近代以降のキリスト教の歴史 エキュメニズムと世界教会協議会 プロテスタントは、1910年にエジンバラで世界キリスト教会議を開催し、カトリックと東方正教会の代表に加えて、非キリスト教の諸宗教の代表も招き、教会の対話と一致を協議した。その結果、世界教会協議会(WCC)が誕生し、エキュメニカル運動(教会一致運動)が推進された。プロテスタント諸教会は洗礼・聖餐・職制(叙階)において一致するために「リマ文書」を作成し、それを用いて諸教会の合同礼拝を行っている。また各国でプロテスタント諸教派による「合同教会」(United Church)が誕生している。日本では戦中に政府の強制によってではあるが教会合同が行われ、日本基督教団が作られた。 第2ヴァティカン公会議 第二次世界大戦後、カトリック教会は一転して大規模な教会改革を開始し、第2ヴァティカン公会議において、プロテスタントおよび東方諸教会とのエキュメ
会議全景(ローター・ヴァレー撮影) 会場風景(L・ヴァレー撮影) 出席者席。前列左はエメ・ジョルジュ・マルティモール (fr)(L・ヴァレー撮影) 閉会(L・ヴァレー撮影) 第2バチカン公会議(だい2バチカンこうかいぎ、ラテン語: Concilium Vaticanum Secundum、1962年-1965年)は、ローマ教皇ヨハネ23世のもとで開かれ、後を継いだパウロ6世によって遂行されたカトリック教会の公会議である。 この会議では、公会議史上初めて世界五大陸から投票権を持つ参加者 (公会議教父) が集まり、まさに普遍公会議というにふさわしいものとなった。教会の現代化(アジョルナメント(英語版))をテーマに多くの議論がなされ、以後の教会の刷新の原動力となるなど、第2バチカン公会議は20世紀のカトリック教会において最も重要な出来事であり、現代に至るまで大きな影響力をもっている。 概要[編集
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