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ほぼ日に関するtaiyousunsunのブックマーク (15)

  • 『MOTHER 3』の開発が 中止になったことについての 糸井重里・岩田聡・宮本茂の座談会

    ほんとうは、まだ起こっている事実に 心がついていってない状態ですが、 少しだけ、いま現在の気持を述べさせていただきます。 昨夜、このページの掲載準備をするために、 参考資料として「画面写真」を少しつけようと、 ゲームの出来ている部分を急ぎ足でやっていました。 ぼくと「マザーチーム・文芸部」をやっていてくれた 三浦弟くんが、コントローラーを握ってくれて、 ゲーム内でのバトルや会話をしながら、 3時間ほどプレイしていたでしょうか。 それを、ぼくはずっと見ていました。 「ほぼ日」のスタッフもずっと見ていました。 笑い声があったり、叫び声があがったり、 泣きそうになるやつがいたり、 まるで、発売されたゲームを楽しんでいるようでした。 しかし、これは、あり得ない 「未来の思い出」だったのです。 秘密で進行しているゲームプロジェクトですから、 こういう場で、ユーザーの笑い声などを聞くことは いままで

  • 岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    創刊当時より、ほぼ日刊イトイ新聞にいろんなかたちで関わってくださった岩田聡さんが、7月11日、永眠されました。岩田さんがご登場くださったたくさんのコンテンツを、いま、読みたい方も多いかと思いますので、代表的なものをまとめました。ご冥福をおいのりいたします。

    岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN - 1101.com - 任天堂の岩田社長が遊びに来たので、みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。

    そうです。つまり、宮さんによれば、 「アイデアというのは 複数の問題を一気に解決するものである」 ということなんですが、 この話を事務所のみんなにしたところ、 ものすごく感心されまして。 せっかく岩田さんがいらっしゃってることだし、 あの宮さんの発言の意図と、岩田さんの分析を くわしく聞かせてもらえたらなと思うんですが。

    HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN - 1101.com - 任天堂の岩田社長が遊びに来たので、みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。
  • だから演劇はやめられない。デヴィッド・ルヴォー対談 - ほぼ日刊イトイ新聞

    あるひとりの女性を巡って男と女が闘うっていう、 彼女の取り合いみたいな話です。 不思議な感じがしますよ。 3人がひとつの部屋に集まって過去の話をするんだけれど、 それぞれの過去が、違うんです。 「こうだったよね」って話をひとりがすると、 別の人が「ううん、そうじゃなくて、こうだった」。 その過去が過去のままではなくて、 現在に過去が浸してきたりする。 とても面白いです。 人間の記憶って、当てにならないものである、 っていう話でもあって。 人間って、現実を勝手に作っていくものだよね。 ぼく自身、たとえば4歳の時に体験したことが 記憶として残っていても、 体験というものが重なってきた時に、 どんどんその記憶が変形していく。

    だから演劇はやめられない。デヴィッド・ルヴォー対談 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • 宮沢りえ×糸井重里『試練という栄養。』

    (場所は、ヨーロッパ調の雰囲気があるスタジオ。 ふたりはカメラの前。 対談の前にまずはスチール撮影を、という場面です) カメラ マン あと数枚で終わりますので、 よろしくお願いします。 糸井 ぼく、これ、ジャケットのボタンを はずさないほうがよかった? 宮沢 どうかしら(笑)。 カメラ マン あ、はずしたままでOKです。 Tシャツの白がきれいなので。 糸井 そう? じゃあ、このままにします。 どーんと(お腹をたたく)撮ってください。 一同 (笑) カメラ マン では、つづけまーす。 おふたりは自然にお話をしていただいて。 糸井 あの、まあ、なんだろうね‥‥ とりあえずこうして 笑いながらお会いできてるんだけど、 ご愁傷さまでした。 宮沢 お心遣いを、ありがとうございます。 ※この対談が行われた日の一週間ほど前、 宮沢りえさんのお母様が亡くなられました。 糸井 たいへんだったよなぁ。 芝居の

    宮沢りえ×糸井重里『試練という栄養。』
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 写真で深呼吸。仁礼博のだいじな思いで

    あけましておめでとうございます。 年もよろしくお願いします。 2019年は「ニレイ、イク」なもんでGO,GO,GO!! と、新年もノッケからしょうもないギャグですみません。 さて。え〜〜っと、、「写真で深呼吸。」という素晴らしい表題を 糸井さんにつけていただいて、この連載がスタートしたのが 2002年8月30日ですので、「仁礼 博のだいじな思いで」は 16年と4ヶ月もの間(ときどき休んだりもしましたが)、 ほぼ日刊イトイ新聞という、素晴らしいインターネット空間の中で こんなに小さく、楽しく、マイペースに ほぼ日の<窓>として、お役目を果たしてまいりました。 お蔭様で、大勢の読者の方に、僕の名前を知っていただいて 写真集を発売することもできました。実にいい<仕事>になったと 自負しています。当に、ありがとうございました。 というわけで、2019年より 「写真で深呼吸。仁礼 博のだいじな

  • ほぼ日刊イトイ新聞-おいしい店とのつきあい方。

    Mom's Birthday 01/03 母親の特別な誕生日を どう祝おうか? と悩むボク。 Mom's Birthday 02/03 だんだんゴキゲンになってくる、 母。 Mom's Birthday 03/03 記念日のサービスは こう仕掛けられていた! Magic Word, Beautiful Word 01/02 なぜ?どうして?どうやって? Magic Word, Beautiful Word 02/02 とっておきの一語だけの呪文とは。 Entertaining Service Team 01/06 わがまますぎると、損をする! Entertaining Service Team 02/06 レストランは客船である。 Entertaining Service Team 03/06 ワインの上手な“選ばせ”方。 Entertaining Service Team 04/06 料

  • 「Twitterを、まだつかめていない」――糸井重里氏が語る“紙”と“ネット” - はてなニュース

    今年も9月1日(水)に発売される「ほぼ日手帳2011」。2001年の発売開始から10年目を迎えるほぼ日手帳は、今や35万人が愛用する大人気のツールとして成長しました。そこで今回は、ほぼ日手帳の産みの親、糸井重里さんに10年目の心境をお聞きしました。ほぼ日手帳に対する気持ちはもちろんのこと、紙にこだわる理由や使用している「アナログ」と「デジタル」のツール、Twitterなど、さまざまなお話を“イトイ目線”で語っていただきました。糸井さんが考える“紙”と“ネット”って、何なのでしょうか。 ■ほぼ日手帳の製作は、いつも“必死” はてな 今年で10年目という節目の年を迎えた「ほぼ日手帳」ですが、この10年の道のりを振り返ってみた感想はいかがですか? 糸井 笑いながらいうのも変なんですけど、“必死”ですよね(笑) はてな 期待しているユーザーが多いからでしょうか? 糸井 そうですね。楽しみにしてくれ

    「Twitterを、まだつかめていない」――糸井重里氏が語る“紙”と“ネット” - はてなニュース
  • ツイッターの初心。 - ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ツイッターの初心。 2010-05-24 ツイッターというものをはじめて、 だいたい2週間が過ぎた。 赤ん坊がひとり生まれたようなもので、 それ相応の忙しい感じにはなる。 授乳やらおむつの取り換えをするわけじゃないけれど、 とにかく目をやっていることが必要なので、 そうそうはラクなもんじゃない。 目をやっているということは、 つまり「生きているか死んでいるか」を見張ってることだ。 ぼくは金魚やら小鳥やらを飼って、 無責任に死なせてしまった経験がある。 元気で生きていると決めつけて、 目をやってない時間が長くなると、生きものは死ぬ。 そりゃ、あらゆるものごとが、そういうものだ。 目をやってない時間が長くなると、(  )は死ぬ。 (  )のなかに

    ツイッターの初心。 - ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 野田琺瑯の野田善子さん。

    先ほどから気になっていたのですが そこにある「ホワイトシリーズ」は、 丸いですよね? うちにあるのはぜんぶ四角いんですが‥‥。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

    taiyousunsun
    taiyousunsun 2012/08/15
    まだうまく消化出来ないけれど、自分の中に置いておこうと思う。
  • イトイさんが語る~ グレイトフル・デッドに「仕事」を学ぶ:日経ビジネスオンライン

    『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)という奇妙なタイトルのが2011年12月に出版されました。グレイトフル・デッドとは1960年代にサンフランシスコで誕生したヒッピーカルチャーを象徴するバンドで、日では「知る人ぞ知る」存在ですが、ビートルズやローリング・ストーンズと同じくらいの歴史があり、アメリカではなお人気を誇っています。 この翻訳書のキモは、インターネットによって実現される「フリーミアム」や「シェア」といった最新のビジネスモデルを、実はグレイトフル・デッドが40年前から実践していた、というところ。しかしその方法論からは、マーケティングだけでなく「生き方や震災の復興についても学べるところがある」と、監修と解説を手がけた糸井重里さんは語ります。 インタビューから、1998年に糸井さんがスタートさせた「ほぼ日刊イトイ新聞」と、グレイトフル・デッドの間に、意外な共通

    イトイさんが語る~ グレイトフル・デッドに「仕事」を学ぶ:日経ビジネスオンライン
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 樹の上の秘密基地。

    ほぼにちは! 今回でFFT-Aをつくった松野泰己さんへのインタビューも 最終回となりました。 じつは松野さん、ユーザーの声、というものを、 自分の内なる声と、ひょっとして同じくらい、 大事に思っているようなんです。 今回はそのあたりのことをおききしました。 そして、トップクリエイターであってもなお かかさない「反省」のことについて、 たくさん語ってくださっていますよ! 松野泰己(まつの・やすみ) 株式会社スクウェア業務執行役員開発担当、 及び第四開発事業部長。ゲームクリエイター。 「ファイナルファンタジータクティクス アドバンス」のプロデュースを担当。 代表作に「伝説のオウガバトル」 「タクティクスオウガ」 「ファイナルファンタジータクティクス」 「ベイグラントストーリー」など。ファイナルファンタジータクティクス アドバンス ゲームボーイアドバンスソフトの シミュレーションRPGゲーム

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 『イシューからはじめよ』のまわりで考える。

    これまでの僕には、外国語を話す外国の人とでも 仲間になれるんだという意識や 仕事の相手として 日人と同じように付き合っていけるという発想が 正直いって、薄かったんです。

    ほぼ日刊イトイ新聞 - 『イシューからはじめよ』のまわりで考える。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 樹の上の秘密基地。

    ほぼにちは。今回の秘密基地は、 久しぶりの開発者インタビューです。 お話をうかがったのは、 GBAソフト「ファイナルファンタジータクティクス アドバンス」のプロデュースを担当した スクウェアの松野泰己さん。 スクウェア初のGBAオリジナルタイトルです。 任天堂と組むということについてや 松野さんの仕事の方法、 初めて取り入れたシステムのこと、 このソフトに託された思い、など いろいろ、お聞きしてきましたよ! 今回から3回にわたり、お届けいたします。 松野泰己(まつの・やすみ) 株式会社スクウェア業務執行役員開発担当、 及び第四開発事業部長。ゲームクリエイター。 「ファイナルファンタジータクティクス アドバンス」のプロデュースを担当。 代表作に「伝説のオウガバトル」 「タクティクスオウガ」 「ファイナルファンタジータクティクス」 「ベイグラントストーリー」など。ファイナルファンタジータクティ

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