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ブックマーク / imperialarmy.blog3.fc2.com (6)

  • 近衛読書中隊 父島のみなさん

    「父島ノ皆サン、サヨウナラ」 というのは硫黄島の一通信手が最後に送った電文だが、それではその「父島ノ皆サン」は何をしていたかというと、これが米軍捕虜を殺害してその肉を喰ってたんだな。所謂父島人肉事件。勿論喰ったのは極々限られた一部であったが、其の中に旅団長や根拠地隊司令官が含まれていたから、事件は極めて特異性を持つこととなった。 父島には第109師団隷下の第1混成旅団がいた。旅団長立花芳夫は愛媛出身の陸士25期。陸大は出ていない。広島聯隊区司令官から現職に就いた。一方父島で輸送業務にあたっていた堀江参謀には、栗林中将より、作戦指導に関する権限が与えられていた。硫黄島が玉砕すると、混成第1旅団は第109師団に改編され、立花少将は中将に進級と同時に師団長に補された。このとき堀江参謀は大営に「事情あり、適任の師団長を派遣せられたし」と電報を打った。更に返電が無いと見ると、「参謀長でもよいから

  • 近衛読書中隊 小笠原兵団司令部の人々

    『父親たちの星条旗』公開に寄せて 第109師団は昭和19年5月に父島要塞守備隊を基幹に編成された師団で、2個旅団から成り、それぞれの旅団は6個の独立歩兵大隊から成っていた。歩兵大隊の大隊長は60前後のロートルが多かったらしい。小笠原兵団とはこの第109師団に、歩兵第145聯隊や戦車第26聯隊などの諸部隊がくっついたものをいう。ちなみに支那事変初期に存在した第109師団とは別物である。 師団長栗林忠道は長野県出身で長野中学から陸士に進んだ。陸士は26期、兵科は騎兵、卒業席次は125番と平凡であったが、その後陸大に進み(35期)、これを次席で卒業して恩賜の軍刀を賜った。ちなみに首席は陸軍開闢以来の秀才といわれた藤室良輔。その後米国、カナダに勤務して所謂知米派となる。海外駐在時代はしきりに子供たちに絵手紙を送っていた。第23軍参謀長として、大東亜戦争の緒戦において香港を攻略。その後近衛の留守師団

  • 近衛読書中隊 昭和十年代の陸軍と政治・第1章

    第1章 広田内閣における陸軍の政治介入 二・二六事件の後、元老西園寺公望に首班として指名されたのは近衛文麿公爵でした。しかし近衛公は何かと理由をつけてこれを辞退。重臣達は困りますが、一木喜徳郎の推薦で広田弘毅に大命が降ります。 広田の組閣振りを注視していた陸軍は、その面々に不満を抱き、入閣予定であった寺内寿一をして、入閣を拒絶させます。このとき陸軍が忌避した人々は一般的に次の五名とされます。 牧野伸顕の女婿吉田茂 朝日新聞の下村宏 民政党の川崎卓吉 国体明徴の観念に疑義があるとされる小原直 軍需産業と繋がりの有る中島知久平 著者は、更にこれに永田秀次郎も加えた六名にクレームがついたとしています。 一方このとき陸軍省において協議に参画したのは、新大臣候補の寺内大将のほかに、現大臣の川島義之、次官の古荘幹郎、軍務局長の今井清、軍事課長の村上啓作、調査部長の山下奉文そして軍事課課員の武藤章、高嶋

  • 近衛読書中隊 軍部大臣現役武官制の効能

    正確に言えば逆で、軍部大臣現役武官制廃止の効能ですか。 広田内閣で軍部大臣現役武官制が復活し、その直後に宇垣一成が組閣の大命を拝しながら、陸軍大臣を得ることができずに、泣く泣く大命拝辞するという事件が起こりました。この件については以前 香月清司中将について(1) 林弥三吉中将重大声明 で軽く触れましたが、それではこのとき、軍部大臣現役武官制が復活していなければ、宇垣は無事組閣出来たでしょうか?確かに彼に協力する予備役の大将、中将は数名いましたが、しかし、大臣も出さないというくらい(陸軍に)反感を抱かれている内閣に入閣するぐらいの意気の有る人は、いたかどうか(この話は来、『昭和十年代の陸軍と政治―軍部大臣現役武官制の虚像と実像』を読んだ上でやるべきなのでしょうが、残念ながら私はまだ読めていません)。 宇垣から電話で依頼を受けた小磯国昭は、三長官の推薦が無いなら、仮に自分が受けたとしても、朝

  • 近衛読書中隊 人は石垣

    南方攻略の三軍(25A、14A、16A)を見ていると、人間関係の悪さと戦争犯罪や不祥事は比例関係にあるということが分る。 オランダは今村と岡崎に死刑を求刑したが、結局二人とも無罪となった。第2師団長だった丸山政男も無罪、東海林俊成も死刑を求刑されていたが最後は減刑され、無事復員した。これらはひとえに、大営から何を言われようが「占領地統治要綱の通りにやっている」の一言で撥ね付けた今村と、其の意をよく汲んだ部下の賜物だろう。 第14軍は、バターンのデスマーチで間と野戦輸送司令官の2人が処刑された。これに関しては、マニラかバターンかという戦略的な問題がまずあり、責任の殆どは大営にあるが、そこで独断、バターンへ逃げる米軍を急追できなかった間及びその幕僚の弱さも指摘できる。今村と間は同期の親友で、あまり軍人軍人していないところもよく似ているが、こういう局面での強さに差があるように思う。また

  • 近衛読書中隊 「BC級裁判」を読む

    半藤一利 秦郁彦 保阪正康 井上亮『「BC級裁判」を読む』日経済新聞社 半藤、秦、保阪という代表的な現代史の書き手に、富田メモをスクープした日経新聞の井上編集員を加えた4人で、BC級戦犯裁判を語るという書。取り上げられている事案は次の通り。 泰緬鉄道F軍団事件--イギリス軍シンガポール裁判85号 サンダカン死の行進--オーストラリア軍ラブアン裁判14号 ランソン事件--フランス軍サイゴン裁判39号 カーコニコバル島住民虐殺事件--イギリス軍シンガポール裁判12号 シンガポール華僑粛清事件--イギリス軍シンガポール裁判118号 スマラン慰安所事件---オランダ軍バタビア裁判69号 花岡事件--アメリカ横浜裁判230号 武士道裁判--アメリカ横浜我利23号 ガスマタ豪軍飛行士介錯事件--オーストラリア軍香港裁判13号 百人斬り競争--中華民国南京裁判21号 海軍生体解剖事件--アメリカ

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