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歴史と文化資源に関するtsysobaのブックマーク (94)

  • 渋沢栄一記念財団に至るまで - 「70歳のウィキペディアン」のブログ

    チューリップ 2023-01-09筆者撮影公益財団法人渋沢栄一記念財団(以下、渋沢財団)で仕事をするようになったいきさつには、長い長い物語があります。駆け足でそれをたどってみます。 1977年に図書館学校を卒業して就職したのは、協和銀行でした。専門分野の資料を扱う専門図書館仕事をしたいと考えていたところ、協和銀行調査部から司書一名の募集が学校宛てにあったのです。他に某大メーカー資料室からも求人があり、迷った私は恩師河島正光先生に相談しました。「そのメーカーは良い会社で資料室も充実していますが、銀行というのはあらゆる業種にお金を貸すので、調査部ではあらゆる業種の情報を集めており、その資料室は面白いですよ」という先生の一言で、銀行に決めました。職場は大手町で、河島先生の講義で聞いていた大手町資料室連絡会のあるところで仕事ができるとはりきっていました。仕事を進める中で上司を説得し、学生時代見学

    渋沢栄一記念財団に至るまで - 「70歳のウィキペディアン」のブログ
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    tsysoba 2023/01/12
    図書館史に関する証言でもあり。
  • 「平和の像」恒久設置へ。日本政府が決めてしまった「オウンゴール」 « ハーバー・ビジネス・オンライン

    2020年12月1日、ベルリン・ミッテ区の区議会は、同区に設置された「平和の像」の恒久設置に向けて、手続きを進める決議案を採択した。「平和の像」はアジア・太平洋戦争における日軍「慰安婦」を象徴し、全ての戦時性暴力・性奴隷制に反対する意味が込められている。 この件は日韓国で注目を集めており、この決議は地元ドイツよりも早く、両国で報じられた。 「平和の像」は今年9月末、民間団体の「コリア協議会」の主導で、約1年間の期間限定で、ミッテ区のモアビート地区に設置された。ベルリンでは2019年、「あいちトリエンナーレ」で展示されていた「平和の像」と同じ作者によるモニュメントが、期間限定で設置されている。女性芸術家グループGEDOKが主催するイベントで、ブランデンブルク門前に展示されていた。 日政府の妨害を想定して、「平和の少女像」の設置計画は、可能な限り秘密裏に推進された。9月末、設置の事実が

    「平和の像」恒久設置へ。日本政府が決めてしまった「オウンゴール」 « ハーバー・ビジネス・オンライン
  • 仏教者としての寿岳文章と父鈴木快音 - 神保町系オタオタ日記

    ここに文庫櫂で入手した寿岳文章の年賀状がある。宛先は福井県大飯郡青郷村(現高浜町)にある中山寺(なかやまでら)の住職であった杉勇乗宛である。昭和27年、29年と30年の3枚。うち昭和27年の年賀状には、「(略)このバビロンのやちまたの地獄へたゞ□墜ちてゆくらし」とあるようだ。年賀状に「地獄」という言葉を使うのは違和感があるが、某先生にお見せすると「ダンテ『神曲』からでしょうか」との話であった。寿岳が昭和49年~51年にかけて『神曲』の訳書を3巻出していて、「地獄篇」と「煉獄篇」だったか2冊だけは確認してみたが同種の記述はなかった。残りの篇を確認する必要があるが、寿岳のオリジナルか、前年に博士論文の題材としたウィリアム・ブレイクの可能性もある。 この僧侶杉と寿岳の関係はよくわからない。中山寺のホームページによれば同寺は真言宗御室派。寿岳は兵庫県明石郡押部谷村(現神戸市西区押部谷町)の龍華

    仏教者としての寿岳文章と父鈴木快音 - 神保町系オタオタ日記
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    tsysoba 2019/12/22
    言われてみれば、寿岳文章という人がどこからどう世に出てきたのか、意識したことがなかった。
  • 『美術評論家連盟会報』 20号 特集「美術評論家連盟は何をしてきたのか」 | 美術評論家連盟 AICA JAPAN

    『美術評論家連盟会報』20号を発行しました。 号では、特集「美術評論家連盟は何をしてきたのか」のほか、追悼文、この1年間に国内で開催された展覧会・個別の活動・書籍・作品・出来事などから注目すべき事柄を選ぶ「私のこの3点」、そして会員による短信などを掲載しています。 『美術評論家連盟会報』 20号[目次] 会長退任を前に、この一年を振り返る  南條史生 特集趣旨  加治屋健司 特集「美術評論家連盟は何をしてきたのか」 美術評論家連盟設立の経緯  加治屋健司 シェル美術賞・グッゲンハイム国際賞等の審査、国際美術協議会への参加  片岡真実 美術評論家連盟と東京都美術館  齊藤泰嘉 パロディ裁判と美術評論家連盟  成相肇 ヴェネチア・ビエンナーレ日館の改修について  五十嵐太郎 「日英現代美術国際シンポジウム」を回想する  塩田純一 中国の美術評論家との交流  加治屋健司 富山県立近代美術館問

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    tsysoba 2019/11/24
    アーキビストによる文書資料整理を行った上で、その資料を活用して団体活動史を記述する試みとして必見かと。アーキビストによる資料概要の記述もあり。
  • 近代食文化研究会さんによる、チキンラーメンが語らないインスタントラーメンの黎明史

    近代文化研究会@新刊『串かつの戦前史』発売中 @ksk18681912 野嶋剛さんの素晴らしい記事”チキンラーメン当に「発明」なのか”、ぜひ読んでください。 bit.ly/2G4ffWb bit.ly/2G3WRg4 私も安藤百福について長年調査してきましたが、知らないことばかりです。脱帽です。 2019-02-02 03:09:04 リンク 新潮社 Foresight(フォーサイト) 【番外編】NHK『まんぷく』チキンラーメン当に「発明」なのか(上):野嶋剛 | 世界漫遊「考学」の旅 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト 台南市「西市場」の名物「阿瑞意麺」(筆者撮影、以下同) 日清品創業者の安藤百福と、その・仁子をモデルにしたNHK連続テレビ小説『まんぷく』。好評のまま、物語は佳境を迎えつつあるが、終盤の山場は… 254 users 1

    近代食文化研究会さんによる、チキンラーメンが語らないインスタントラーメンの黎明史
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    tsysoba 2019/02/18
    実は朝より、昼か深夜向けの題材だったのかも…
  • 古代史学者の直木孝次郎さん死去 「河内政権論」提唱:朝日新聞デジタル

    戦後の古代史研究をリードし、遺跡の保存運動にも力を尽くした大阪市立大学名誉教授の直木孝次郎(なおき・こうじろう)さんが、2日に老衰で亡くなっていたことがわかった。100歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長女東野美穂子さん。 1919年、神戸市生まれ。京都帝国大学(現京都大学)卒。大阪市立大学、岡山大学、相愛大学などの教授を歴任した。 戦前の歴史観の原典となった日書紀や古事記への史料批判を通じ、実証を重視した古代史研究を進めた。研究対象は幅広く、古代氏族や天皇制などについて論文を数多く発表。1964年には、古墳時代に大阪の河内平野に台頭した勢力が、奈良の大和盆地を拠点とした政権を倒し、新たな政権を打ち立てたとする「河内政権論」を提唱し、注目された。 大阪市の難波宮(なにわのみや)跡など全国の重要な遺跡の保存や検証に積極的に取り組んだ。89年に大阪文化賞を受賞したほか、2000年には文化

    古代史学者の直木孝次郎さん死去 「河内政権論」提唱:朝日新聞デジタル
  • 神戸新聞NEXT|総合|ディズニー幻の短編フィルム 神戸に3本“集結”

    幻のディズニー作品と判明した「スピーデー」。詳細調査のため、フィルムをデジタル化した=神戸市西区学園西町5、神戸芸術工科大 ディズニーアニメの失われたとされる初期短編が神戸で見つかり、世界的に話題となっている。神戸映画資料館(神戸市長田区)にある16ミリ「ミッキー漫画スピーデー」で、1928年公開の「Neck,n,Neck」(大接戦)の短縮版と判明した。さらに同タイトルで、家庭向けに販売されていた35ミリの「玩具映画」フィルムも見つかり、同館は2保管する。幻だったフィルムが神戸に計3集まる驚きの事態となっている。(田中真治) 同作は、ミッキーマウスの先輩キャラクター「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」が主人公。アニメ史研究者の渡辺泰さん(84)=大阪府寝屋川市=が高校時代、大阪・松屋町の光学玩具店で購入し、10年ほど前、友人の安井喜雄・神戸映画資料館長(70)に寄贈した。 恋人を乗せ

    神戸新聞NEXT|総合|ディズニー幻の短編フィルム 神戸に3本“集結”
  • 「尻が長崎のように爆発」 世界的ヒット曲の歌詞が波紋:朝日新聞デジタル

    世界的にヒットしているダンス音楽「タキ・タキ・ルンバ(原題Taki Taki)」に、スペイン語で「尻が長崎のように爆発」という歌詞があり、配信するユニバーサルミュージックの日法人が不適切だと指摘した後に変更されたことがわかった。同社は「アーティストに特段の意図がなかったとはいえ、日では誤解を招きかねなかった」と説明している。 「タキ・タキ・ルンバ」は、フランス出身の米人気ミュージシャン「DJスネイク」が手がけ、セレーナ・ゴメスなど著名スターも参加。9月下旬に配信されると、米ビルボードのラテンチャートで初登場1位を獲得した。性的な内容も含まれる詞がスペイン語と英語で歌われ、「タキタキ」と韻を踏んで「ナガサキ」「カワサキ」と日の固有名詞が歌詞に入っていた。 だが、「ナガサキ」のくだりは原爆の被害を軽んじていると受け取れる一節になっていた。日法人は国内でのプロモーション活動を見合わせ、米

    「尻が長崎のように爆発」 世界的ヒット曲の歌詞が波紋:朝日新聞デジタル
    tsysoba
    tsysoba 2018/11/13
    原爆が悪の帝国を倒した的な米国式の認識が国際的にも根強い、ということかもなあ。元歌詞バージョンはレアトラック化か。
  • 名大・旧制高:「クラス日誌」公開 理系生徒、戦時の本音 - 毎日新聞

    名古屋大学の前身・旧制第八高等学校(八高)の理科系生徒が学徒出陣など戦時中の出来事や思いを記した「クラス日誌」が、名古屋市千種区の名大の大学文書資料室で公開されている。戦地に赴く文科系生徒への気遣いや戦局の冷静な分析がつづられ、資料室の担当者は「自由に発言できなかった時代の若者の音がうかがえる貴重な史料」と話す。 日誌は理科系2年6組の生徒たちが1943年5月12日~44年4月13日につづり、B5判約190ページに30人以上の記述が見える。戦後にガリ版印刷で複製されたとみられる。約10年前に八高同窓会が資料室に寄贈し、昨秋から公開している。

    名大・旧制高:「クラス日誌」公開 理系生徒、戦時の本音 - 毎日新聞
  • 『会って笑えば恨みも消える』

    「荒波を渡り尽くせば兄弟あり、相逢うて一笑恩讐ほろぶ」 魯迅の「三義塔に題す」という詩の一節である。「避けられない災難や苦労を乗り越えてこそ真の友愛が生まれるのである。たとえお互い憎みあっていても、私たちはもとより兄弟である。実際に会ってにっこり笑えば即座に長年の恨みも消えてしまうであろう。」というような意味である。「三義塔」は現在も私の田舎の近く、大阪府豊中市にある。先の一節は魯迅が一人の日人に送った詩の一部。日人の名は西村真琴という。 西村真琴博士は、北海道でマリモの研究をする植物学者であった。49歳の時、中国北方で満州事変が、翌年には上海事変が起こる。そんな時代の学者である。西村教授は多くの中国民間人が死傷したことを知るや、医療援助団を組織し中国に渡り、医療援助活動を展開する。帰国時、上海三義で傷ついて飛べなくなった鳩を見つけ日に連れ帰った。彼は鳩の傷が癒えるのを待ち中国に返そ

    『会って笑えば恨みも消える』
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    tsysoba 2018/04/27
    魯迅が日本人(西村真琴)に贈った詩を、南北会談を評する言葉として選んだとは。ハイコンテクスト…
  • 街頭をゆく 田中泰延 橿原市紀行(1) - 橿原神宮編|奈良新聞デジタル

    「紐帯は、相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ」…この言葉はスポーツ大会の選手宣誓でしょうか。それとも結婚式のスピーチ? 『街頭をゆく』…のっけからどこかで見たような題名で始まりました。ですが、親しみのある名前というのはだいじですね。そもそも、司馬遼太郎先生の名前自体、どこかで見たような名前、つまり偉大な歴史著述家、司馬遷の名前をもじっているのです。 「司馬遷には遼かに遠く及ばないが、太郎の国、日歴史を語る者」というのが「司馬遼太郎」というペンネームの由来というのは有名です。そんなふたりの偉大な司馬さんに対し、私など「遼司馬遼三郎」と名乗りたいぐらいなのですが、自分の名前で書かせていただきます。 はじめまして。田中泰延(たなかひろのぶ)と申します。今回、奈良新聞社と橿原市からのお誘いで、丸一日、橿原市のさまざまな魅力を教えてもらい、いろいろ見て回って考えるという機会をいただきました。全3回

    街頭をゆく 田中泰延 橿原市紀行(1) - 橿原神宮編|奈良新聞デジタル
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    tsysoba 2018/04/26
    さりげに橿原市が皇紀復活させてる上に、橿原神宮の政治性が見事に脱臭されてて驚愕。橿原神宮の面白さは近代的な観光開発と宗教と政治の絡み合いだと思うので、どうも物足りない…
  • アイヌ同化策に加担、教団の歴史直視 東本願寺で資料展示 : 京都新聞

    真宗大谷派とアイヌの人々に関する資料が並ぶ会場(京都市下京区・東願寺) 京都市下京区の真宗大谷派山・東願寺にある参拝接待所ギャラリーで、同派とアイヌ民族との歴史を振り返る展示が行われている。明治政府のアイヌ同化政策に加担した宗派の過去を直視する内容となっている。 同派は明治以降、国の意向を受け北海道開拓に乗りだし、アイヌの人々に布教した。会場では、当時の同派の北海道やアイヌに対する考え方がにじむ文書や絵が並ぶ。 明治2(1869)年、同派が政府に提出した「開拓出願書」のパネルには、アイヌを「土人」と記載。さらに「異教に流れる恐れがある」とし、開教や開拓を正当化している。 布教の様子を描いた「現如上人北海道開拓錦絵」(全19点)の3点も展示した。うちの1点には、屋外の地面にアイヌの人々を座らせ、座敷の上から「南無阿弥陀仏」と書いた「六字名号」を渡す光景が描かれ、当時の教団の差別的な態度

  • 皆川達夫さんが語る隠れキリシタンの祈り「オラショ」 400年の時を超えて伝わる異国のグレゴリオ聖歌

    中世・ルネサンス音楽研究の第一人者で立教大学名誉教授の皆川達夫さん(90)が11日、「かくれキリシタンの祈りの歌」と題した公開講演会(主催:立教大学キリスト教学会、文学部キリスト教学科、キリスト教学研究科)に登壇。キリスト教と音楽、そして隠れキリシタンに歌い継がれてきた「オラショ」について、集まった140人余りの聴講者を前に講演した。 「キリスト教と音楽のつながりは深い。教会には常に音楽があり、また音楽歴史を語るとき、キリスト教は切っても切れない存在だ」と皆川さんは言う。「例えば、バッハやシューベルト、モーツァルトも優れた宗教音楽を残している。それはなぜか」。そう問い掛け、キリスト教会において音楽が重視されてきた背景をひもといた。 多くの宗教は、見えない神を何とか視覚的に捉えようと、仏像や仏画などを作る。また、海や山、木などに神が宿っているとして、それを拝むことによって神の存在を確かめる

    皆川達夫さんが語る隠れキリシタンの祈り「オラショ」 400年の時を超えて伝わる異国のグレゴリオ聖歌
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    tsysoba 2017/11/18
    後半の、元になった聖歌の楽譜探索の話にしびれる。
  • 足利尊氏の顔、これで決まり? 中世肖像画の写し発見:朝日新聞デジタル

    顔だちを巡って今も意見が分かれる室町幕府の初代将軍・足利尊氏(1305~58)。彼が亡くなってほどない時期に描かれたと見られる肖像画の写しが発見された。中世まで確実にさかのぼれる尊氏の肖像画は他に一例しかなく、専門家は「尊氏の顔がこれではっきりした」と話す。 確認された「足利尊氏像」は縦88・5センチ、横38・5センチ。軸装された画の下側に正装して着座する人物が描かれ、上方には十数行にわたって画中の人物の来歴をつづった文章がある。 個人が所有するもので、栃木県立博物館の田諭特別研究員や鎌倉歴史文化交流館の高橋真作学芸員らが、資料調査の際に発見。①尊氏を示す「長寿寺殿」という言葉がある②尊氏の業績として知られる国内の66州に寺や塔を建立した旨が記されている――などから尊氏像と判断した。 近年の研究で、歴史教科書などで尊氏像として紹介されてきた「騎馬武者像」(京都国立博物館蔵)は尊氏でない可

    足利尊氏の顔、これで決まり? 中世肖像画の写し発見:朝日新聞デジタル
  • 明治期の人権活動家、大江卓へ謝意の旗展示 高知県の宿毛歴史館|高知新聞

    明治期に人権活動家として活躍した高知県宿毛市出身の大江卓(1847~1921年)が、横浜市で1872年に起きたペルー船籍のマリア・ルス号事件を解決したお礼に華僑の互助組織から贈られた旗が、24日から宿毛歴史館(宿毛市中央2丁目)で初めて公開されている。大江はこの事件の裁判で清国人の奴隷解放を実現。後に「近代ヒューマニズムの先駆者」と評される原点となった、価値ある歴史的資料だ。 大江が神奈川県の官吏を務めていた1872年、横浜港に入港したマリア・ルス号の船内で奴隷の扱いを受けていた清国人が、助けを求めて脱出した。日にとって初めての国際裁判で、大江は特設裁判所の裁判長として、清国人への虐待行為を認定し、清国人229人の解放を条件に出港許可を出した。 植民地などで劣悪な労働環境を強いていた欧州列強から強い干渉がありながらも、大江は屈することなく、人道上の重大問題だとして裁判を続けた。 大旆(た

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  • 被爆者がいない、被爆者団体へ。悲劇を語り継ぐのは、その子どもたち

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  • (@シンガポール)親日国に残る痛みの記憶:朝日新聞デジタル

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  • <戊辰戦争150年>幕末の会津 VRで再現 | 河北新報オンラインニュース

  • 「圧死者と焼死者が丘のように積み重なる」「海底は墨をひっくり返したよう」幕末の土佐藩士綴った史料発見(1/2ページ) - 産経WEST

    土佐藩の改革を推し進めた藩士吉田東洋(1862年暗殺)が、54年12月の安政地震を体験した様子をつづった漢詩など新史料10点が、高知県南国市の県立歴史民俗資料館の保管史料の中から見つかった。野亮学芸課長は「大津波が訪れる前の描写が非常に細かく、地震学的な面からも参考になるところが多いのでは」と分析。同館で29日から公開されている。 新たに見つかったのは漢詩2点と教2点、直筆の手紙6点の計10点。昨年、企画展の準備のため、過去に寄贈されていた史料を再調査する中で発見されたという。 安政地震の直後に書いたとみられる「大震行」(縦125センチ、横55センチ)と題された漢詩には、「海底は墨をひっくり返したように濁る」「干満の動きは急である」など津波前の様子を記したとみられる部分や、「圧死者と焼死者が丘のように積み重なっている」などの趣旨が記され、太平洋に面した高知市長浜で体験した被害の状況を生

    「圧死者と焼死者が丘のように積み重なる」「海底は墨をひっくり返したよう」幕末の土佐藩士綴った史料発見(1/2ページ) - 産経WEST