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今年(2023年)4月28日に出版された『土偶を読むを読む』。皆さんお手にとって頂けたでしょうか? 検証・批判する元本『土偶を読む』の存在を前提としているため、普通に考えると、非常に間口の狭い書籍であるにも関わらず、6月に2版、11月に2版2刷、実質3刷となり、部数も1万部を越えることができました。ひとえに読んでいただき楽しんでいただいた皆さんのおかげです。もちろん部数だけで言えば『土偶を読む』(現在9刷?)に今のところ全く歯が立ちませんしベストセラーとは言いませんが…。 この本の企画は簡単ではありませんでした、出版後に起こり得る状況がある程度想像できるだけに、何度も逡巡し、どう編集すればいいのか途方に暮れ、そもそも検証し反論するためにあらためて勉強しなければならないことの多さに、編集・執筆を始めてからも何度もイヤになっちゃったりしていました。 ですが、この年を振り返り、今となっては本当に
一昨年4月に発売された『土偶を読む』。考古学の実証研究とイコノロジー研究を用いて、土偶は「植物」の姿をかたどった植物像という説(と主張する)を打ち出した本書は、多くの著名人やメディアの後押しもあり版を重ね、学術書を対象にした第43回サントリー学芸賞をも受賞しました。 次の年には子ども向けの『土偶を読む図鑑』(小学館)が出版され、こちらは全国学校図書館協議会選定図書にも選定され、小中学校の図書館にもこの図鑑が公に推薦されることになりました。 しかし、その論証や説には大きな疑問があり、編者である僕、望月昭秀は研究者の皆さんと今年の4月28日に『土偶を読むを読む』(文学通信)を出すに至りました。 『土偶を読むを読む』の内容を超簡単に言えば、「『土偶を読む』での論証は皆目見当違いで破綻しているし、縄文研究ってもっと全然深くて面白いよ」という内容です。 討論会の打診 『土偶を読むを読む』の発売前に、
一昨年4月に発売された『土偶を読む』。考古学の実証研究とイコノロジー研究を用いて、土偶は「植物」の姿をかたどった植物像という説(と主張する)を打ち出した本書は、NHKの朝の番組で大きく取り上げられ、養老孟司氏ほか、各界の著名人たちから絶賛の声が次々にあがり、ついに学術書を対象にした第43回サントリー学芸賞をも受賞しました。 ……のですが、筆者はかねてから批判をしてきました。これは同書を読み、その間違いの多さと、「皆目見当違い」で破綻した内容、それにもかかわらず、この本は売れるだろうなとの嫌な予感に危機感を感じたからで、読んだ次の日に、『土偶を読むを読んだけど』をnoteで公開し、この本の説を簡単に信じてしまうであろうみなさんに、何本かの釘をさせたのではと思っています。 その時はこのnoteで「違うよ」という表明ができたので、筆者としては「今日はこのくらいにしてやろう」という気分でいました。
以前から、SNSではいくつかのアカウントから「問題あるよね」と指摘されていたヤフオクなどのオークションサイトに出品されている「偽土偶」。あらためてここで言うことでは無いかもしれないが、やはり言っておこうと思う。 なぜなら、僕自身、縄文時代のことが好きになり始めた10年くらい前、ヤフオクに出品されていた土偶(偽土偶)を見て、えっ売ってるじゃん!と、入札しようかどうか迷ったことがあるからだ(ホントを言えば好奇心で入札したことあります。…あっという間に落札価格が上がってしまい、諦めたわけですが…)。 今は、誰がこんなの買うんだ、と冷ややかに見ていますが、ただ冷ややかに見ているだけでは、せっかく縄文時代の何かしらに面白味を感じた人たちが、こういった詐欺まがいにひっかかり、払わなくて良い授業料を払って、嫌な気持ちになってしまうのはなんだか申し訳ない、と今回思い直したのです。 最近ではそれほど入札もな
『土偶を読む』という本が売れている。本noteでは、この本の説には妥当性が全然無いよ、簡単に鵜呑みにしないでね。ということを再三に渡り警告してきたわけですが、その甲斐も虚しく順調に売れ、巷には目からウロコを落とした人が増えているようだ。 とはいえどんな本が出版されようが、または売れようが、別に構わないし、人がどんな本を楽しもうが意見するつもりはない。そんなことは余計なお節介でしかない。ただ、『土偶を読む』を読んで、無邪気にその説を信じてしまう人があまりにも増えてしまうと、今まで地道に研究し、縄文時代についてわかっていることを説明してきた人たちの苦労が一歩も二歩も後退してしまう危険性もある。だからこそここであらためて、ちゃんと否定しておこうと思う。ーー以前の一連のnoteは最後にリンクを貼っておく。 『土偶を読む』が売れるのは当然で、養老孟司さんをはじめ、中島岳志さん、いとうせいこうさん、な
縄文時代は文字がなかった時代だ。土器にも、土偶にも、土版や石板にも、文字というものは今のところ発見されていない。タイトルの写真はなにかしらの意味のある記号のようで、それともただの文様のようで、その意味はまるでわかっていない。 「文字がなかったってことは言葉もなかったの?」と、時折言われる。 そんなわけはない。「はじめに言葉ありき」というあの有名な決め台詞を知らないのだろうか、言葉の歴史は文字の歴史の何倍も古く、世界中のどんな民族にも言語はあり、どんな民俗事例をみても言語より先に文字ができることはない。世界中には約7000とも8000ともいわれる数の言語が存在し、その中で独自の文字を持っている言語は約400しか存在していない。 文字がない=言葉もない、と短絡的に考えたそこのあなたには、それってパンツを履かずにズボンを履いているようなものですよと言ってあげたい(ちょっとちがうようで割と上手いた
反論三部作の完結編だ。こんなに長くなってしまったのは本意ではない。本を読んで反射神経で書いた最初の「思いがけない冒険」から始まり「竜に奪われた王国」。そして今回が「決戦のゆくえ」。というのはホビット三部作のタイトルだけど、このnoteの記事もついつい長くなってしまった。 竹倉さんに恨みがあるわけでもないし、僕自身も、自分自身を粘着体質ではないカラリとした男でありたいと常に思っている。のだが、始めてしまったら終わらせなければならない。ぜひ(1)と(2)もあわせて読んでほしい。 『土偶を読む』はきっと売れているだろう。「アンチも巨人ファン」理論で言えば、本noteの記事もまた売り上げに貢献したに違いない。SNSでは、この反論を支持してくれる人の方が多いようにも思えるが、『土偶を読む』にも素直に「納得した!」や「現時点ではこれが一番事象を説明できる仮説だと思う」や、「痛快!」の声が多く寄せられて
いつも行くあのコンビニの下は遺跡だよ 実はいつも行くあのコンビニの下が遺跡だったなんてもこともある。 いや、それどころか住んでいる場所、よく歩いている道、今いる場所も、もしかしたらそこは遺跡の可能性がある。 でもよく考えてみれば当たり前の話だ。僕たちの暮らしている場所はかつて誰かの暮らしていた場所で、僕たちが「いいな」と思う場所はかつての誰かにとっても「いいな」と思える場所だった可能性だってある。 先日、Twitterで井の頭公園の周辺は遺跡だよと呟いたら、かなりの人が反応してくれた。 身近な場所や、思い出の
前回書いた『土偶を読む』を読んだけど(1)が思いのほか読まれてしまい、著者の竹倉さんからもコメントをいただき、少し気が引けているのだけど、乗りかかってしまったので続きを書くことにする。これはつい最近晶文社というサイのマークの出版社からだされた『土偶を読む』という意欲的な本の読書感想文に似た書評でもある。 竹倉さんもあとがきでこう書いている「今後の考古研究によって私の仮説が追試的に検証され、遠くないうちに「定説」として社会的に承認されることを私は望んでいる。」であれば、ここでの指摘に限らず様々な指摘や反論も本懐だろうと思う。 『土偶を読む』の「はじめに」ではこう述べている「さあ、それでは私が「世紀の発見」に成功した人類学者であるのか、はたまた凡百の「オオカミ少年」に過ぎないのか、ぜひ皆様の目で判断してもらえればと思う。ジャッジを下すのは専門家ではない。今この本を手にしているあなたである」 あ
『土偶を読む』という本が話題だ。発売前からNHKに取り上げられ、SNSではここ数日、「土偶の謎がわかった!」、「土偶って植物だったんだ」、「すごい」という声が溢れている。アマゾンの本のランキングでも今見たら品切れ状態で5位。坂道シリーズの写真集くらい売れている。そんな本を今から「くさす」のはなかなか勇気がいることだ、しかし、売れてなかったらわざわざ触れたりしなかっただろう。 当初は期待していた。人類学者が考古学の知見を得て「土偶」を読み解くのは「新しい角度」だ。こういうのは大好きだし、縄文時代は従来の考古学とは違う視点を持った様々なジャンルから読み解くべきだと、以前からずっと思っている。 さらに、この本が出る1,2年ほど前に、著者の竹倉さんの熱烈なサポーターのような方から、竹倉さんの講演を聴きに来ませんかと連絡が来たこともあり(日程の都合で行けなかった)、その熱量がすごくて、そこまで言うな
人はどうやって縄文ファンになっていくのだろうか。いまだに謎のヴェールに包まれたそのプロセスを、縄文ファンであり、縄文界隈ウォッチャーである筆者が解析してみることにした。異論反論ももちろんあると思いますが、この図と解説はそれらを反映し更新していきたいと考えています。ぜひご意見などください。 今まで色々なメディアの取材を受けることも多かったのですが、縄文ファンという得体の知れない存在に対しての読み間違いや、女性ファンについての予測値(期待値)がズレまくっていることが多かった(縄文女子問題が縄文界隈にもあったのです)での、あえて年齢層と男女比を体感値として記してみました。あくまでも参考までにこのような傾向があると思ってください。 1 研究者一般的に大学や公職に属している縄文研究者のこと。純粋に縄文ファンではなく、仕事として、時代を研究対象としている。しかし、ほとんどの研究者は縄文ファンを経由して
ミミズク土偶という楽しい連中がいる。賑やかで、個性的で、ユニーク。顔もでかくて、ハンサムとは言えないけれど、ヘアスタイルにはこだわりがあって、装いはだいたいおしゃれで土器で茶色いはずなのにカラフルに見えるほど。湿っぽいのは苦手で悲しい顔をしている人がいればおどけたフェイスで笑わせてくれる。やつらがいればパーティーは必ず盛り上がる。そんな土偶だ。 というのはほとんど冗談だけど、写真を見てくれれば、なんとなく納得してくれるだろう。 ミミズク土偶とは縄文時代の後期の終わりくらいから晩期にかけて関東周辺で作られた土偶で、ミミズクみたいな顔をしていることからこの名前がつけられている。 なんでこんなことを言い出したかと言えば、現在開催中の茨城県立歴史館の『Jomon Period』展のミミズク土偶の展示がすごく楽しかったのでnoteにまとめてみた。この展示は3点を除いて写真撮影が禁止!なので図録の写真
アイヌはいる。 そんなところから始めないといけないのかと、暗澹たる気持ちになった。ウポポイというアイヌ文化の復興・発展のための拠点となるナショナルセンターができてから、アイヌへのヘイトが日に日に酷くなっていく。 こういうのは無視するのが一番ではあるし、こうやって外野から何かいうこともアイヌもまた良くは思わないんだろうなというのも良くわかっている。それでも変な誤解やデマとヘイトが流布している現状には一言二言言わせてもらいたい。 ウポポイについてはアイヌからも批判は受けている。もっと正しくちゃんとアイヌ文化を伝えてほしいという声や、現在進行形でもある迫害や差別の歴史にもっと目を向けてほしい、アイヌ文化をこんな形で消費するな、という、もっともな批判。そもそも日本を多民族国家だと認めたがらない保守系の党が主導したことも、文科大臣のあまりにも現実を無視した、さらに言えばアイヌに愛情の一欠片もない発言
東京にも縄文は多い。特に東京の西側、武蔵野台地を中心とした場所は縄文時代からかなりの人が住んでいたようだ。その武蔵野台地の東北の端っこの方、に清瀬市はあり、柳瀬川とはそこから埼玉に流れ込む荒川の支流の中くらいの川だ。 今年もたくさんの縄文の企画展が開催され、各々見所があって面白かったのだけど、ことさらにこの清瀬市郷土博物館のこの展示を紹介するのはなぜかといえば、「理解できない」「狂ってる」「1メートル進むのに1時間かかる」「今年の裏ベスト」との感想で、一部の縄文好きに話題になっていたからだ。 博物館に入り、感じたのは、展示室に向かうエントランスから異様な雰囲気。まるで凶悪犯を追いかける捜査チームの作る壁に作られた相関図のよう。すでに何かが溢れている。中にはちょっと何を行っているのかわからないコピーも。 展示室の前で簡単なパンフレットをもらう。展示は無料だ。 展示室はそれほど広くはない。置か
縄文時代にいわゆる猫はいなかった(ヤマネコはいました)。というのは定説で、もしかしたらいたんじゃないかとは言わない。 のですが、こんなものがあるってことは……もしかしてオーパーツ!ということで、一部SNSで話題になっていた福島県の猫形土製品とあわせて、縄文時代の猫のモチーフを紹介してみよう。 福島県立博物館の企画展「あにまるず ANIMAL × Zoo ―どうぶつの考古学―」2019/11/17まで。動物モチーフの考古資料を集めた展示、猫以外にもカエル(縄文人はけっこうカエル好きだ※地域差があります)とかコウモリとか、楽しそうな展示です。 次はこの土器。まるで塗りたてのコンクリに残った猫の足跡のようでなんだかほっこり。裏側は見れなかったけど、多分4隅に足跡が。
僕は普段から考古館巡りを楽しむ市井の縄文ファンです。縄文ZINEという雑誌を作り各地で取材をし、考古館の企画のお手伝いもたまにやっていたり仕事でも関わることもあるので、ファンを逸脱している部分もたしかにあるけれど、そのスタンスは縄文ファンでいたいと思っています。 考古館巡りーー日本全国には数限りない考古館や郷土資料館があり、この楽しみは多分尽きることはないだろうと思っています。しかし、こんなことも思う。 いつ行っても考古館は空いていて、貴重な考古資料はいつだって独占状態。ツイッターに「〇〇考古館にヤバい土器あったぞ」なんてつぶやいて、その流れでちょっと気になって「〇〇考古館」でサーチしてみると1年に1回くらい誰かがつぶやいているのみ…。 これは一例で、もっとちゃんと人が訪れている考古館はたくさんあるのを前提に、そんな考古館に行くたびに、このジャンルヤバいなと非常に大きな危機感を感じたりもし
蓑虫山人、本名は土岐源吾。虫の蓑虫が家を背負うように折りたたみ式の幌(テントのようなもの)を背負い、幕末から明治期にかけて全国を放浪した絵師。美濃国(これも蓑虫の名前にかかっている)、今の岐阜県安八郡結村で生まれ、64歳で名古屋の長母寺にたどり着き、半年後、近くの別のお寺に風呂を借りに行き、風呂上がりに昏倒しそのままこの世を去った。享年65歳。脳溢血だったのだろう。 蓑虫(親しみを込め、こう呼ばせていただく)との最初の出会いははっきりと覚えていない。しかし、縄文好きの中では「知らない人物」ではない。東北の縄文を見に行ったり調べたりすると、たまーに、目の端に蓑虫の描いた土偶の絵がちらちらして、なんだかこの土偶かわいいなぁと思っていたりした。そんなわけで、実は気になる人物でもあったのだ。 数年前、縄文ZINEに写真を載せてもらう依頼をするために、写真家の田附勝さんと新宿の喫茶店フォーレストで打
縄文界隈ではこの話題で沸騰している。というのは嘘で僕と国書刊行会の編集者の伊藤さんしかいまのところ言っていない。 新海誠監督が縄文映画監督なのはすでに『君の名は。』で分かっていた。ややふざけているけど以下のリンクでその時の考察を読んで欲しい。 http://jomonzine.com/pg213.html それにしても「縄文映画」とはいったいどんな映画なのか、それもこのリンクで少しは分かってもらえるかもしれないが、簡単に言えば映画の中に「縄文」的な要素が濃厚に含まれているものを「縄文映画」という。 「ゾンビ映画」はゾンビが出て来なければならない。しかし、「縄文映画」には直接的に縄文人が出てこなくてもよいのだ。そもそも大抵の映画には縄文人は出ていない。 ーー ここからはネタバレ、映画を見てから読んで欲しい。 ーー で、『天気の子』がなぜ縄文映画なのかと言えば、一番重要な要素は、『君の名は。』
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