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ブックマーク / www.hmt.u-toyama.ac.jp (5)

  • 漢字は分解すれば由来がわかる?

    ■漢字の由来を知るには 我々が普段使っている漢字がどうして出来上がったのかということには、誰もが一度は興味を抱くのではないかと思います。昨今の日語ブームに加え、白川静『字統』などの字源を解説した辞書の出版の影響もあって、漢字の字源を自分なりに考えてみようという人も多くなっているようです。 ところが漢字の成り立ちというものは、言うほど単純なものではありません。白川静氏は漢字の多くを呪術や宗教儀礼と結びつけて解釈していますが、これも好き勝手な空想で言っているのではなく、古代文学や甲骨・金文の研究から得られた知見に裏打ちされたものです(それでも「何でも神がかりに結びつけてしまう」という批判があります)。文字の由来を研究しようと思えば、中国語学や甲骨学・金文学をはじめ、古代文学や古代宗教など該博な知識が必要になってきます。 ■人という字は二人の人が互いに支え合っている形? ここで具体例を挙げてみ

    amanoiwato
    amanoiwato 2015/04/16
    『俗説を子供の説教の種に使うことには、私はあまり賛成しません。もし子供が本か何かで正しい説を知ったら、説教した親や先生を「ウソつき」と軽蔑し、二度と説教を受け入れなくなることでしょう』#江戸しぐさ
  • 「話せばわかる」と言うわからず屋

    ■議論は大切、だが…… 民主主義社会においては、「議論を尽くして意見を一致させる」ことが、政策を決める上で最も重要なこととされています。学問の場でも、一堂に会したり論文を発表し合ったりして議論し、意見を交換することは、より新しい学識を得るための重要な手段です。 自称「研究家」もしばしば学者に論文を送り付けたり、学者のウェブサイトの掲示板で自説を展開したりして、論戦を挑みます。ところがほとんどの場合は門前払いされてしまい、「議論せずに逃げるのか」とい下がっても、「卑怯だぞ」と痛罵を浴びせても、学者は一顧だにせず無視し続けます。 学問の上で議論は大切なはずなのに、学者はどうして自称「研究家」とは議論を避けるのでしょうか。学者は自分の都合の悪い議論からは逃げ続ける卑怯者だと思う人もいることでしょう。しかしこれには理由があります。ただ話し合いさえすれば何でもうまくいくとは限らないからです。 ■前

  • 「研究ごっこ」Q&A

    「研究ごっこ」の見分け方のポイントを教えてください。 プロの学者はアマチュア研究家を見下しすぎではありませんか? 一生懸命研究している熱意をもっと認めてあげるべきではありませんか? 素人の「研究ごっこ」にいちいち目くじらを立てるのは大人げないのではありませんか? アカデミズム罵倒はいけないことのように言っていますが、これこそ「アカデミズムは絶対だ」という権威主義なのではありませんか? プロの学者はどうして博識を笠にきてアマチュアをいじめるのですか? プロの学者の方こそ一つの立場に固執して「狂信的」なのではありませんか? 自称「研究家」が狂信的になるのは、むしろアマチュアの研究に目もくれようとしないアカデミズムの閉鎖性が原因なのではありませんか? 不利な条件のアマチュアにプロと同じルールで研究しろという方が無理ではありませんか? アマチュアにはハンデを認めてもいいのではありませんか? ロマン

  • 「自分の頭で考えなければならない」という独り善がり

    ■研究書にはなぜ引用が多いのか 「自分の頭で考える」ことの大切さは、いろいろなところで盛んに説かれています。それは大変結構なことなのですが、「自分の頭で考える」ことは決して「独り善がりになる」ことではないことに気をつけなければなりません。 例えば研究書を読むと、「○○氏は『……』と言う。また××氏は『……』と言う。」という風に、他人の意見がたくさん引用されています。末尾の注を見ても、その引用文献の多さに驚く人も多いでしょう。 自称「研究家」の中にはこれを見て、 「学者は他人の意見ばかり受け売りして、自分の頭で考えていないではないか。師匠に可愛がられたいばかりに、その言うことを鵜呑みにしているに違いない」 と非難する人もいます。 しかし学者が他人の学説を引用するのは、決して他人のふんどしで相撲を取りたいからではありません。研究したい問題について、今までどんな学説が発表されていて、それぞれにど

    amanoiwato
    amanoiwato 2015/04/16
    確かに「自分で考えろ」とか言う人ほど視野や知識の幅が狭いからな。
  • トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編

    ■はしがき 古代という言葉は、人々のロマンをかき立てます。社会がさまざまな面で行き詰まりを見せている今、古代の知恵に学ぼうとする人や、古代の素朴な社会に住みよい世の中の手を求めようとする人も多くいます。 しかし古代の社会の実像がどうであったかを探るのは、大変な困難を伴います。文献資料は数が少ない上に極めて難解ですし、考古資料の発掘も骨の折れる作業です。少ない資料から古代社会の実像や古代人のものの考え方に迫るためには、犯罪捜査にも似た地道で気の遠くなる作業を続けなければなりません。 その上近年は学問が細分化し、業績の数ばかり競わされるような風潮が蔓延していますから、微に入り細をうがった研究論文は山積しているものの、一般の人々をもとりこにするような学術書はなかなか出てこないのが現状です。 一方古代好きが高じた人の中には、自分で研究に手を染めようとする人も多くいます。こうしたアマチュア研究家の

    amanoiwato
    amanoiwato 2015/04/16
    本来こういう啓蒙を率先してすべきアカデミズム内の、それも頂点に近い人たちが真っ先に籠絡されたのが旧石器捏造事件だったりSTAP事件だったり佐村河内事件だったりするんだな。
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