マッカーサー元帥の上陸地点には記念の像が立ち、観光地となっている=島北部パロ、四倉写す亡くなったディアスさんの首には日本兵に殴られた時のこぶが残っていたセビリャノさん ※写真をクリックすると拡大します 日本軍が「太平洋の天王山」と呼び、米軍のマッカーサー元帥が「アイ・シャル・リターン(私は戻ってくる)」の約束を果たす地と決めた太平洋戦争の決戦場、フィリピン・レイテ島。日米両軍の間でほんろうされ、大きな犠牲を払った島民の高齢化が進む。戦後65年の今夏、レイテ島の戦いを記憶にとどめる人たちを訪ねた。 ■母の前で襲われた娘 島北部の町レイテで草ぶきの簡素な家に住むフランシスコ・ディアスさんは95歳。首の後ろにある小さな握り拳ほどの大きさのこぶをさすりながら記憶をたぐった。 日本軍占領下の1943年。ディアスさんは日本兵に頼まれて仲間数人と川で水をくんでいた。そこに別の日本兵の一団が来た