朝日新聞の初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)が、初めて産経新聞のインタビューに応じた。インタビューは7月30日午後に札幌市内のホテルで行われた。インタビューを担当したのは本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。約2時間にわたってやりとりが続いた。 インタビューの詳報を10回にわたり紹介します。 「(インタビューを)産経新聞がやってくれるの想定していなかった」植村 どうも初めまして植村です。いろいろご質問があるということなので、順次やろうと思うんですが、その前にちょっと、今回わざわざ東京から来られて、ちょっと取材経緯といいますか、意図といいますかですね、その辺のところを教えていただいて…と思うんですけど。いいですか。 阿比留 どうぞ。まず今回は、当初は植村さんに特に焦点をあてる意味ではなくして、朝日新聞による慰安婦検証記事からちょうど1年になりますの
日本が建国された日を知っている日本人は2割未満-。若手経営者らでつくる日本青年会議所(日本JC)が11日の建国記念の日を前に、建国に関する意識調査を行ったところ、そんな結果が出た。国内在住の外国人は中国で100%、米国やカナダで9割超が「自国の建国・独立の日」を正しく答えており、日本人の建国に対する意識の低さが鮮明に浮かび上がった。 調査は1月、北海道から沖縄まで全国10都市の街頭で18歳以上の男女約1万人にヒアリングした。「日本が建国された日はいつか」との問いに「2月11日」と答えたのは19・3%で、年齢別の内訳は25~39歳が14・9%で最も低く、18~24歳が16・2%、40~59歳が19・4%。最も高い60歳以上でも44・3%だった。 同様に日本国内の街頭ヒアリングと、委託した調査会社があらかじめ登録されている日本国内在住の外国人の中から無作為抽出した各国の18歳以上の男女計300
東京・上野の東京国立博物館(東博)で2014年6月24日から開催される台湾・故宮博物院の展覧会「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」展をめぐって台湾で騒動が持ち上がっている。展覧会を告知するポスターの一部に「國立」の二文字がないというのだ。このままでは展覧会の中止も辞さないという声も出ているという。 アジアで初めて開かれる大がかりな「台北・故宮展」がなぜこんなことになったのか。この騒動、日本の大手マスコミはほとんど報じないが、なぜなのか。 馬総統夫人が開会式に出席する予定だった 台北・故宮博物院はルーブル、エルミタージュなどと並ぶ世界有数の博物館の一つといわれ、国共内戦の折に、北京の故宮から運び出されたものを中心に約70万件の古美術類が収蔵されている。それらの中には中国歴代王朝で「神品」とされた、いわば王権・政権の正統性を裏付けるような宝物も多く、それゆえ今の台湾政府にとってもことのほか貴重
アジア安全保障会議で安倍晋三首相が基調講演を行う前に資料に目を通す中国全人代外事委員会の溥瑩主任委員。この後の公開討論で「神話」という言葉を使い、安倍氏を糾弾した=5月30日、シンガポール(ロイター) 中国や韓国、北朝鮮は「歴史の背骨」の捏造に膨大なエネルギーを注ぐ。しかし、超弩級の3Dプリンターを開発し“人造背骨”を組み込んだところで、歴史の方で拒否反応を起こす。もっとも、拒否反応で「壊死」した部位(歴史)は直ちに切り取り、人工的に付け替える。事実は関係ない。日本人なら、恥ずかしくてとても口に出せないウソを堂々とつく。例えば、アジア安全保障会議の公開討論が行われた5月30日、安倍晋三首相(59)を批判した中国全国人民代表大会外事委員会・溥(ふ)瑩(えい)主任委員の発言。(SANKEI EXPRESS) 「魚釣島(沖縄県石垣市・尖閣諸島の中国名)問題を拡大し『中国が脅威だ』と言っている。(
OPINION 週刊朝日ルポ「ハシシタ」批判−差別、偏見の助長…これは言論の自由の自滅だ / 記事一覧 週刊朝日の表紙。販売を助けたくないのでリンクをしない 「血」による人格攻撃は許されない 10月26日号から週刊朝日(朝日新聞出版)で始まったルポライターの佐野真一氏による連載「ハシシタ」を読み、大変なショックを受けた。 ここでは橋下徹大阪市長の父、祖父が被差別部落出身と強調。それと橋下市長の行動を関連づけている。私たちの父祖、そして私たちがつくりあげてきた「言論の自由」。その獲得から68年が経過した結果、それが放埒に行使され、差別と偏見を助長する「異形のルポ」が有名週刊誌上に堂々と登場した。言論の自由を育て、民主主義を機能させようというこれまでの多くの人々の努力は何だったのか。悲しさと虚しさを感じたのだ。 問題なのは、日本の恥ずべき歴史である「被差別部落問題」と、佐野氏は彼が言う
天皇陛下は初代の神武天皇から数えて第125代の天皇である。それでは区切りとなる50代目の天皇はといえば、西暦794年に平安遷都を行った桓武(かんむ)天皇だ。さらに第100代は南北両朝の合一がなった後小松(ごこまつ)天皇ということになる。 ▼平安遷都といえばずいぶん古いことのように感じられる。だが日本の歴史の始まりからすると、天皇の代数で50代もたっている。南北朝時代もかなり昔というイメージだが、有史以来現代までの5分の4程度のころのできごとで、「ついこの間」のような気がしてくる。 ▼日本の歴史の重要なことがらも「第何代天皇のころ」として見れば、ぐっと分かりやすく身近に感じられる。しかしそんな日本の歴史も、枝野幸男官房長官にはあまり関心事ではなさそうだ。一昨日の参院決算委員会での「答弁」でそう感じた。 ▼山谷えり子議員が、天皇、皇后両陛下の被災地ご訪問にからみ「天皇陛下は何代目の天皇かご存じ
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