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茂木健一郎に関するseuzoのブックマーク (27)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 全力で振り切ること

    子どもの頃、草野球をするのが好きだった。王貞治選手の真似をして、一足打法をした。 ぼくたちのルールでは、公園にあるブランコを超えるとホームランだった。小学校5年生の夏、一番熱心に草野球をした。確か、「ホームラン」を50くらいは打ったんじゃないかと思う。 そんなことをするうちに、バットを全力で振り切る喜びを覚えた。三振しようが何だろうが、とにかくバットを思い切り振る。空振りしようが何だろうが、全力で振り切ると、爽快だということを、子ども心に知った。 草野球が楽しかったのは、その世界が青天井だったからだろう。室内で、上にガラスの天井があると思っていたら、バットを全力で振り切ることなどできない。頬をなでる風も、ぼくを照らす太陽も、すべて、バットを振り切ることを応援してくれていた。 大人になっても、質は変わらない。バットを全力で振り切ること。何よりも、そのような行為が出来る、青天井の環境を求

    seuzo
    seuzo 2010/07/22
    「ぼくたちのルールでは、公園にあるブランコを超えるとホームランだった。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「藩」の正体は、「脱藩」して初めてわかる。

    龍馬は、満26歳の時に、和霊神社に参拝し、水杯で武運長久を祈り、そして、「脱藩」していった。土佐藩という「組織」から離れてひとりの人間として自由に活動したことが、その後の「海援隊」結成、「薩長同盟」締結、そして「大政奉還」の実現といった偉業を成し遂げる上での基盤となった。 ここで興味深い事実は、龍馬の生きていた江戸時代には、「藩」という言葉はなかったということである。一部の用例を除いて、「藩」という呼称が使われることはほどんどなかった。明治に入り、いわば旧時代の体制を認識するための概念として「藩」という呼称が使われるようになったのである。 その藩も、1869年に諸大名が天皇に領地、領民を返還した版籍奉還、さらには「藩」を廃して「府」や「県」とした1871年の「廃藩置県」によって解体され、消滅することとなった。1867年の「大政奉還」からわずか4年。「藩」という呼称が広く使われるようにな

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ひたすら走れ。権威や組織と関係のない、自由な空気を吸うひとりの個人として。

    桑原茂一さんにお誘いを受けて、いわき市のアリオスでお話しした。 トーク×アリオス#3「笑いと脳」 お話したかったことは、「当のこと」に向き合って、サッカーの選手がハーフタイム中ピッチの上を走り回るように、一生懸命生きていれば、日のどこにいようと、組織に関係していようとしていなかろうと、関係のない時代が来ているということ。 自分自身がかかわる感覚と運動の「偶有性」をどのように設計するかが問われているのである。 いわきのみなさん、一緒に頑張りましょう。 終了後、茂一さんと、いろいろ話す。 これからは、間違いなく乱世で、魂における下克上であり、それは厳しい愛の実践でなければならず、オシム前日本代表監督の言葉ではないが、「走れ、走れ、走れ」である。 ひたすら走れ。権威や組織と関係のない、自由な空気を吸うひとりの個人として。

    seuzo
    seuzo 2010/03/01
    「ひたすら走れ。権威や組織と関係のない、自由な空気を吸うひとりの個人として。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ベージュ色のぬた

  • 茂木健一郎 クオリア日記: プラクティカルなアドヴァイス

    ここのところ何をしている 時間が一番楽しいかといえば、 「勉強」ということになろうか。 際限がない。昨日移動しながら 読んでいたのはOrigin of Species とThe Greatest show on earth。 夜からはLeo TolstoyのThe Gospel in Briefを 読み始めた。 これは、Wittgensteinが読んで、 感激し、とにかく周囲の人に 勧めて回ったので、一時期「福音書の男」 と言われたといういわくつきのである。 塩谷賢のお師匠さんだった 廣松渉さんには、一度だけ お目にかかったことがある。 その御著書の、きわめて難解な 印象とは異なり、 まるで春風のようにさわやかな人だった。 その廣松さんが、塩谷に、 「勉強というのは、一日三千頁読まないと ダメだ」 と言ったそうである。 それを聞いて、ぼくは「うへー」と驚いたが、 当に学問をやろうとした

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    seuzo 2009/12/29
    「学問というものは、 基本的に「無償」のものだと思う。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 文脈交代のむずかしさ

    seuzo
    seuzo 2009/02/10
    「私の体をつくっている分子は、私という関係性のネットワークにからめ取られ、しばらくその中で踊り、やがてその関係性から解放されて世界中に散らばっていく。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 黄金期

    人生の中で、いつが楽しい 「黄金期」だったかと言えば、 いつでも常に「今、ここ」 がそうだったように思う。 幼稚園の時、庭でたくさんの 赤とんぼを見ていた午後。 友だちとふざけていて、 そいつが笑った瞬間に 鼻水が「ばーっ」と出てしまって 他の友だちにびちゃーっと かかってしまい、 「うわあ、汚ねえ!」と 叫んだ日。 たくさんあった絵を 家のように積んで、「どれどれ、 焼けたかな」と魔法使いのおばあさん のまねをして近づくと、後ろから 「どん」と押して、家が壊れる。 そんなことを何回もくりかえして 妹や大野繁幸くんと遊んだ休日。 小学校の遠足で河川敷に行き、 秋風にコスモスが揺れていた 真昼時。 時間の経過というものは 実に不思議である。 過ぎれば、二度と戻って 来ない。 よくよく考えれば 尋常ではないことが 「今、ここ」の中で常に 起こっている。 日常を陳腐だと思うのは 一種の油断であ

    seuzo
    seuzo 2008/04/13
    今、ここ