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記憶と記録と物語に関するsaikorohausuのブックマーク (8)

  • 一番広い世代に知られている国語の教科書の話はなにか調べてみる

    小学校のものはだいたいなんでも懐かしいが、なかでも懐かしいのが国語の教科書だ。 『スイミー』『おおきなかぶ』『くじらぐも』...ちょっと思い出すだけでもとにかくすべてが懐かしい。しかし、日全国に配られている教科書でも、世代が違うと載っている作品はけっこう違う。 国語の教科書のうち、みんなが知っている作品はどれなのか。歴代の国語の教科書を調べ、「もっとも知られている国語の話」を探し当てたい。 日の6割以上の小学生に読まれている光村図書 題に入る前に、まずは私の”推し”の教科書について話したい。 この表紙にビビッときたら、あなたは「光村に育てられたアラサー」だ。(教科書クロニクル 小学校編(光村図書)よりキャプチャ) 光村図書出版。小学校の国語の教科書の最大手だ。 これ以外にも教科書はあるが、光村のシェアはなんと約67%。 「教科書の出版社なんか覚えてないよ」という人も、だいたいは光村で

    一番広い世代に知られている国語の教科書の話はなにか調べてみる
    saikorohausu
    saikorohausu 2022/03/24
    赤い実はじけたもガラスの小びん(しかもタイトルを「私を作ったもの」だと勘違いしてた…)もそんなにピンポイント世代だったなんて 好きな作品だった
  • 防犯カメラの死角を必死で探したことがある

    実家に帰ってきて親のいない茶の間で水ようかんをべていたら、この家でこんなにしずかな時間を過ごすのは久しぶりだと気づいた。 それは両親が旅行(といっても彼らも私も都民なので県をまたいだ移動をするのは悩ましく、近場のホテルをとって普段よりすこし贅沢みたいなことをしている)で不在にしているのはもちろん、私が人との同棲結婚離婚を経てひさびさにひとりになったからというのもある。 10代後半から20代前半にかけては、親の不在期間はそのまま、好きな男の子を家にこっそり連れ込むためのタイミングだった。 いま、ひどいときには収入が5ケタになるような弱小フリーランスの私とはちがい、両親は当時から地に足のついた仕事をしており、なおかつ良くも悪くもバブル世代的な人たちだった。10年ほど前、実家の駐車スペースには黒くでかいベンツと流線形の銀色の外車が並んで置かれていて、家族である私から見てもそれらは笑ってしま

    防犯カメラの死角を必死で探したことがある
    saikorohausu
    saikorohausu 2020/07/27
    まあ普通、親の留守中は車なんかより年頃の娘の方が心配だもんね あーいいもの読んだ!
  • 大人になりかけのわたしを支えた「ベランダのない部屋」(寄稿:はせおやさい) - マンションと暮せば by SUUMO

    立地や間取り、設備など似通った要素を持つ物件は数あれど、そこでの生活の様相は人により全く異なるはず。「私のマンション生活」では、住んだ人だけが知っている住まいとのエピソードをお届けします。今回はブロガーのはせおやさいさんに、初めて一人暮らしをした「ベランダのない」部屋での生活について執筆いただきました。 初めての一人暮らしは「ベランダのない部屋」だった 20代半ば。初めての一人暮らし。ある出来事をきっかけに、当時のわたしは仕事に何が何でも打ち込もうと、会社から近い三軒茶屋エリアで物件を探していた。 いくつか内見をしたなかで、「新築デザイナーズマンション」「東急世田谷線の若林駅から徒歩2分」という良い物件と出合った。当初、譲れない条件であった「二口コンロ」「エレベーター付き」「二階以上」という点も含めて完璧だ。 ただ、一つだけ気になったのが、この部屋にはベランダがないという。 少し悩んだが、

    大人になりかけのわたしを支えた「ベランダのない部屋」(寄稿:はせおやさい) - マンションと暮せば by SUUMO
  • 2020年のプログラミング教育必修化を見据え、子供と一緒に知育玩具「ローリーズ・ストーリー・キューブス」で遊んでみた - それどこ

    お世話になっております。兼業ライターの赤祖父と申します。 今まで幾つか「子供と遊ぶこと」をテーマに寄稿させていただいております。 https://soredoko.jp/archive/category/%E8%B5%A4%E7%A5%96%E7%88%B6soredoko.jp 今回は4歳半になる私の息子と、それどこ編集部の皆さまにご協力いただき、4歳児vs大人で論理的思考力を競って遊んでみている。 その玩具はコレ。 このサイコロのようなもの、「ローリーズ・ストーリー・キューブス」という。 【楽天市場】 ローリーズ・ストーリー・キューブスの検索結果 9つのキューブ6面にそれぞれイラストやマークが描かれ、合計54のイラストで構成されている。キューブを転がし、出た面に描かれているイラストを組み合わせ、即興でストーリーを作っていく……というのが基的な遊び方。 例えば…… あなたなら、この4コ

    2020年のプログラミング教育必修化を見据え、子供と一緒に知育玩具「ローリーズ・ストーリー・キューブス」で遊んでみた - それどこ
    saikorohausu
    saikorohausu 2018/11/30
    おてて絵本ゲームだね/昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。そしてゾイドがいました。ティラノサウルスがいました。ゾイドはガオーと言いました。ティラノサウルスは逃げていきました、おわり。
  • 聞いてくれ - ひとつ恋でもしてみようか

    andymoriをはじめて聞かせてもらった淵野辺駅近くの、といっても線路沿いに15分くらい歩かないと着かないロフト付きのワンルームに行きたい。 8年前、夏の夜、ボール型の安っぽい空気清浄機、俺の部屋にはない姿見、実家から持ってきたという大きなデスク、UTのDomino RecordsTシャツ、群青色のラグマットに絡んだ髪の毛やほこり、を手のひらで集めながら話すのが俺のクセだった。あれから7年経った昨年、淵野辺から学芸大学を経由して札幌に越した彼の部屋に友人3人で世話になった夜に「おまえのそのクセ変わらんな」と言われて、申し訳ないやら嬉しいやらだった。 連れだって夜の公園をぶらついてたら、当時好きだった女から電話がかかってきて2時間通話した俺を彼は黙って1時間くらいそばでブランコに乗って待っていたのに、俺は彼を待たせてるにもかかわらず「先に部屋戻っとけよ」となんだか偉そうに目つきと手ぶりで指

    聞いてくれ - ひとつ恋でもしてみようか
  • 赤いカーディガン - おんなのはきだめ

    初めてできた年上の友達は、14歳年上の女の人だった。 小学生から中学生にかけて住んでいたマンションは、坂のてっぺんに立っていた。その隣には大きな緑化公園があった。池や広い芝生が広がっており、週末になると多くの家族やランニングをする人、釣りを楽しむ人が集まった。 その公園からはマンションの裏側から行けることができた。マンションの横には小さな林があり、そこを抜けていくと公園の脇にでるのだった。マンションに住んでいる子どもたちの間ではそこの抜け道はみんな知っている道で、みんなで遊ぶとなるとこぞってその抜け道の前に集合し、公園に駆け抜けて行くのだった。 小さい頃から1人が好きな子どもだった。小学生の時は近所の子どもたちと毎日のように遊んでいたが、中学は地元の中学ではなく家からかなり離れた中高一貫の私立に入学したため、近所の子どもと遊ぶことはだんだん少なくなっていた。ましてや、公園で遊ぶことなどはな

    赤いカーディガン - おんなのはきだめ
  • 山梨のマンホールに…ひっそり千葉のふた 30年設置か:朝日新聞デジタル

    ユーカリの木とコアラの親子がデザインされたマンホールのふた。長年、山梨県富士河口湖町の町道に一つだけ使われてきた。実はこれ、千葉県松戸市のふた。外部の指摘を受け、気づいた町は今月7日、その日のうちに町のふたと取り換えた。なぜこんなことが起きたのか。 松戸市のマンホールのふたは、富士河口湖町勝山の旧勝山村役場から南に約50メートルの町道にあった。直径60センチ、重さ約40キロで、表にはユーカリとコアラの図柄、「まつどし」「おすい」の表記。裏を見ると1989年に製造されたことがわかり、30年近く設置されていた可能性もある。 富士河口湖町は2003年と06年に旧勝山村など4町村が合併して誕生。町内で使われているマンホールのふたは、合併前の町村のものと、合併後の富士河口湖町のもの。旧勝山村で使われていたふたにはリスやフジザクラが描かれていて、松戸市のふたは来、あるはずがない。 松戸市によると、コ

    山梨のマンホールに…ひっそり千葉のふた 30年設置か:朝日新聞デジタル
    saikorohausu
    saikorohausu 2018/05/16
    この話良い。コアラマンホールが見知らぬ土地の路上を眺めながら誰か気付くかな…ってじーっと30年待ってるの。絵本にでもしたい話。/「これは表に裏の模様が、裏には表の模様がついてる珍しい50円玉だ」
  • 20年前、僕らがインターネットに見た、大きな可能性と夢の話。 | Books&Apps

    初めてインターネットに触れたとき胸がパチパチした。 インターネットの爆発的普及は人類に大きな変革をもたらした。産業革命並みの大きな変化が起こり、人類の在り様を変えたと言っても過言ではないだろう。 現在、我々の身の回りにはインターネットとそれに類する技術が文字通り掃いて捨てるほど存在する。 そこで一つ思い返してみて欲しい。このインターネットが世間に出始めた時、ここまでの状況になると予想できた人はどれだけいただろうか。 よく勘違いされがちだが、あらゆる変化はその最中にはそうであることを実感できない。変化や変革は究極の結果論なのである。 変化が終わり、結果が出たのち振り返ってみて「あの時がまさに変革期だったね」となるのである。 今が変革期、今こそ大きな変化、今まさに変化中といったリアルタイムな変革を予感させる言葉はまやかしであるか期待であるか、あるいは洗脳でしかありえないのだ。 だから、当時の僕

    20年前、僕らがインターネットに見た、大きな可能性と夢の話。 | Books&Apps
    saikorohausu
    saikorohausu 2018/02/24
    山本氏がいつカードバレるかドキドキしながら読んだが、最後にはそんな事どうでも良くなった。きっとうまいこと言って切り抜けただろう。
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