沖縄本島東の沖に浮かぶ、久高島(くだかじま)。南城市から見える、「神の島」と呼ばれる小さな島です。 多くの人がイメージする沖縄の離島……石垣島や宮古島、竹富島など他の離島と異なり、久高島は集落と道以外は手つかずの自然が残され、人口もわずか270名程度の小さな島です。琉球王朝時代に神事がとり行われた、島全体が神聖な土地とされている島なのです。
沖縄本島東の沖に浮かぶ、久高島(くだかじま)。南城市から見える、「神の島」と呼ばれる小さな島です。 多くの人がイメージする沖縄の離島……石垣島や宮古島、竹富島など他の離島と異なり、久高島は集落と道以外は手つかずの自然が残され、人口もわずか270名程度の小さな島です。琉球王朝時代に神事がとり行われた、島全体が神聖な土地とされている島なのです。
Amazon.co.jpのお酒ストアで泡盛800点以上の販売が始まった。沖縄県が協力し、県内のほぼ全ての酒蔵の商品を提供するという。
こんにちは、ロプロス(@ropross)です。 えー、もう結構前の話なのですが、2月14日から22日まで、沖縄に行って来ました。 と、言ってもメインの目的はファイターズのキャンプ見学なので、あまり観光などはしなかったのですが、食べることにはかなり気合を入れてましたので、そのときに食べた魅惑のオキナワンフードの数々を紹介していきたいと思います。 沖縄のファーストフードと言ったらこれ。人気ハンバーガーチェーン店「A&W」のモッツァバーガー。 せっかく沖縄に来たのだから、喉の渇きは緑茶や烏龍茶じゃなく、さんぴん茶で癒したい。 このジャスミンの香りが沖縄にいることを実感させてくれます。 名護にある沖縄料理レストラン「名護曲」のゴーヤチャンプルー定食。 沖縄を代表する食材と言えば、まず思い浮かぶのがゴーヤ。 初めて沖縄を訪れた時には苦手だった独特の苦味も、今では滞在中は毎日食べたいと思うほどクセにな
この話は、『考える生き方』(参照)に書かなかった沖縄の話の一部です。というか、途中で削除しました。理由は、単に書籍に取り込む話題のバランスのためでした。つまり、ページ数との関係で沖縄の話の比重が重すぎるのもどうかなということでした。 「さとうきび畑」の歌の風景 本土復帰の前、本土側で沖縄を思ってよく歌われた歌に「さとうきび畑」がある。 「ざわわ、ざわわ」というフレーズが繰り替えされ、広大なさとうきび畑に風が抜けていくようすが印象的だ。歌には、海の向こうから戦争がやってきて、鉄の雨に打たれうたれて父は死んでいったというストーリーが盛り込まれている。本土では当然ながら、これは沖縄戦を示していると普通に理解される。 そして沖縄でもそう理解され、この歌が歌われていると思っている。 たしかに、現代の沖縄ではそのように理解されている。 歌われていないとは言えない。 だが、私が暮らし始めた1995年頃、
2月20日、『2ちゃんねる』『Twitter』などインターネット上で「那覇-宮古便 スカイマーク運休でANA・JALが3倍超値上げ」という見出しが踊った。問題は同航空便に乗り入れているスカイマークが4月から3ヵ月間の運休を発表したことに端を発する。これまで同便に乗り入れていた航空会社はスカイマーク、ANA、JALの3社。格安路線で展開してきたスカイマークに対し、ANA、JAL両社が対抗措置をとったこともあり、利用者の多くは前日予約などの割引を使えば約4000円から8000円までの運賃で同便を利用できていた。ところが前述の運休が発表されたことを受け、ANA、JAL両社は割引の基準を厳化。よほどの早期から予約しないと通常料金の17500円を基準に、運賃が従来の3倍ほどに跳ね上がってしまうというのだ。飛行機以外に交通手段のない宮古島市民や関係者の負担は大きい。 この件についてANAに問い合わせた
伝統的文化・景観を色濃く残す離島に滞在型リゾート施設を 沖縄の離島に6月、リゾートホテル「星のや 竹富島」が開業した。星野リゾート(本社:長野県軽井沢町)が展開する「星のや」ブランドの新施設だ。島に残る伝統的な建築様式を受け継ぎながら、インバウンド(訪日外国人旅行)も含む現代の滞在型観光のニーズを満たす施設をつくり、新しいリゾート体験をもたらすことを目指している。 今回は「特別編」として、星野リゾート社長の星野佳路(ほしの・よしはる)氏に全国各地のホテル・旅館の運営や再生事業を手がけてきた「クライアント」の立場から、建築家・デザイナーと“場所”、観光産業について語ってもらった。「伝統」を重んじるこの島での場所づくりが、今どのような意味を持つのかを読み取ってほしい。 ほしの・よしはる。1960年生まれ。83年慶應義塾大学経済学部卒業、86年米国コーネル大学ホテル経営大学院にて経営学修士号を取
小野田正欣(おのだ まさよし)さん1929年生まれ、1951〜53年の3年間、朝鮮戦争の間、沖縄に仕事で米軍基地強化のため滞在していました。仕事は、今はない大日本土木という建設会社でした。当時、特殊業務のため本土の給料の2倍をもらっていた小野田さんは、遊びに使ってしまってもしょうがないと、沖縄の写真を撮ることにしました。まず、ツァイスのセミイコンタ(6×4.5cm判)を購入し、黒白フィルムで那覇周辺を撮影し、次にライカIIIf(ズマール5cmF2付き)を購入して黒白とカラーフィルムで撮影しました。(右上:小野田正欣さん。2010.01.16) カラーフィルムはというと、その時代は大変貴重なもので、感度10の“コダクローム”でした。もちろん当時のコダクロームは一般写真材料店で購入できるわけではなく、基地内の米人に頼んでドルで求めたそうです。また、現像も当時は日本ではできなく、ハワイ送りだった
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