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教育とアクティブラーニングに関するs_locarnoのブックマーク (2)

  • 溝上慎一の教育論

    ようこそ!「溝上慎一の教育論」のウェブサイトへ サイトポリシーをご了解の上お読みください。 溝上慎一の教育論:目次     (更新情報)(YouTUbe動画を除く) (は過去1週間以内の更新ページにつけてあります) 2021年11月29日更新 [用語集] 2021年11月29日更新 [理論](アクティブラーニング等のトピックについて理論的に概説するページです) 2022年7月25日更新 [講話](アクティブラーニング等のトピックについてフリースタイルで論じる雑考ページです) 2023年11月29日更新 [YouTube動画チャンネル](学校教育や心理学に関するインタビューや講義を配信します) 2020年1月18日終了 [AL関連の実践](原則として溝上や森朋子氏が実際に見学したAL型授業を紹介しコメントをつけています) 2022年5月28日更新 [データ] 2020年6月6日更新 tuli

    s_locarno
    s_locarno 2017/01/17
    学術と実践のすり合わせのされている溝上慎一先生の論考が読める。思いつきレベルの議論はここに書いてあることでほとんど反論できる。
  • 国語科教育論

    現職の高校国語教員 国語の授業というのは現在変わりつつあるらしい 今の20代以上の人なら、きっと、現代文の授業は、 形式段落を意味の上で大段落に分けて、第一段落…のように形式段落ごとにちまちまと読解した覚えがあるだろう 自分も未だにそのやり方を続けている これは、小学校の先生に言われれば、古式ゆかしい方法論らしい アクティブラーニングなんかが好きな人はたぶん生理的に受け付けないんだろう しかし、自分はこのやり方を変えるつもりは今のところない 現代文(特に評論)の読解には、大きく分けて2つの読み方がある 1つは、トップダウン式の読み方で、全体をざっと理解してから細部に及ぶという、いわば演繹的な読み方である もう1つは、ボトムアップ式の読み方で、細部を精読してそれを有機的に繋ぎ合わせるという、いわば帰納的な読み方である 多くの国語教員は後者のやり方を取ってきた、特に中学高校の教員は 今、それが

    国語科教育論
    s_locarno
    s_locarno 2016/09/20
    教員が教える程度の精読を高く評価しているとこういう議論になる。でも、本当に教員が教えることってそれほど意味のあることなのか?と考えるとこういう議論は意味がなくなる
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