教育関連三法が今日参院を通過する予定だそうである。 安倍首相は昨日の参院文教科学委員会の総括質疑でこう答えた。 「地域を愛する心、国を愛する心を子どもたちに教えていかなければ、日本はいつか滅びてしまうのではないか。今こそ教育の再生が必須だ。」 私は子どもが郷土や国家にたいして愛着を持つことは国民国家にとって死活的に重要であるということについて首相に異存はない。 しかし、「愛国心」というのはできるだけ公的な場面で口にすべきことではない言葉のように思う。 法律文言に記すというようなことはもっともしてはならぬことである。 それは左派の諸氏がいうように、愛国教育が軍国主義の再来を呼び寄せるからではない。 愛国心教育は構造的に人々の愛国心を毀損するからである。 私は愛国者であり、たぶん安倍首相と同じくらいに(あるいはそれ以上に)この国の未来とこの国の人々について憂慮している。 日本人はもっと日本の国
§1を序論として、本論である社会存在と社会認識の密接な関係について論じよう。 論点1:「社会制度では、認識と存在が不可分に結びついていることが、社 会制度に特有の<あやうさ>と<堅固さ>をあたえている」 論点2:「社会体系は、知の体系と似た構造を持つ」 第一部では、論点1を、社会を説明する上で重要ないくつかの概念装置を説明しながら、明らかにしたい。 参考文献:ロバート・K・マートン『社会理論と社会構造』森東吾他訳、みすず書房。 マートン,1910生まれ、テンプル大学卒業後、ハーバード大学に学び、1936年同大学助教授、41年以降コロンビア大学の社会学教授。『17世紀イ ギリスの科学・技術および社会』(1938、1970)『科学の社会学』(1965)『理論社会学について』(1967)『社会理論と機能分析』(1969) <「予言の自己実現」の定義> マートンは「予
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