 本当に「神風」が吹いたのか――。近年、歴史家の間でも検証が続いている。BOOKウォッチで紹介済みの『蒙古襲来と神風』(中公新書)も定説に疑問を提起、そもそも文永の襲来では嵐が来ていないこと、弘安の襲来ではたしかに嵐

                                                  「蒙古襲来」や「秀吉の大返し」を科学的に解明した 『日本史サイエンス』 | BOOKウォッチ
                                                • 6500枚の銀貨や王族の名前が刻まれた金の指輪がトウモロコシ畑から発掘される

                                                  ポーランド中西部のスウシュクフにあるトウモロコシ畑の地下から、6500枚の銀貨を含む6600点以上の中世の宝飾品が発掘されました。 Medieval treasure trove ‘belonging to princess’ found in cornfield following tip off from village priest – The First News https://www.thefirstnews.com/article/medieval-treasure-trove-belonging-to-princess-found-in-cornfield-following-tip-off-from-village-priest-18571 6,500 medieval coins and rare gold rings unearthed in Polish cornf

                                                    6500枚の銀貨や王族の名前が刻まれた金の指輪がトウモロコシ畑から発掘される
                                                  • 発掘した土器をパズルみたいに繋ぎ合わせるところが見たい〜遺跡発掘のその後を知る~

                                                    博物館の年パスを買って、月に何度も通い詰めていた時期がある。 器や装飾品、日用品に衣服と、何百年何千年の暮らしの記憶が所狭しで並んでいる様子が面白くて、ずっと眺めていられた。 何より私を惹きつけるのは復元した土器の、あのツギハギ。土の中から掘り起こして、欠片(かけら)を集めてくっつけて過去の記憶を蘇らせる。これこそロマンじゃないか。 実際に土器の復元をしているところを見てみたい。あわよくばわたしも復元作業をやってみたい。 なんと、とうとうその夢が叶う日が来ました。 いざ、復元の現場に潜入! 訪れたのは茨城県の北西部、城里町にある公益財団法人茨城県教育財団埋蔵文化財整理センターだ。 今回は取材用に特別に復元作業の体験をさせてもらえることになっている。 わー!やってる!! 本物の土器だ! 接合だ! 同センター職員のお二人にレクチャーしていただきました! 本橋さん: まずは復元の手順をご説明しま

                                                      発掘した土器をパズルみたいに繋ぎ合わせるところが見たい〜遺跡発掘のその後を知る~
                                                    • 失われた4500年前の「太陽神殿」、考古学チームが発見か エジプト

                                                      (CNN) 考古学者のチームがこのほど、エジプトの失われた「太陽神殿」の一つとみられる遺構を発見した。紀元前25世紀半ばの時期のものと考えられている。 発見場所は首都カイロの南約19キロに位置するアブグラブ。ポーランド科学アカデミー地中海東洋文化研究所のマッシミラノ・ヌッゾーロ助教授は15日、CNNに対し、アブグラブにある別の神殿の下に埋まっていた遺構が見つかったと明らかにした。 アブグラブでは1898年、発掘作業中の考古学者らが、紀元前2400年~2370年にかけてエジプトを統治した第5王朝第6代国王ニウセルラーの太陽神殿を発見していた。 今回の調査結果は、この神殿が別の太陽神殿の遺構の上に建てられたことを示唆するものだ。 ヌッゾーロ氏はCNNに寄せたメールで、「19世紀の考古学者はニウセルラーの石造りの神殿の下に隠れていた泥れんがの建物のごく一部を発掘した段階で、同一の建物の以前の建築

                                                        失われた4500年前の「太陽神殿」、考古学チームが発見か エジプト
                                                      • 古代の遺物からマイクロプラスチック発見、考古学に変化か 研究

                                                        ロンドン(CNN) 歴史的な土壌サンプルから初めてマイクロプラスチックが発見されたことが、新たな研究で明らかになった。考古学的遺物の保存方法が一変する可能性もある。 英ヨーク大学主導の研究チームの22日の声明によると、1~2世紀に堆積(たいせき)し、1980年代に発掘された地下7メートルあまりの土壌堆積物で研究者がマイクロプラスチックを発見した。 現代の土壌サンプルや保存された過去のサンプルから、計16種類のマイクロプラスチックポリマーが見つかったという。 マイクロプラスチックは5ミリ以下(ごま粒ほどの大きさ)の微少なプラスチックで、より大きなプラスチックが化学的に分解したり、物理的な摩耗によって小さな破片になることで発生する。 研究者によると、マイクロプラスチックは2020年ごろまでは一部の美容品でも普通に使用されていた。ただ、近年はマイクロプラスチックの拡散をめぐる議論が高まっている。

                                                          古代の遺物からマイクロプラスチック発見、考古学に変化か 研究
                                                        • 盗掘で消えるスーダンの歴史、金を求め遺跡を破壊 重機の利用も

                                                          盗掘行為によって大きく削り取られた現場。スーダン・バユダ砂漠にある古代遺跡ジャバル・マラガ(2020年8月20日撮影)。(c)Ebrahim HAMID / AFP 【9月26日 AFP】考古学者の一団が今年7月、スーダン奥地の砂漠に位置する古代遺跡ジャバル・マラガ(Jabal Maragha)に到着すると、そこにあるはずの遺跡がなくなっていた。チームは当初、違う場所にたどり着いたのではと考えた。 そこは目的地の遺跡で間違いなかった。ただ、巨大な掘削機を有する盗掘者らによって、2000年の歴史を誇る遺跡のほぼすべてが破壊されてしまっていた。 「盗掘者がここを掘る理由はたった一つだけ──金(ゴールド)を見つけるためだ」 1999年から慎重に遺跡の発掘を進めていた考古学者のハバブ・イドリス・アハメド(Habab Idriss Ahmed)氏は、悲しみの表情で話す。 「手早く終わらせるために重機

                                                            盗掘で消えるスーダンの歴史、金を求め遺跡を破壊 重機の利用も
                                                          • 2千年前の鮮やかな色彩がそのまま保存された「古代エジプトの天井画」を発見! - ナゾロジー

                                                            エジプト中南部の町エスナにある「クヌム神殿」は、ある点で考古学者の強い注目を集めています。 それは、神殿内に描かれたレリーフ(浮き彫り)や壁画に鮮やかな色が現代まで残されていることです。 古代エジプトの遺物には、色付きで制作されたものも多いですが、これらは大抵、数千年の経年劣化で色あせているか、完全に色落ちしています。 ところが、クヌム神殿では、レリーフや壁画が塵や煤に覆われていたことで、約2000年もの間、色彩が保存されたのです。 そしてこのほど、独テュービンゲン大学(University of Tübingen)とエジプト古美術・観光省(MoTA)の共同研究チームは、クヌム神殿内で新たに、色彩豊かな天井画の復元に成功したと報告しました。 その保存状態の良さと緻密な芸術性に、驚くこと間違いなしです。 Spectacular ceiling frescoes discovered in t

                                                              2千年前の鮮やかな色彩がそのまま保存された「古代エジプトの天井画」を発見! - ナゾロジー
                                                            • 350年前のスペイン難破船、宝物の山を発見

                                                              350年前に沈没した難破船から宝石などさまざまな「宝物」が見つかった/ Courtesy The Bahamas Maritime Museum 海賊の伝説からハリウッド超大作にいたるまで、埋蔵された宝物や大昔の難破船の話は何世紀も人々を魅了してきた。だが、ある探検家チームにとっては伝説が現実になった。350年前に沈没したスペインのガレオン船から遺物の山を引き揚げると、そこにはかつて海洋の騎士たちが所有していた金貨や宝石や貴重な宝飾品が含まれていた。 1656年、「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス(魅惑の貴婦人)」号は仲間の船と衝突した後、バハマ沖のサンゴ礁にぶつかって沈没した。船はキューバからスペインのセビリアへ、フェリペ4世へ税金として納める献上品など大量の宝を運んでいた。891トンの船は2年前に沈んだ別の沈没船から回収した宝を運ぶ任務も負っていたため、積荷はいつもより重

                                                                350年前のスペイン難破船、宝物の山を発見
                                                              • 「暴君ネロは意外にも財政面はきちんとしていた」ことが放射線で歴史的な通貨を分析する研究で判明

                                                                アメリカ・ノートルダム大学の原子核物理学者らの研究チームが、2021年10月にオンラインで開催された発表会「DNP 2021」で、X線回折や粒子加速器を用いて歴史的な硬貨や紙幣を分析する研究の成果を発表しました。これにより、暴君としてのイメージが強いローマ皇帝ネロが通貨価値の維持に尽力していたことや、アメリカの100ドル紙幣に肖像が描かれているベンジャミン・フランクリンが紙幣を発行する際に使った偽造対策などが明らかになりました。 Surface manipulation techniques of Roman denarii - ScienceDirect https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0169433219320318 APS Physics | Nuclear Physicists Track Money C

                                                                  「暴君ネロは意外にも財政面はきちんとしていた」ことが放射線で歴史的な通貨を分析する研究で判明
                                                                • 英国の謎の地上絵の年代がついに判明、モデルはヘラクレスか

                                                                  英国南西部の丘の斜面に、石灰岩を利用して描かれた「サーン・アバスの巨人」。身長が18階建てのビルに匹敵し、「サーン・アバスの野蛮人」とも呼ばれている。(PHOTOGRAPH BY 4 SEASON BACKPACKING, SHUTTERSTOCK) 英国南西部の農村地帯、サーン・バレーの丘の急斜面に、全長55メートルもの巨大な裸の男の絵が描かれている。いつの時代のものなのか、誰も知らない。その白い線は、緑の草を取り除いて白い石灰岩をむき出しにすることによって作られている。「サーン・アバスの巨人」として知られるこの絵は、それが何なのかを説明しようとする人々を長年の間困惑させてきた。しかし学術誌「Speculum」2024年1月号に発表された最新の研究は、これがいつ、何のために描かれたのかを、歴史との関連とともに明らかにしている。 異教の神か、政治風刺画か、神話の英雄か 男は片方の腕を伸ばし

                                                                    英国の謎の地上絵の年代がついに判明、モデルはヘラクレスか
                                                                  • 3000年前の「神々の行列」壁画を発見、新アッシリア帝国

                                                                    3000年近く前に彫られた古代の神々の横顔。警察が盗掘者を追跡し、この地下施設にたどり着いた。新アッシリア帝国がこの地域に進出した紀元前8世紀に建設されたと思われる(PHOTOGRAPH BY Y. KOYUNCU AND M. ÖNAL, ANTIQUITY PUBLICATIONS LTD) トルコ南東部の古代の地下施設で、メソポタミアの神々を描いた壁画が発見された。嵐の神アダド、月の神シン、太陽の神シャマシュ、この地域で豊壌の女神とされていたアタルガティスなど、少なくとも6人の神が描かれている。今から3000年近く前、当時の世界最大の帝国である新アッシリア帝国が、国境地帯で「ソフトな統治」を行っていたことを示す貴重な発見という。5月11日付の学術誌「Antiquity」に発表された。(参考記事:「メソポタミアへの見方を変えたウルの王墓、その財宝と残酷な儀式」) この壁画が見つかった経

                                                                      3000年前の「神々の行列」壁画を発見、新アッシリア帝国
                                                                    • 「石器時代の人はどうやって話をしていたの?」に専門家が本気で答えたら… | こどもの疑問に“マジ回答” ツバメイ8歳の疑問

                                                                      石器時代は、遠い昔に存在したある時期のことです。だいたい300万年前から始まって、4万年ほど前まで続きました。 「石器時代」と名づけられたのは、私たちの遠いご先祖さまが石で道具を作っていたからです。私たちと同じような人間、つまりホモ・サピエンスが出現したのはほんの20万年くらい前。石器時代が始まってかなり長い時間が経ったころでした。 サルから進化した「原人」と呼ばれる原始的なヒト科のご先祖さまの一部が、大きめの石を砕いたかけらを尖らせて、簡単な石器を作るようになりました。これが石器時代のはじまりです。彼らは後ろ足でなかば立つようにして歩いていたので、前足はそのまま手となって自由に使えました。直立歩行をはじめたばかりの彼らの脳は小さく、チンパンジーの脳とさほど変わりありません。彼らには、言葉を使った会話はなかったと考えられます。 石器時代後期になると、これとは別のタイプのご先祖さまが現れまし

                                                                        「石器時代の人はどうやって話をしていたの?」に専門家が本気で答えたら… | こどもの疑問に“マジ回答” ツバメイ8歳の疑問
                                                                      • 未踏の水中洞窟で1万年前の人類の痕跡を発見

                                                                        メキシコ、ユカタン州の水中洞窟の奥深くで、古代人が積み上げた石を観察するダイバー。1万1000年前のオーカー採掘場とみられるが、後年、海面上昇によって洞窟が水に沈んだことで、そのまま保存されることになった。(PHOTOGRAPH COURTESY CINDAQ.ORG) 「それは、反対側に広がる世界への入り口でした」と、キンタナロー帯水層系研究所(CINDAQ)所長、サム・ミーチャム氏は言う。 2017年春、ミーチャム氏ともう一人のダイバーはメキシコ、ユカタン半島で、ある水中洞窟を調査していた。洞窟に入った二人は、床や天井から突き出すとがった岩をよけながら、すでに800メートルほど泳いでいたが、ここでついに幅がわずか70センチほどしかない隙間に突き当たったのだった。 狭い隙間の向こうにある空間で彼らが目にしたのは、細かい部分まで当時のままに保存された古代の景色だった。そこは1万1000年前

                                                                          未踏の水中洞窟で1万年前の人類の痕跡を発見
                                                                        • エジプト展の猫

                                                                          エジプト展に行ったら、猫の像やミイラが展示してあった。 ミイラは麻布で丁寧に梱包されてコンパクトな包みになっており、猫耳もちゃんと布で作ってあった。芸が細かい… 古代エジプトでは猫が崇拝され大切にされていたというのはよく知られた話ではあるが、後世から見たら現代も「猫が崇拝されていた時代だった」と判断されるのではないかと思う。 私の家の棚の上には、小さな猫の人形や招き猫がたくさん並んでいる。 火山の噴火なんかで今私の家がまるごと土の中に埋もれて、2000年後とかに発掘されたら、「猫を祀る祭壇だった」と分析されるのはまちがいない。

                                                                            エジプト展の猫
                                                                          • 約2000年前のヘラクレス像発見 ギリシャ

                                                                            ギリシャ北東部の古代都市ピリッポイで、考古学者たちが1800年以上前に作られた古典的な彫像の一部を発見した。 ギリシャの文化・スポーツ省の声明によると、考古学者たちが発掘したのは、2世紀のローマ時代に作られた、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスの彫像だという。 ギリシャ・テッサロニキにあるアリストテレス大学の研究チームは、同市内のメインストリートのひとつで集中的に発掘を行い、9月半ばに作業を終了した。 文化・スポーツ省によると、この発掘で、ヘラクレス像とは別に、凝った装飾が施された構造体も発見された。この構造体は噴水で、ヘラクレスの像はその装飾として設置されたと見られている。 考古学者たちは、この構造体は8~9世紀に作られたと見ている。文化・スポーツ省の声明の説明によると、ビザンツ帝国時代後期までのローマ帝国時代、コンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)では彫像が建物や公共スペースの装

                                                                              約2000年前のヘラクレス像発見 ギリシャ
                                                                            • アルプスの氷河で見つかった古代人「アイスマン」はヨーロッパ系の白人ではなく西アジア系で肌の色も暗かったことが最新のDNA分析で判明

                                                                              1991年にアルプス山脈のイタリア・オーストリア国境付近で見つかった約5300年前の男性のミイラ「アイスマン」は、氷河で見つかったミイラの中でも特に保存状態がよく、これまでにさまざまな研究が行われてきました。そんなアイスマンの外見予想図は「金髪の白人」とされることがほとんどでしたが、新たなDNA分析ではアイスマンの祖先が「アナトリア(現代のトルコ)の農民」であり肌の色が暗かったことが示されたほか、円形脱毛症や肥満の素因を持っていたこともわかりました。 High-coverage genome of the Tyrolean Iceman reveals unusually high Anatolian farmer ancestry: Cell Genomics https://doi.org/10.1016/j.xgen.2023.100377 Reanalysis of Iceman

                                                                                アルプスの氷河で見つかった古代人「アイスマン」はヨーロッパ系の白人ではなく西アジア系で肌の色も暗かったことが最新のDNA分析で判明
                                                                              • 古墳時代初頭に中型犬か 奈良・纒向遺跡 | 共同通信

                                                                                Published 2022/08/15 18:08 (JST) Updated 2022/08/15 18:58 (JST) 邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡(奈良県桜井市)で出土していた古墳時代初頭の犬の骨を分析したところ、背中までの体高は約48センチで中型犬の大きさと推定されることが15日、分かった。古代の犬は、小、中小、中、中大、大級に分類される。弥生時代までは小型犬が主流で、今回は中大級に該当し、古墳時代になって大陸からもたらされた可能性を示すという。成果は桜井市纒向学研究センターの研究紀要に掲載された。 犬は縄文時代から番犬や猟犬として飼われ、弥生時代には食用の習慣が伝わったとされる。骨は市教委の2014年度調査で出土。3世紀前半のものと考えられるという。

                                                                                  古墳時代初頭に中型犬か 奈良・纒向遺跡 | 共同通信
                                                                                • 東大寺大仏の造立携わった行基供養か 類例ない建物跡 奈良 | NHKニュース

                                                                                  奈良市の遺跡で、柱の穴が円形に並ぶ奈良時代の建物の跡が見つかりました。この時代の建物としては類例がない構造で、調査に当たった研究所は、東大寺の大仏造立などに携わった高僧、行基を供養する建物の可能性が高いとみています。 元興寺文化財研究所が発掘調査したところ、直径14メートル余りの円周の上に並ぶように柱の穴が15か所で確認され、出土した瓦や土器の年代から8世紀中ごろの奈良時代に円形の建物があったことが分かりました。 研究所によりますと、円形の建物はこの時代には類例がなく、後の時代には亡くなった人の供養などに使われたということです。 この遺跡の場所には、奈良時代の高僧、行基の業績を記した「行基年譜」に登場する「長岡院」という寺院があったと推定されていることから、研究所は行基を供養する建物の可能性が高いと見ています。 行基は数々の社会事業を行うとともに、聖武天皇の信任を得て東大寺の大仏造立に携わ

                                                                                    東大寺大仏の造立携わった行基供養か 類例ない建物跡 奈良 | NHKニュース