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FFとPCエンジンに関するbigburnのブックマーク (2)

  • ファミコン版FFⅡのアルテマはなぜ弱かったのか?::Colorful Pieces of Game

    Twitterでメモ書きした話をもう少しちゃんと残しておこうと思った。 ただの記憶でしかなく、細かいところに間違いがある可能性は十分にあるが、大枠は間違っていないはず。 25年前(1989年の初頭だったはず)、僕は自分のデビュー作、さいきょーRPG『凄ノ王伝説』の宣伝で、マル勝ファミコンの座談会に出してもらえることになった。この座談会は1988年冬~1989年初頭のゲーム業界で、言うまでもなく1988年2月に出た『ドラゴンクエストⅢ』で空前のRPGブームが来ていた、まさにRPGの全盛時代といっていいタイミングで行われていた。 僕自身はというとPCエンジン版の『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入る前で、さくまセンセイのところでどんちゃんに叩きのめされる前だったと思う。 自分のゲームに対する考え方とアプローチは『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入るまでの2ヶ月ほどで激変するのだけど、こんときはまだゲームを作るプロ

    bigburn
    bigburn 2014/10/02
    ナーシャ・ジベリの仕業だったのか!「FF2を作った人」ってぼやかした表現がフィルタになってないw
  • 3Dスペースハリアーはとても素晴らしい移植だった::Colorful Pieces of Game

    M2の3Dスペースハリアー(3DS)に感激したので、ちょっとブログなど。 ただ、その前に… えーとFF13とFF13-2の話は、あんだけどーしようもないネタなのに完売しましたw もちろん人様の取り置きぶんとかあるんですが、まあ頒布出来る量はもうないってことで(;´∀`) さて。 1985年にアーケードに登場したスペースハリアーは1980年代後半のアーケード…いやそれどころかテレビゲームにとんでもなく大きな影響を与えたゲームだ。 衝撃的な可動大型筐体、当時としては驚異的な15ビットカラー(RGB555、32767色)、驚くような巨大キャラ、それを利用した擬似3Dグラフィックス、驚異的な速度感、さらにはPCMによる音声および華麗なFM音源の曲。 何をとっても、信じがたいレベルのゲームで、当時のあらゆるゲーム小僧と当時のプロの心を鷲掴みにした。 プロが? と思うだろうけれど、スペースハリアーが出

    bigburn
    bigburn 2013/01/03
    そうそう、ムービング筐体のビックリ体験込みのスペハリですよね
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