42歳。 この歳になるとさすがに「今まで見向きもしなかったものが急に好きになる」 みたいな、まあ大げさに言えば「価値観がひっくり返る」なんてことはそうない。 と思ってたんだが・・・ なぜか最近B’Zが気になって仕方がない。 キッカケは、とある仕事でB’Z楽曲や映像をネットで漁ったことなんだが ↓のライブ映像にはマジでぶっ飛んだ。 正直、鳥肌さえ立ってしまったし「稲葉・・・カッチョ良い・・・松本すげえ」 と不覚にも思ってしまった。 まあ不覚にもってことはないんだが。 いやあすげえ。
明日の朝には消されてるはず。 めちゃイケSPの「ナインティナイン20周年に20のやりたいこと」のハイライトは5年前にフライデーされた(17時間部屋に一緒にいて鍋だけ食ってなんにもできなかったとされていた)岡村と熊田曜子の再会だった。 めちゃイケらしい仕込みと構成が抜群で最高に面白かったし カレーからの流れはもう唸るしかないほど巧妙だった。 岡村のリアクションから見ても、全部知っていたはずの熊田曜子がいざ岡村の前に 出てきたら色々と恥ずかしくなっちゃったカンジから判断してもガチだったと思う。 いやー切ねえよこれ。 当然オレは岡村に感情移入しちゃうけど、ほんと気まずいわ切ないわ恥ずかしいわ でもちょっと嬉しいわがごちゃ混ぜになっちゃうよねこういうの。 熊田曜子が登場した時の岡村の表情と動き、たまんないです。 観ているこっちが走り出したくなりました。 さんざんいじられて、バラエティ的落としどころ
横澤彪さんが亡くなられた。 面識もなければお会いしたこともない。 だが、この方がいたおかげでオレは今この業界にいる。 それは間違いない。 小学校6年の時に、「オレたちひょうきん族」が始まった。 土曜8時といえば物心ついた頃から「8時だよ全員集合!」だったオレにとって ひょうきん族はまさに黒船でありビートルズでありセックスピストルズだった。 「THE MANZAI」からもうその予兆はあったのかもしれないが お笑いや芸人を【カッコ良いもの】としてパッケージ化したのは テレビでは間違いなく「ひょうきん族」だったし横澤さんだ。 レギュラーコーナーはあったが、ひょうきん族は毎回毎回なにが起こるか わからないスリリングがあった。暴力的でありパンクだった。 アドリブや暴走、事故やアクシデントを笑いにし、芸人の内輪話やエロ話を 堂々と放送し、スタッフまで出てきて悪ふざけをする。 そうだ、ひょうきん族は全て
特集*岩井俊二 岩井俊二を生み出した環境 大根仁 僕が最初に岩井さんの作品を見たのは、フジテレビの深夜ドラマ枠『La cuisine』(‘92 )の「オムレツ」か「GHOST SOUP」だったと思います。既存のドラマとまったく違う画面にびっくりしました。それで「岩井俊二」という名前を覚えたんですけど、当時はネットとかないからどういうひとかはわからなくて。 九三年に、のちに岩井さんとロックウェルアイズを作ったソニーレコードの久保田修さんから「岩井俊二という天才とPVを作ったので見て」って渡されたのがTO BE CONTINUEDの『君とずっと…暮らしたい』で、岩井さんがカメラマンの篠田昇さんと組むようになった初期の作品だと思いますけど、これもすばらしくて、そこで岩井俊二がどういう背景のひとかがちょっとわかったんです。PVを撮りつつドラマを撮るというひとは当時そんなにいなかったので――僕の師匠
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