リアリティと日本語の使い方と魔境に関するwakabaroomのブックマーク (9)

  • 能天気に景気回復としているわけでない=西村経済再生相

    2月20日、西村康稔経済財政相は20日、月例経済報告に関する関係閣僚会議後の記者会見で、景気が緩やかに回復しているとの政府公式見解を維持した背景について、雇用所得の改善などから基調的に判断していると説明し、「能天気に景気回復しているわけでない」と強調した。写真は都内で2019年9月撮影(2020年 ロイター/Issei Kato) [東京 20日 ロイター] - 西村康稔経済財政相は20日、月例経済報告に関する関係閣僚会議後の記者会見で、景気が緩やかに回復しているとの政府公式見解を維持した背景について、雇用所得の改善などから基調的に判断していると説明し、「能天気に景気回復しているわけでない」と強調した。

    能天気に景気回復としているわけでない=西村経済再生相
    wakabaroom
    wakabaroom 2020/02/21
    白を黒と言うことができる言葉の不思議。しかもこんなに堂々と。すごい、すごすぎる。
  • 【浜崎洋介】西部邁自殺幇助者の逮捕を受けて――『表現者クライテリオン』が問われること | 表現者クライテリオン

    こんにちは、浜崎洋介です 今回は、予定を変更して、編集委員としてというよりは、私自身の「けじめ」として、二人の逮捕者を出した「西部邁自殺幇助事件」に触れざるを得ないと思っています。 正直に書きます。少し前から私は、西部先生の自殺に関して、その幇助者がいるのではないかという噂を耳にしていました。ただ、そんな噂を耳にしはじめたのは、全ての追悼文と西部邁論(次号『表現者クライテリオン』に掲載予定)を書き上げた後のことで、自殺幇助の噂を聞いてから西部先生について書くのは、これが初めてのことになります(とはいえ、「西部邁論」の内容については、今なお私は、その訂正の必要を認めていませんが)。 そこで、まず明確にしておきたいのは、今回の西部先生の自殺から、自殺幇助の疑惑報道、そして幇助者逮捕に至るまでの経緯のなかで、私が、どの段階で、西部先生に対する決定的な違和感を抱いたのかという点です。 既に追悼文な

    wakabaroom
    wakabaroom 2018/04/12
    “いずれにしても、今回の事件は、今後の私の「生き方」に緊張を強いたことは確かです。それがどんな緊張なのかということについては、これからの私自身の文業を通じて示していくしかありません。”
  • 【藤井聡】西部邁氏の「幇助自殺」を考える ~西部言説の適切な理解のために~ | 表現者クライテリオン

  • https://www.jaea.go.jp/04/turuga/jturuga/press/2017/06/p170613-1.pdf

    wakabaroom
    wakabaroom 2017/11/29
    "もんじゅ」は、国内で初めてのナトリウム冷却型高速炉の廃止措置となることから、廃止措置そのものが研究開発要素を有している。"
  • オレンジのSNSの元社長アレルギーが治らないよ

    もう辞めてだいぶ経つけど、当にこの人がしたり顔で流れてくる投稿を見るたびに傷をエグる 記事に出てくるのは勘弁してほしい。 やっと忘れられたのに、五月蝿い蝿がまとわりつくように思い出す。 わりとまじで蕁麻疹がでてくる。 あいつのこととかも思い出してしまう。 http://logmi.jp/209938 あの会社が復活したのは当にすごいと思う。 Kさんたち例のゲームの生みの親の方々の奇跡の力だ。 その会社に少しでも携われたことを 誇りにはしたい。 ただ、それを我が物顔で自分の手柄のように言い続ける、あの人はなんなのだろうか。 スマホへのシフトなど、この方がくる前から社内では考え続けてたことだし それにあの人がゲームのことを話してたことなど当時一度も聞いたことがない。 ちゃんとあの人が話す内容を見返せばV字回復に寄与したことはそんなにないと 気づくはずなのになあと毎回思うのに、美談がすきなス

    オレンジのSNSの元社長アレルギーが治らないよ
  • 納得について

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    wakabaroom 2015/08/30
    "納得という理解は「理解していると感じる」ことにつながっている。""そして人は多くの場合「納得」を求めている。おそらく人は「本当の理解」をつねに目指しているわけではないのだ。面倒くさいから。"
  • 恐山あれこれ日記: 見ただけで走る

    wakabaroom
    wakabaroom 2014/09/21
    ”釈尊の沈黙は、言葉と言葉で意味されるものとの間を見ています。すなわち、沈黙は単なる言語の欠如や無視ではないのです。”
  • 恐山あれこれ日記: 発熱最中

    発熱最中 ずいぶん久しぶりに風邪をひいて寝込んでしまいました(寝込むのは20年ぶりくらいか?)。インフルエンザでもないのに情けない話です。 こうなると手も足もです、ただ寝ているだけです。すると、子どもの頃からの習慣で、発熱した頭のまま、様々な妄想・追想が出てきます(私は熱に強いです。なんの自慢にもなりませんが)。その中で、ずいぶん昔のことをひとつ思い出しました。 中学生で京都に修学旅行に行った時のことです。私は初めて、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像という、有名な仏像を見ました(確か、国宝彫刻第一号だったでしょうか)。 私はこの時、像を見ているうちに、ほかの生徒が全部移動してしまい、探しに来た教師にえらく怒られてしまいました。 「お前はこういうのに感動するのか」 教師は聊かあきれてそう言いましたが、実は私にはそのとき何を感じていたのか、まったく記憶がありません。結構長い時間見ていたのでしょうが、

    恐山あれこれ日記: 発熱最中
    wakabaroom
    wakabaroom 2014/03/21
    ”考えることは、私の「業」なのでしょう。そして、自分の考えることに大した根拠も意味もないことを、かなり以前から漠然と感じていたのだと思います"…と、プロセスワーク的に至るのが驚き。深い。
  • 恐山あれこれ日記: 言葉と体験

    言葉と体験 「仏教とは根的に言葉の問題だ」という言い方を時々していると、必ず「体験主義者」的人物から、同じような反論を繰り返し聞かされます。いわく、 「あなたは空の青さを言葉で言い尽くせますか? 無理でしょ。仏教の真理や悟りもそれと同じです。体験しない限り決してわからないのです」 たとえ上を向いて空の青さを見ていても、彼がそれきり何も言わなければ、「空の青」を見ていたかどうかさえわかりません。彼が「ああ青いねえ」と言い、別人が「そうだねえ」と言わない限り、「空が青い」かどうか、誰にも(人にも)わかりません。 何をどう体験しようと、体験それ自体は、徹頭徹尾、無意味なのです。「意味」を作り出すの言語であって経験ではありません。 他方、言語はそれが語ろうとする当の対象に原理的に届きません。「私」という言葉が、自分以外のすべての人物にも使われていることを考えれば、一目瞭然でしょう。「今」「ここ

    恐山あれこれ日記: 言葉と体験
    wakabaroom
    wakabaroom 2014/03/03
    "体験そのものは無意味であり、言語自体は無力です。私が「仏教は言葉の問題だ」と言うのは、正確には「仏教の根本的テーマは言葉と経験の間にある」ということです。"
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