タグ

東日本大震災に関するseuzoのブックマーク (32)

  • 東日本大震災で流された大量の「戸籍」が鳴らす警鐘(井戸 まさえ) @gendai_biz

    東日大震災から7年が経つ。大規模な被害が出たことは言うまでもないが、同時に大量の「戸籍」も流されていた。戸籍がなくなるとどうなるのか? 当時どのような対応がおこなわれていたのか? 無戸籍者の問題を追い続けてきた井戸まさえさんが、大震災と戸籍について考える。 「戸籍がない」とはどういうことか 今年もまた3月11日がやってくる。 あの日、大事な命とともに、津波被害が最も深刻だった南三陸町、女川町、大槌町、陸前高田市の4市町では、住民の「自分の証明」たる「戸籍」の正が流され、全てが失われた。 「戸籍がない」とは、死者を死者として届けることも、出生も婚姻、離婚も含めて身分関係登録の一切ができないということだ。 誕生日や自分の父母が誰なのかも、何らかの客観的証拠がなければ公証に至らず、戸籍再生の道は厳しく制限される。 今日に至る近代戸籍制度は明治時代に確立したものだが、過去において大量に戸籍が滅

    東日本大震災で流された大量の「戸籍」が鳴らす警鐘(井戸 まさえ) @gendai_biz
    seuzo
    seuzo 2018/03/12
    戸籍がどうして必要なのか、なぜ行政がそれを管理把握するのか? ちゃんと議論するべき。
  • 【追記あり】「スサノオを祀った神社の多くは被災を免れている」?神社の祭神と東日本大震災の被害との関連を調べた研究が面白い

    ぇふわら @efuwara この研究は面白いな!「スサノオノミコトを祀る神社,熊野系神社,八幡系神社の多くが津波被害を免れているアマテラスを祀った神社,稲荷…系神社はその多くが被災している」/東日大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究jstage.jst.go.jp/article/jscejs… 2017-05-12 15:15:15

    【追記あり】「スサノオを祀った神社の多くは被災を免れている」?神社の祭神と東日本大震災の被害との関連を調べた研究が面白い
  • 東京新聞:原発事故 政府の力では皆様を守り切れません 首都圏避難で首相談話草案 :社会(TOKYO Web)

    二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故の際、首都圏で大規模な避難が必要になる最悪のシナリオに備え、当時の菅直人・民主党政権下で首相談話の作成が極秘に行われていたことが分かった。紙が入手した草案には「ことここに至っては、政府の力だけ、自治体の力だけでは、皆様(みなさま)の生活をすべてお守りすることができません」などと万策尽きた状況を想定した部分もあり、原発事故直後の政府内の危機感をあらためて示している。 草案を作成したのは、民主党政権で官邸の情報発信担当の内閣官房参与を務めていた劇作家の平田オリザ氏。当時、文部科学副大臣だった鈴木寛・元民主党参院議員が原発事故発生から一週間後の一一年三月十八日、作成を依頼し、平田氏は二日後の二十日に書き上げた。四百字詰め原稿用紙七枚に相当する約二千八百字の長文で、避難の範囲といった具体的な数値については、発表時の放射性物質の拡散状況に対応できるよう「○○

    東京新聞:原発事故 政府の力では皆様を守り切れません 首都圏避難で首相談話草案 :社会(TOKYO Web)
    seuzo
    seuzo 2016/02/21
    現実的に首都圏2000万人の避難はできないわけだから、今後もこうした談話は出(せ)ないだろう。最期の瞬間にドラマツルギーはないってこと。
  • 津波対策「あまり関わるとクビになるよ」調書を公開

    政府は、福島第一原発の事故調査委員会の調書127人分を公開しました。震災前に当時の規制当局の原子力安全・保安院で、巨大津波対策を検討しようとしたところ、複数の幹部にとがめられたとする証言があったことが分かりました。 新たに公開された調書によりますと、2010年ごろ、当時、保安院・耐震安全審査室の小林室長が、過去に福島で起きた巨大な貞観(じょうがん)地震のリスクを検討し、新たな津波対策を提案しました。これに対し、保安院の複数の幹部から、「余計なことを言うな」「あまり関わるとクビになるよ」と言われたと証言していることが分かりました。室長は、2011年3月に東京電力の担当者に対し、新たな津波対策の必要性を伝えましたが、担当者は「2012年秋の土木学会の評価の見直しを待ちたい」と答えたということです。室長は「それでは遅い」と話しましたが、その4日後に東日大震災が起きました。これで合わせて202人

    津波対策「あまり関わるとクビになるよ」調書を公開
    seuzo
    seuzo 2015/08/19
    偉い人たちが言うことはひと味違うね。
  • 東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS

    東日大震災。 東日全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日中の人に御礼を述べさせていただきます。 来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親とと一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅でと一緒で

    東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS
  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
  • 「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

    ■東日大震災追悼式の宮城県遺族代表、菅原彩加(さやか)さん(19)=石巻市出身=のことば 私は東日大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。 あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んで

  • 映画「禁じられた遊び」と東日本大震災後のあること

    娘と名作映画と言われるものを一緒に見たことがなかったので、若干無理やりにだけど、まずは共に「禁じられた遊び」からDVD視聴することにした(ちょっと抵抗されたけど・・・)。 見終わって感じたこと。昔何度か見たのだが、そのときからずっと不思議に思ってきたことが、東日大震災後に報じられていたあることと符号し、一気に理解できた。 不思議に思ってきたこと。 ・なぜポーレット(主人公の女の子)は死んだ父母の元から離れ、その後あまり父母のことを思い出そうとしなかったのか。 ・そしてなぜあの動物の埋葬と十字架遊びを繰り返していたのか。 つまり主題である「禁じられた遊び」にどのような意味があったのか。 リンクにあるように、東日大震災後、子供たちの中で地震ごっこや津波ごっこが執拗に繰り返されたと言う。それは大人の目から見ると、不謹慎な遊びであり、ある意味「禁じられた遊び」である。 これは実は東日大震災だ

    映画「禁じられた遊び」と東日本大震災後のあること
  • NHK NEWS WEB 知られざる死の記録〜仮埋葬

    3年前の東日大震災で、被害が大きかった沿岸部では、亡くなった人を火葬することさえできなくなり、遺体を一時的に土に埋める異例の「仮埋葬」が行われました。 震災から3年を前に、NHKは、詳しいことはあまり明らかにされていなかったこの「仮埋葬」の詳細な資料を入手し、関係者から話を聞くことができました。 巨大災害が奪った死者の尊厳、家族の死を受け止められない遺族、悩みながらその知られざる死の実態に仙台放送局の廣川裕輔記者が迫りました。 残された死の記録 「仮埋葬」は、震災発生直後の3月21日から6月8日にかけて、火葬場なども大きな被害を受けた宮城県内で行われました。 土に埋められた人は、2108人に上りました。 当時、「仮埋葬」の様子は大きく報じられ、家族をしっかり弔うことができない大災害の一面として多くの人の記憶に刻まれました。 遺体は、その後、11月にかけて掘り起こされ火葬されまし

    NHK NEWS WEB 知られざる死の記録〜仮埋葬
  • 「正しいと思ったことをする」(南三陸町 登米市)

    石野葉穂香です。 今回は、震災直後のお話です――。 被災した自治体の首長の必死の思いに、ある量販店の若い女性店長さんが、機転を利かせた好判断で応えてくれた・・・・・・というエピソード。 町長と店長。おふたりのファインプレーが、多くの人たちの窮地を救ってくれたのでした。 波高15m超という大津波に襲われた南三陸町。 総合体育館「ベイサイドアリーナ」や、町内の公民館、学校などの避難所は、着の身着のまま逃れてきた多くの避難者であふれていました。 服が濡れたままの人もいました。赤ちゃんを抱いたお母さんもいました。救援物資も届かずに、事もとれない。誰もが膝を抱えてうつむくばかりでした。 「急ぎ必要な物資だけでも、何とか早急に手に入れられないだろうか?」 佐藤仁町長は考えました。 しかし、役場庁舎さえ流された南三陸町。買い物をするにも現金がありません。 そこで町長は、イチかバチかの行動に出ます。 町

    「正しいと思ったことをする」(南三陸町 登米市)
  • #被災地いらなかった物リスト まとめ

    まとめ みなさんの #震災時に役に立ったもの #震災時に役に立ったもの というタグを作成したところ、たくさんの方から震災時に役に立ったもの、知識が寄せられたのでまとめさせていただきました。 145710 pv 1872 34 users 174 まとめ 災害時における支援ニーズとフューズを考えるー災害支援のミスマッチを避けるために。 ・#被災地いらなかった物リスト まとめ http://togetter.com/li/585312 ・みなさんの #震災時に役に立ったもの http://togetter.com/li/322992 派生議論まとめ。物資の支援がどうあるべきか、避難所のフェーズ支援、現金支援、海外での物資支援の状況など。 佐藤賢一先生コーディネート(@ke_1sato) 39268 pv 268 28 users 41

    #被災地いらなかった物リスト まとめ
  • 震災関連死: 福島県内で直接死上回る 避難生活疲れで- 毎日jp(毎日新聞)

  • あまちゃん、大吉とユイが見た衝撃の景色 | Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 | 新潮社

    9月1日は関東大震災が起こった日です。その関連の記事を先週5日間ブログに掲載しました。今日は9月2日(月)ですが、NHK朝ドラ「あまちゃん」では、3月11日でした。たまたま今年は9月1日が日曜日だったからでしょう、関東大震災の日にして防災の日、ここに3月11日を持ってきたんですね。 大吉が乗務する北三陸鉄道の列車は、地震によって畑野トンネル内で急停車しました。東京に向かうためにこの列車に乗車していたユイ。前方に見えるトンネル出入口に向かって歩いて行く大吉。そして出入口に立ち尽くします。目の前には津波によって何もかもが破壊された景色がありました。大吉に続いてその景色を見たユイも呆然と立ち尽くしました。 ここで使われていた変わり果てた景色は、実際には島越(しまのこし)駅付近の景色です。 ▲撮影:編集部 平成23年4月30日 大吉とユイが見たことになっている景色とほぼ同じ位置から撮影したのが、こ

  • 「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉)

    「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉) Posted on 2013年8月12日. Filed under: ボランティア | タグ: 防災, 東日大震災 | 東日大震災に関するテレビ番組はよく観るけど、録画リストを消化中に強く惹きこまれたのがこの番組だった。 「釜石の奇跡 片田敏孝先生のいのちを守る特別授業 第三回 私たちがふるさとを守る」:NHK シンサイミライ学校 岩手県釜石市で津波防災教育に約10年に渡って取り組み、2011年3月11日に起こった東日大震災では小中学生の生存率が99%という“釜石の奇跡”を生んだ片田敏孝教授。 番組は、彼が和歌山県田辺市のある中学校を訪れ、座学や地域での実践、釜石への訪問などを通して津波防災を生徒たちに体得させていくという構成だ。震災当時に

    「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉)
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • 「閲覧注意!!」 3.11忘れないための動画まとめ - ミックスニュース速報

    津波直後の大洗港・空撮[震災当日] 石巻市湊地区に押し寄せる津波 【視聴者提供映像】 【東日大震災】各地の津波発生時の映像 【地震】釜石港に津波襲来時の映像 海保が公開(11/04/17) 【原発】高さ15m 巨大津波が原発襲う瞬間映像(11/04/09) 大船渡市街地に押し寄せる津波 【視聴者提供映像】 津波 第一波 実録2011.03.11東日大震災 マリンゲート塩釜から撮影 大船渡港に押し寄せる津波 大船渡、陸前高田を襲う津波=岩手県警が公開-東日大震災 3.11 東北地方太平洋沖地震発生時の新宿高層ビル群(Earthquake in Japan) 仙台市 六郷中学校に津波がくる様子 神速のごとく膨張する海面,凄まじい速さで襲う津波×③Horrifying tsunami 【東日大震災】自衛隊救援活動特集

  • 震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞

    流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 配信=2013/02/07 記事=耳塚 佳代 Tweet 大槌町町 臼澤良一 64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、当に長いんですね。 やっと揺れが終わって、そしたらうちのが「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここま

    震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞
  • yamatowf-saisei.jp - このウェブサイトは販売用です! - yamatowf saisei リソースおよび情報

    This webpage was generated by the domain owner using Sedo Domain Parking. Disclaimer: Sedo maintains no relationship with third party advertisers. Reference to any specific service or trade mark is not controlled by Sedo nor does it constitute or imply its association, endorsement or recommendation.

    seuzo
    seuzo 2013/01/05
    たいへんすばらしいレポートなんだが、「ニ次助成」の「ニ」がカタカナなのはなぜだ?
  • シンディー・ローパー記者会見 at日本外国特派員協会:全文掲載です | NHK「かぶん」ブログ:NHK

    東日大震災から1年に合わせて来日している、世界的なポップスターのシンディ・ローパーさんが、12日に日外国特派員協会で開いた記者会見の全文を掲載します。 無名時代に日料理店で働いていたこともあるというシンディさん、会見では日のファンや被災地への思いとともに、大ヒット曲「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン」の邦題名にまつわるエピソードなども披露しました。 シンディ・ローパーさん記者会見  3月13日13時から日外国特派員協会にて ~ニホンを忘れないで~ シンディ: こういう場は初めてなのでどんな感じになるのか分からないのですが、依頼があったのでどんな風になるかな?と思いながら依頼を受けることにしました。みなさん、元気ですか? 昨年私達は、地震のあと残りました。というのもこの国には1983年以来、長い関わりがありますし。日にいる仲間たちと一緒に密接に働いてきました。長い時間、実

    seuzo
    seuzo 2012/03/17
    「放射能は握手したり抱きあったりしてうつったりするものでもないと思うし。とにかく、東北の人を無視したり、隔離したりしないで。同じ日本人同士、孤立させないで。」
  • 【死んだっていい 俺も行く】原発危機的状況に前首相 東電が発言詳細記録 : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)

    水素爆発が相次ぎ福島第1原発事故が危機的状況に陥っていた昨年3月15日未明、菅直人首相(当時)が東京電力店に乗り込んだ際の「60(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」などとの発言を、東電が詳細に記録していたことが15日、分かった。 菅氏の東電訪問は政府の事故調査・検証委員会の中間報告などでも触れられているが、記録からは、東電が第1原発から全面撤退すると考えた菅氏が、かなり強い口調でできる限りの取り組みと覚悟を迫っていたことがうかがえる。 記録によると、店2階の緊急時対策部に入った首相は、政府・東電の事故対策統合部の設置を宣言。「このままでは日国滅亡だ」「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの2倍3倍にもなり、どういうことになるのか皆さんもよく知っているはず」と強い危機感を示した。 さらに