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ブックマーク / clio.seesaa.net (8)

  • 「建国記念の日」の基礎知識: 日夜困惑日記@望夢楼

    ちょっとしたメモ書きとして――。 「建国記念の日」は1966年(昭和41)の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)改正で新設された祝日で、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とされている(「建国記念日」ではなく「建国記念の日」である。お間違えなきよう、念のため)。その起源は、1873年(明治6)に始められ、1948年(昭和23)祝日法の公布・施行とともに廃止された「紀元節」であり、もともとは初代天皇とされる神武天皇の即位を記念した祝日であった。 ところで、なぜ2月11日が神武天皇即位の日なのか。 『日書紀』巻第三に 辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮 (辛酉年の春正月の庚辰の朔に、天皇、橿原宮に即帝位[あまつひつぎしろしめ]す) とある。つまり神武天皇は辛酉年の1月1日(旧正月)に即位したことになる。当然ながら、この暦は中国や日で用いられていた太陰太陽暦であり、西暦(グレゴリオ暦)

  • 平泉澄と仁科芳雄と石井四郎: 日夜困惑日記@望夢楼

    手元の資料を整理していたらこんなものが出てきた。 「東京大学旧職員インタビュー(3) 平泉 澄氏インタビュー(6)」『東京大学史紀要』第17号(東京:東京大学史史料室、2000年3月) 東京大学百年史編集室(現・東京大学史史料室)が1978年11月に平泉澄(ひらいずみ・きよし、1895~1984)に対して行った聞き取りで、平泉の没後、『東京大学史紀要』第13~17号に掲載された。平泉は元東京帝国大学文学部国史学科教授で、戦時下において独特の国体論的歴史学を展開したことで知られる。インタビュアーは伊藤隆・酒井豊・狐塚裕子・照沼康孝の4名である。したがって、終戦から33年経った時点での、満83歳の老人による回想である、ということはいちおう注意しておきたい。 そのインタビューの結末近くで、平泉はこんなことを語っている([…]内は引用者註)。 […]世界は大動乱に陥り日は大国難に遭遇するというこ

  • 1920年代の体罰の実例: 日夜困惑日記@望夢楼

    の法律では、学校教育での体罰は1879年以来(1885~90年の間を除き)法的に禁止されてきた、ということは前述した。が、これはもちろん、実際に体罰が存在しなかったことを意味するわけではない。 河野通保『学校事件教育的法律的実際研究』上巻(文化書房、1933年)「第八章 教育者の懲戒権問題」[近代デジタルライブラリー]には、1920~30年代の新聞報道に現われた、教師のゆきすぎた懲戒が引き起こしたトラブル事例が数多く掲載されている。同書には生徒の自殺やお礼参りなどの事例も取り上げられているが、ここでは、体罰の事例を年代順に抜き書きしてみる。 以下は原文そのままではなく、適宜表現を現代的に修正したり、要約したりしていることをお断りしておく。「訓導」は小学校の正規教員、つまり現在の「教諭」。「受持訓導」は担任教諭。年齢は当時は数え年表記なので、満年齢では1~2歳下となる。当時の制度では尋

  • 尖閣諸島が個人所有となった経緯: 日夜困惑日記@望夢楼

    先日明らかにされた東京都による尖閣諸島購入計画については、実効支配という観点からいえば、はっきりいって無意味だと思う。そもそも、この島々はもともと日側が実効支配しているのである。だいたい現在も国(総務省)が借り受けているのだし。公有地にすることで管理が安定するというメリットがあるとしても、所有すべきなのは国・沖縄県・石垣市のいずれかであって、直接何の関係もない東京都が出張ってくる意味は無い。 私有地のままにしておくと外国政府が購入する恐れがある、と心配される向きもあるかもしれないが、国内法上の土地所有権と、国際法上の領有権とは別の概念である。だいたい、日の国内法に基づいて土地を購入し、その土地を不動産登記したとすれば、とりもなおさず、日政府によるその土地の領有権と管理権を認めていることになってしまう。したがって、気で尖閣諸島の領有権を主張するつもりがあるのなら、尖閣諸島の土地を日

  • 帰宅困難日記(3月11日): 日夜困惑日記@望夢楼

    被災地の方々に心よりお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を祈る次第です。また、現在救助を待ち望んでいる方々が、一刻も早く救助されるようお祈りいたします。何もできませんが……。 さて。 Twitter の方でも報告しましたが、当日、たまたま千葉大にいたため、ものの見事に帰宅困難者というやつになってしまいました。いくらなんでも歩いて帰れる距離じゃないので(明治時代の人なら歩けただろうが)、外房線の運航が再開されるまでの約28時間、ひたすら待ち続ける羽目に。何の参考にもならないと思いますが、回想がてら記しておきます。 そもそも11日に千葉大にいたのは、30分程度で終わるような、ちょっとした仕事の打ち合わせのため。その後、ネットでのちょっとした調べ物のために大学院棟4Fの某研究室に行き、それもおおむね終わったので、パソコンの画面を眺めつつ、さて図書館にでも行こうか、と思っていたと

  • 地方紙号外に見る関東大震災についてのデマ記事: 日夜困惑日記@望夢楼

    先日(5月1日)、 Twitter でこんな話を書いたところ、予想外に反響があった。 関東大震災のときに地方紙に載ったデマは、例の「不逞鮮人」関係を除いても酷いもので、報道の通りなら伊豆諸島はすべて水没し、富士山は爆発し、名古屋は壊滅し、高橋是清や松方正義は死亡し、宮城(皇居)は炎上し、山権兵衛首相は暗殺されているはず。 posted at 00:16:34 せっかくなので、新聞資料ライブラリー〔監修〕『シリーズその日の新聞 関東大震災 上 激震・関東大震災の日』(大空社、1992年)に収録されている地方紙の号外の中から、明らかなデマ記事をいくつか抜き出してみた。以下の抜き書きは、1923年9月4日ごろまでのものの中から目についたものを適当に選んだだけであり、網羅的なものではないことをお断りしておく。漢字は新字体に直した。[…]は引用者註。散発的な誤報もあれば、「松方公薨去」のように、

  • 文字化け問題: 日夜困惑日記@望夢楼

    「望夢楼」の別館です。思いついたこと、館の更新情報など。スローペース・マイペースで更新。新刊『教育勅語の戦後』2018年9月発売。『「皇国史観」という問題』『地図から消えた島々』も発売中。

    emiladamas
    emiladamas 2011/01/01
    最近変だなと思ってたけどそのせいなのか。
  • 加納久朗『新しい首都建設』: 日夜困惑日記@望夢楼

    1962年(昭和37)から1963年(昭和38)にかけて千葉県知事をつとめた、加納久朗(かのう・ひさあきら、1886-1963)という人物がいる。 父の加納久宜(かのう・ひさよし、1847-1919)は上総一宮藩*1の最後の藩主で、のち子爵となり、鹿児島県知事(在任1894-1900)、一宮町長(在任1912-19)を歴任している。久朗自身は横浜正金銀行*2のロンドン支店支配人、取締役などを歴任、戦後は日住宅公団*3の初代総裁(在任1955-59)を経て、1962年(昭和37)の千葉県知事選挙に自民党の支援を経て立候補、現職の柴田等を破り当選。しかし、就任当時すでに70代の高齢ということもあり、在任わずか110日で急逝している。 *1 現在の千葉県長生郡一宮町を中心とした藩。 *2 1880年から1946年まで存続した半官半民の外国為替専門銀行。現在の三菱東京UFJ銀行の前身のひとつ。

    emiladamas
    emiladamas 2010/10/09
    “鋸山の方はほとんど全山が水成岩から成っているので、この山を崩すには従来のようなダイナマイトによる爆破方法ではなく、核爆発によって山全体をゆるませ、岩石を掘りとるという方法を考えている。”
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