弁護士ドットコム 民事・その他 岡口弁護団「勝ったと思った」から一転…読み上げに2時間超、「罷免判決」に書かれていたこと<弾劾裁判詳報> 裁判官弾劾裁判所は4月3日、仙台高裁の岡口基一裁判官に対し、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった」(裁判官弾劾法2条2項)として、罷免判決を宣告した。罷免判決は8例目。 罷免するかどうかは、衆参7人ずつの国会議員計14人から構成される裁判員の評議で決まる。 判決後、記者会見を開いた船田元裁判長(衆・自民)によると、評議は「議論百出」だったといい、投票数は非公表ながら「ギリギリだったということは申し上げられる」。 裁判官弾劾法によると、罷免には評議に出席した議員の3分の2以上の賛成が必要(同法31条2項)。今回は12人での評議だったため、8人以上が賛成したことになる。「ギリギリ」ということは、反対票が3〜4人いた可能性がある。 一方で、船田裁判
バイラル・ダイナミクスの時代へ 2008年以前、フェイスブックがユーザーに提示するタイムラインはシンプルだった。友達や関係各所が投稿したコンテンツが、新しいものから順に、いつまでも連なって流れてくる。量としては膨大になることも多かったが、タイムラインは他の人が投稿したものに逐一反応しているだけだった。 このシステムが2009年から変化し始める。フェイスブックが「いいね」ボタンを搭載し、ユーザーが他者の投稿を公に評価できるようになったのだ。同年、ツイッターもさらに強力な機能を導入した。「リツイート」ボタンである。ユーザーは特定の記事に対する支持を公にしつつ、フォロワーとその記事を共有できるようになった。 フェイスブックがすぐにこれを真似て「シェア」ボタンを開発し、スマホユーザーがこれを使えるようになったのが2012年のこと。「いいね」と「シェア」はすぐに、ほとんどのソーシャルメディアの基本機
表現の自由戦士を自称する人たちが嫌ってるのは「コンプラ」であり「規制」は嫌ってないのよな。規制の度合いうんぬんの話は昨日はてブで見かけた記事が参考になる。 ここには20世紀の規制で守られてきた日本と、小泉構造改革後の21世紀のコンプラ重視による自由化社会の違いが述べられている。 「昭和は自由、令和は窮屈、窮屈なのはコンプライアンスのせい」は本当か? 『不適切にもほどがある!』の社会学(伊藤 昌亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/12) https://gendai.media/articles/-/125986 全12ページで広告も入るから読みにくいけど読んでみてちょ それまでの日本では、行政が人々の活動にさまざまな規制をかけることで、企業が不祥事を起こしたり、市民がトラブルに巻き込まれたりすることをあらかじめ防いでいた。これが「事前規制」というやり方だ。 しかしそうしたやり方では、人
https://twitter.com/taozikw/status/1774344519770849306 JR東日本の駅でこのポスターをみるたびに、この方は、我が子の出産ではなくて、妻の出産か我が子の誕生に駆けつけようとしているんでないの?と不思議なのですが・・・もしかしておじいさんになるところ? このツイートのリプライや引用を見ると、「我が子の出産」と言えば「(話者の)子が(話者の)孫を産む」以外にあり得ないとする人々が多く見受けられる しかし、以下の用例はおそらくごく自然に読める者が大多数であろう 「長男の出産には立ち会えたが、次男のときには……」 男が子を産むことは2024年現在はあり得ないので、日本語話者は即座に「長男が産まれたとき」の意味を選択して理解できる 「我が父の出棺」といえば、大抵は父が喪主になって祖父や母を出棺する話ではなく父の遺体が出棺される話であろう これと同様
リンク マネーポストWEB 真面目に音楽やってるバンドマンたちの嘆き SNSで注目されないと日の目をみない現実に「実力で勝負したいのに…」 | マネーポストWEB ライブハウスでは、日々、多くの若手バンドが切磋琢磨している。かつてはバンドマンといえば、音楽のためにすべてを捧げ、泥臭くも破天荒に生きている若者たちというイメージを持つ人もいたかもしれない。ところが... キタニタツヤ Tatsuya Kitani @TatsuyaKitani ・人って大体知らない人のことうっすら好きじゃない寄りなのに、どうして知らん人間(地道にやっていて演奏がそこそこ上手い、くらい)の音楽をその辺の人が聴いてくれると思えるんだ、アホちゃんが、という気持ち ・曲ゴミなのにSNSで目立ってるやつら癪だよなわかるよ(;o;)という気持ち ・自分の曲に自信あるならこんなカスのインタビューに答えるな、プライドを持て、地
「伝えることは具体的に」。これがビジネスコミュニケーションの鉄則です。 ところが、日々の仕事では、それは真逆の「抽象的」で「不明瞭」なやりとりが、そこかしこで展開されます。 上司から「『きちんと』やって」と指示されたり、「『ほとんど』できています」と報告して叱られたり。きっと皆さんも経験があることでしょう。 そして、こんな“言葉遣いで認識の齟齬が生まれる場面”に必ずと言っていいほど登場するのが「きちんと」「ほとんど」などの副詞です。 伝えることを曖昧(あいまい)にしてしまう副詞。でも、使わないわけにはいかない……。そんな状況があるなかで、私たちは副詞とどう付き合っていけばいいのでしょうか? 今回は『コミュ力は「副詞」で決まる』(光文社新書、2023年)を執筆された、日本語研究者の石黒圭さんとともに、ビジネスコミュニケーションと副詞の関係性を深掘りしました。 副詞を使いこなすとコミュニケーシ
MT(TRUE COLORS Japan運営、C&F協会の人) @Mocherin 「人の質が下がったのではなく、質の低い人が世界に叫べるツールができただけ。昔から質の低い人はいたが誰も彼らの戯言に耳を貸さなかったし、戯言が耳に入る機会もほぼなかった。SNSのおかげで賑やかな世界になったが、世界は今でもまともな人が大半だ」とSNSを使い倒してる70代の知り合いが話してた。「質」って言い方はどうかと思うが「アレな投稿が多いな、なんか嫌な世界になった」とか思ってたけど、まぁそう言うことですよね。 なおこの人、普段は年齢を出さず、お気に入りのスイーツを紹介してるらしいw 2024-03-26 07:25:27 MT(TRUE COLORS Japan運営、C&F協会の人) @Mocherin この発言、ちょっと気になり確認したら「私のような質の低い人間でも世界に情報を発信できる。戯言ってのは私の
一級試験編に入って類型的なキャラを大量投入した感があるが、まんまと当たっており、サンデー編集部あたりは、オタクはやっぱりちょろいなと思ってるのではないか
低成長を続ける日本経済が回復する兆しはなかなか見えず、世界3位を維持してきた名目GDPも2024年2月にドイツに抜かれた。欧州議会の顧問などを務める経済学者ダニエル・グローは日本経済低迷の原因を独自に分析し、欧州諸国に「同じ失敗をするな」と警鐘を鳴らす。 日本はもっと、よくなっていいはずだ。 労働者の教育レベルは高く、かつよく訓練されているし、社会全体としての投資額は多くの先進諸国を上回っている。たとえば日本における研究開発費はGDPの3.3%を占め、最近まで米国よりも高かった。にもかかわらず、日本経済は相対的に低迷しつづけている。 ドイツ人経済学者で欧州政策策定協会の所長でもあるダニエル・グロー。欧州各国の政府や中央銀行の顧問を経て、現在は欧州議会の顧問を務める。米シカゴ大学で経済学の博士号を取得。専門は金融・財政政策、為替レート、気候変動など Photo: Puramyun31 / W
2024年京都大学は理学部と工学部において女子枠を新設すると発表した。書類審査と面接、大学入学共通テストの成績などによって合否を判定する「特色入試」の枠組みを使い、39人の生徒を男性とは別に募集するようだ。この女子枠新設について京都大学は「女性には潜在的に能力がありながら、挑戦する機会、研究へのアクセスを許容してこなかった社会背景は大きい。制度として展開することに意味がある」と語る。 噛み砕いて言えば「女子は理系への能力や適性があるのに親の進路制限等の社会的圧力により進路として理系を選択出来ない人間が沢山いる。そういった人間を掬い上げるために女子枠を設けた。男子はそういう圧力を受けない特権階級なので平等の為に許容して貰う」ということだろう。実際に中央大学物理学教授田口善弘は女子枠新設について次のように語っている。 理系に女子が少ないのは大学のせいじゃなく中等教育段階の親や教師の影響(責任)
最近は「推し活」という言葉をよく見かけるようになりましたが、特定の人物に極端に執着したり投資する行為は、心理学的には有名人崇拝(celebrity worship)という症状に分類されます。 誰も推しがいないという人からすると、この「推し活」にハマっている人たちは非常に奇妙に見えるかもしれませんが、どういう人が有名人崇拝に陥りやすいのでしょうか? 中国・陝西師範大学(せんせいしはんだいがく:SNH)の新たな研究は、社会不安レベルが高い人ほど、芸能人やインフルエンサーを過剰に崇拝する傾向が強くなることを報告しています。 また社会不安と有名人崇拝を仲介する要因として、スマホ依存症の存在が確認されたようです。 どうして社会不安があると、有名人を崇拝しやすくなるのでしょうか? 研究の詳細は2023年10月31日付で科学雑誌『BMC Psychology』に掲載されています。 Social anxi
斜に構えている人は頭がいい? 人間の本性は善だと思いますか? それとも、悪だと思いますか? 突然なにを言い出したのだと思われたかもしれません。世の中には、人間の本性は善であると考える人もいれば、人間の本性は悪であり、一見善良そうに見える行動でも、その究極の動機は自分のため、つまり利己心であって、人間というのは利己心を満たすためならばなんだってするんだよ、と考える人もいます。今回お話ししたいのは、人間の本性が善なのか悪なのかということそのものではなく、むしろこの「ある人が、人間の本性を善だと思っているか、悪だと思っているか」についてです。 人間の行動の動機づけは利己心であって心からの善意なんてものはないのだ! と考える傾向のことを、英語では Cynical と表現します。シニカルさというと、「皮肉」や「冷笑」と関連づけられがちですが、今回に限っては、「性悪説的な人間観」に近いものと考えていた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く