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セルクマに関するsadamasatoのブックマーク (12)

  • ももいろクローバーZの男祭について - さだまさとの日記

    ももクロこと、ももいろクローバーZが太宰府市の大宰府政庁跡で行う男性限定ライブについて、市民団体から苦情が出て、市長が名称変更等を求める事態になっています。(参照http://digital.asahi.com/articles/ASHBF51RBHBFTIPE01W.html?_requesturl=articles%2FASHBF51RBHBFTIPE01W.html&rm=381) こうした女性権利団体の申し入れが報道された場合に良くあるように、インターネット上では市民団体へのバッシングも行われているようです。モノノフ(ももクロファン)のヒステリックな反応が残念なので、ももクロファンの一人として、分かる限りの経緯と見解を書いておきたいと思います。 経緯 太宰府天満宮からライブ開催の依頼 ももクロ侍というサイトの記事(http://momoclozamurai.xxxblog.jp/a

    ももいろクローバーZの男祭について - さだまさとの日記
    sadamasato
    sadamasato 2015/10/15
    ブログは休止中ですが、思うところがあって書きました。
  • Gl17さんへ - さだまさとの日記

    ブログなんて書く余裕がないほど生活が逼迫して、三年以上日記を放置し、たまにブックマークをつけるだけだったのですが、どうしても書く必要があると感じたので、日記を書きます。 id:Gl17さんのブックマーク、 諸外国の言うことは全てプロパガンダだ!だから史実なぞ無視、というプロパガンダ。無論それを進めた先は全世界を敵に回す閉塞しか無く、日国内の(まともな)歴史学すらどうやっても敵。行着く先は北朝鮮の鏡像。 http://b.hatena.ne.jp/Gl17/20131002#bookmark-163749206 についてです。 この「北朝鮮の鏡像」とは、どのような意味なのでしょうか。諸外国の言い分をすべてプロパガンダと主張するプロパガンダだらけで、八木秀次氏のような歴史修正主義を徹底し、歴史学を敵視し、全世界を敵に回す国家が「北朝鮮」*1であり、日もやがて「北朝鮮」の鏡像のような国家にな

    Gl17さんへ - さだまさとの日記
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    sadamasato 2013/10/02
    id:Gl17さんへ。「北朝鮮」を悪魔化しないでほしいという趣旨のエントリです。
  • 東浩紀氏のポストモダン・哲学史理解について - さだまさとの日記

    忙しさにかまけて、日記をかなり放置していたのですが、「どの口がそれを……PartII(追記あり)」(http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100903/p1)というエントリに付けたブックマーク、 「東氏が「カンニングは許せん」と言えても、「カンニングをツイッターで告白するのはおかしい」と言うのは自己矛盾になるということ。ポモ系リベラルとは、まことにハードな立場ですなぁ…。」(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100903/p1) に関する補足をここで書いておきます。 ポストモダンについて 同じ記事のブックマーク内でid:y_arimさんが、 ポストモダニストが責任を問うなど笑止千万、ということか。『逆境ナイン』に曰く「それはそれ‼ これはこれ‼」とのことだが…… と

    東浩紀氏のポストモダン・哲学史理解について - さだまさとの日記
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    sadamasato 2010/09/05
    私の知らない東氏の論拠がありましたら、ご指摘お願いします。/id:Midasさんの独自解釈はいりませんから、デリダの「全ては解釈だ、歴史修正主義にも場所を与えよ」や、ハイデガーの「哲学は詩だ」の論拠をお願いします
  • 昨日の記事や私のブクマについたブクマなどに返答 - さだまさとの日記

    昨日の記事や私のブクマについたついたブックマークコメントで、いくつか返答したほうがよさそうなものについて簡単に返答します。 日教組=左翼? まず目についたのは、id:inumashさんの inumash はてな うん?何故「日教組叩き/嫌い」と「左翼叩き/嫌い」が単純接合されてるの?“左翼=日教組”なの? 2009/09/14 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/sadamasato/20090913/1252865485 とのブックマーク。他の人たちからも、日教組=左翼ではないという声がありました。まずはこの件について簡単に返答します。 日教組が真の意味で左翼かどうかという議論はともかく、id:seijigakutoさんは日教組を左翼に分類したうえで「日教組云々」のブクマコメントを残したと読めたので、私は「よほど左翼がお嫌いなようで」とコ

    昨日の記事や私のブクマについたブクマなどに返答 - さだまさとの日記
    sadamasato
    sadamasato 2009/09/20
    id:toroopさん、実は私もニヤニヤしました。
  • 日教組を叩きたがる人たち - さだまさとの日記

    教員免許更新制度が廃止の方向で動くようです。 日教組出身の民主・輿石氏「教員免許更新制は廃止」 民主党の輿石東参院議員会長は12日、甲府市で記者会見し、同党が衆院選マニフェスト(政権公約)で「抜的な見直し」を掲げた教員免許更新制について「法律を変えないといけない。できるだけ早くやるという方向だ」と述べ、現行制度を廃止する意向を示した。早ければ来年1月の通常国会に教員免許法改正案を提出し、11年度から実施したい考えだ。 http://www.asahi.com/politics/update/0912/TKY200909120178.html 教員免許更新制は、問題教員を排除できず、逆にただでさえ職務に忙殺されている良心的な教員の負担が増えるという制度だと私は認識しており、当然、この制度の廃止を喜びました。そして、当該記事のブックマークにもそのように記しました。 ただ問題は記事のタイトルで

    日教組を叩きたがる人たち - さだまさとの日記
    sadamasato
    sadamasato 2009/09/14
    seijigakutoさんの"左右を問わずに制度は意味がないといっていてそれは事実ですけど、日教組の教育も~"との言葉は、"左右問わず制度は無意味だと言っているけど、右でも左でもない日教組の教育も~"と解釈できますか?
  • 日本国民の? - さだまさとの日記

    私のブックマークコメントに対して、id:kenkidoさんから丁寧なお返事をいただいたので、それへのお返事をしたためます。 納得できる点 前半は、非常に納得できる点もあり、同じような問題意識を共有しているとも思えます。例えば、 さて、八十年代以降、我々日人は、政治的偏向、非常識、そして非良識と受け取られないよう、とても気遣ってきた。そして我々は、非偏向な、常識的で、そして良識的なと看做されるところにおさまっていこうとしたし、その枠の中での問題認識とそこよりする批判的議論を試みるようになった。それはまた、我々が、知らず知らず、根的な原理に溯っての批判に貧弱になった、ということを意味する。そして、そこで最も有力な、あるいは有効な手法は、非常識と非良識を見出すことであった。 という一節は、非常に鋭い指摘で、私が普段思っていることを明瞭に言語化していただけたとも思います。ここで言われることは、

  • 竹村牧男『仏教は本当に意味があるのか』 - さだまさとの日記

    仏教は当に意味があるのか 作者: 竹村牧男出版社/メーカー: 大東出版社発売日: 1997/12メディア: 単行購入: 1人 クリック: 13回この商品を含むブログ (1件) を見る刺激的なタイトルにつられて購入。初版が1997年なので、12年前の著作である。書の中で明示的に書かれているわけではないが、書かれた時期を考えれば、オウムの地下鉄サリン事件などを受けて、仏教のあり方、そして仏教と現代社会との関わり方について考えざるを得なかったのだろうという推測は可能であろう。 著者は冒頭にこう書く。 仏教とはなにか。この問題は当然、仏教学の最も中心の問題であると考えられる。仏教学という学問は、まさにこの「仏教とは何か」を明らかにする学問のはずである。しかし、現在の仏教学は、この問題に応えているであろうか。私の見るところ、極一部を除いて、ほとんどがかなり細分化されたテーマを追っているのみ、と

    竹村牧男『仏教は本当に意味があるのか』 - さだまさとの日記
  • 実存とは何ぞや - さだまさとの日記

    いつも楽しみに読ませてもらっているid:F1977さんのブログにhttp://d.hatena.ne.jp/F1977/20090315/1237100983という記事があがっていました。 そこで実存について、 びびびーん!と感じたものはすべて、「実存」なのです。 という秀逸な定義に出会いました。 F1977さんによると、新書一冊読んだだけでこの理解に達したとのことですが、これが正しい理解だということを補足的に述べておきたいと思います。 実存の定義 実存という語は、使っている人によって様々に定義されています。 それらについて簡単に見ていきましょう。 ハイデガー ハイデガーはキェルケゴールの「人間とは関係に関係する関係である」という人間の定義を受けて、実存を「自己自身に関係する存在」とか「自己自身の可能性を生きる存在」と定義しました。 例えば、金づちという道具を考えてみましょう。それは「釘を

    実存とは何ぞや - さだまさとの日記
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    sadamasato 2009/03/19
    F1977さん、私の方がローカルな存在ですので、どうかお気になさらずに。/id:amamakoさん。実存は現実存在の略語なので、事実的な私たちのあり方とその諸可能性との関わりと理解しています。
  • イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』 - さだまさとの日記

    カルヴィーノの『木のぼり男爵』や『まっぷたつの子爵』は読んでいたが、この『不在の騎士』は近所の屋になかったために未読だった。しかし、三部作の一つだけ読んでいないというのも気持ちが悪かったので、amazonで購入し、先日一気に読了した。 もともとカルヴィーノに興味を持ったのは、2chの文学板に「偽カルヴィーノ」なるコテハンがいたからである。高橋源一郎のスレッドかなんかで彼の発言を見て、どうもカルヴィーノという作家も面白そうだと思ったのが最初だ。まあ、それもかなり昔の話で、私も2chを見なくなって久しいし、おそらく偽カルヴィーノ氏ももう2chには書き込んでいないだろう。 不在の騎士 (河出文庫) 作者: イタロ・カルヴィーノ,米川良夫出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2005/12/03メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 28回この商品を含むブログ (54件) を見る舞台は中世

    イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』 - さだまさとの日記
  • 恥を巡ってもう少し - さだまさとの日記

    sumita-mさんから、トラックバックをもらいました(恥を巡って少し - Living, Loving, Thinking, Again)。うなずくところがたくさんありますが、ちょっと分からないところもありますので、応答してみたいと思います。 まず、「和辻哲郎『人間の学としての倫理学』を持ち出すまでもなく、倫理は人間(between people)ということを抜きには存立しない」という部分に関しては、間違いなくその通りだと思います。倫理的主体としての人格なるものは、さまざまな関係の内に初めて成立するものだと思っています。 同様に、「人間が他者に見られている、他者に晒されている存在であること、さらにはその見られていることを意識する存在である」という点に関しても、その通りだと思います。我々は、まさに他者に対して表現をすることによって、自己自身になるというのは間違いのないことです。 しかし、ち

    恥を巡ってもう少し - さだまさとの日記
  • 恥の意識がなくなっても特に終わらない - さだまさとの日記

    たまたま以下のエントリが目に入りました。 恥の意識がなくなったら終わり - チョコっとラブ的なにか 私は「恥」というものが決して倫理になりえないと考えているので、そのことを書いおきたいと思います。 そもそも恥の文化などないような気もしますが(例えばここを参照)、id:love_chocolateさんが書いているような、 「人に迷惑をかけるような事は恥ずかしい事をしない」と言う意識というか道徳規範 について考えていきましょう。 恥は内向きの論理 まず第一に気になるのが、誰に対して恥ずかしいのかということです。「人に対して恥ずかしいようなことをしてはいけません」ともlove_chocolateさんは書いています。しかし、この「人」というものは実体がありません。ハイデガー的に言えば、誰でもなく誰でもありうるような「世間」というヤツです。つまり、「世間に顔向けできないことをするな」ということが「人

    恥の意識がなくなっても特に終わらない - さだまさとの日記
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    sadamasato 2009/02/25
    id:neko16kさん。「何を恥ずべきか」からさらに「なんでそれが恥ずべきことなのか」まで進まないと、それを恥ずべきことだとする社会規範がある特定の人たちを差別し抑圧する可能性に気づけない、ということです。
  • 肉を食べないことに理由は要らない - さだまさとの日記

    だれが「菜主義」と名づけるのか。 - hituziのブログじゃがーを読んで、思い出したことがありました。 はじめはブログのコメント欄に書き込もうとも思ったのですが、長くなったので自分のブログに書くことにしました。 私にも、大学に入ってから知り合った友人で、肉をべない友人がいます。その友人に対して、今まで遠慮して逆に「どうして肉をべないのですか?」と訊いたことはありませんでした。ほかの友人たちも同様に、なんとなく聞いちゃいけないんだろうな、と思っているようでした。ところが先日、空気の読めないヤツがいて、「なんで肉をべないんですか?」と質問したのです。 しかし、それに対する友人の答えは「肉の味が嫌いだから」といういたってシンプルなものでした。その解答を聞いて私は驚いてしまいました。「そんな理由だったのか!」と。彼は無宗教を自認する人だったので、宗教的理由ではないにせよ、何らかの思想に基

    肉を食べないことに理由は要らない - さだまさとの日記
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    sadamasato 2009/02/24
    id:komurasakihokoriさん。思想と嗜好は分ける必要はないと考えています。しかし、肉を食べることに関しては、嗜好ではなくあえて思想で食べないような不自然なことだと思い込んでしまっていた、というわけです。
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