面白い論文を読んだ。 夫馬進「朝鮮通信使による日本古学の認識」(『思想』2006年1月) 内容は、朱子学を奉ずる朝鮮通信使が、古学へと変換しつつある日本の学問状況に接した際の反応を、史料から復元し、描き出したものである。 載ってる雑誌がアレだけど(笑)、いい論文である。 中国でも日本でも、考証学というのが、近世に入って盛んになってくる。 訓古学とか、注釈学とか、そういう感じの学問方法である。 訓古学と古学はこちらを参照。 一方、朝鮮半島においては、一貫して朱子学が重んじられてきた。 朱子学については、こちらなど参照。 古学も朱子学も、儒教という点では同じものである。 ただし、その目指すところは、大きく違っていたようだ。 では、この両者は何が違うのか。 それは、テキスト解釈の方法の違いである。 以下、かなり乱暴な説明をする。 ある古典テキストが存在したとしよう。