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宮本常一と民俗に関するkanototoriのブックマーク (13)

  • 宮本常一の仕事、20年かけ次代へ 周防大島の出版社:朝日新聞デジタル

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    宮本常一の仕事、20年かけ次代へ 周防大島の出版社:朝日新聞デジタル
  • CiNii Research

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    kanototori
    kanototori 2011/07/10
    「大都会で過ごした経験を、彼は何故、積極的に記録しなかったのだろうか」
  • 噂が伝説になる時 - 記憶の彼方へ

    常一は若い頃に肺結核で二度死線を彷徨った体験をもち、生存にぎりぎりの肺活量しかなかったと言われるも、日列島の津々浦々を何かに憑かれたようにひたすら歩き続けた稀有な旅人、前代未聞の記録者だった。1930(昭和5)年、23歳の時、最初の病に倒れ、郷里で1年以上の絶対安静の療養中には、ひたすら『万葉集』を読み、それが後の旅に大変役立ったと語り、こう続ける。 ほんとうの旅は万葉人の心を持つことによって得られるものではないかと思うようになった。(『民俗学の旅』80頁) 病が癒えて、医者に外出を許されてからは、ふところに手帳を入れて人の集まるところへいっては話を聞き、それを書き留めたり、野山をあそびまわるようになったという。そんな頃の興味深いエピソードがある。 病気がよくなると野や山をあそびまわった。草の中に寝ころんで空を流れる白雲を見たり、沖の島の上で夕日を長いあいだ見ていたり、浜へ出て海へ石

    噂が伝説になる時 - 記憶の彼方へ
  • 悼む人々 - 記憶の彼方へ

    イザベラ・バードの日奥地紀行 (平凡社ライブラリー) 今から130年前の1878年(明治11年)に英国人女性イザベラ・バードが日列島を旅した。彼女が歩いて、見て、聞いて、記録した「日」を、それから約100年後の今から約30年前に宮常一が解説した。その「日」は、私にとってほとんど見知らぬ国である。時代が時代なんだから、当たり前だ、と思う一方で、それにしても、その間の変化はあまりにも急激で、それによって得られたものの陰で失われたものの大きさを思うと非常に複雑な気持ちになる。 「イザベラ・バードの『日奥地紀行』を読む」平凡社ライブラリー 133頁 例えば、この挿絵に描かれたものは一体何だろう? これは、イザベラ・バードが「これほど哀れにも心を打つものを見たことがない」と記録し、宮常一が「とにかく通りかかった人たちの慈悲によって一つの霊が浮かばれるようにという行事なのです。このような

    悼む人々 - 記憶の彼方へ
  • touhoku.com - このウェブサイトは販売用です! - touhoku リソースおよび情報

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  • 萩博物館発、節分の話題、余話 | 萩博ブログ

    この建物は、駄屋(牛馬舎)として用いられていたようです。 その出入り口梁上に、釘で打ち付けられたこれは何でしょうか。 ご不在だったので、残念ながらこれが何かをお尋ねすることができませんでした。 機織で用いられる「おさ」に似ています。 これは、魔よけと考えられます。 かつて人々は、災いをなすものは、光るもの、トゲのあるもの、たくさんの目があるものなどを苦手とすると考えたようです。 山口県北西部のある地区で、家の開口部にアワビの殻を置くという話しを聞いたことがあります。 ナガモノ(蛇)が入って来ないようにそうする、と説明されました。 やはり、生活文化担当学芸員は、外歩きをせねばと思います。 歩かねば情報を得ることはできません。 歩いて、見て、聞いて、記録する。 そして、それを資料化して次の世代に渡す。 民俗学者の宮常一さんは、生涯かけてそれを実行されました。 2月14日(土)14:00~16

    萩博物館発、節分の話題、余話 | 萩博ブログ
  • 今日の一冊 「忘れられた日本人」宮本常一 - finalventの日記

    ⇒三枝成彰さんの私の1冊「忘れられた日人」宮常一 | NHK 私の1冊 日の100冊 忘れられた日人 (岩波文庫): 宮 常一 このは日人知識人には単に必読というのはあるのだけど、人によっては何が面白いのかわからないというのはあるだろう。若い人だと、読める人と読めない人の差は大きい。 名著の評価はガチなのだが、微妙な問題は多い。 三枝成彰の話はまあ、悪くない。日人再発見みたいな感じで読まれてもよいだろうし、普通はそう読む。 で、と。 旅する巨人―宮常一と渋沢敬三: 佐野 眞一 このあたりも必読なのだが、ちょっとい足りない。 宮常一が見た日: 佐野 眞一 こちらは「旅する巨人」がきっかけでNHKの市民講座がベース。まあ、概論的。 渋沢家三代 (文春新書): 佐野 眞一 宮常一ではないがこのあたりも、常識の部類かな。ちょっとそういうのは勇み足だが。 で、と。 日文化

  • off the gallery <見ること>の確かさにむけて:宮本常一と岡本太郎

    photographers’ gallery (tokyo | japan (フォトグラファーズギャラリー)) 写真家が共同運営するギャラリー。メンバー展覧会の他、企画展、イベント、トークショーなどを開催。HPでは写真評論・連載や、書籍の販売も行っています。“photographers’ gallery” is a gallery placed in Shinjuku, Tokyo, Japan. It is run by a group photographers. We have exhibitions of not only our works, but also non-member’s works, lectures, and some events at the gallery. We operate our activities with a broad outlook no

    off the gallery <見ること>の確かさにむけて:宮本常一と岡本太郎
    kanototori
    kanototori 2007/12/27
    「こんな写真しか撮れなかったということは、こんなものしか見ていなかったということの証明であるという宮本の主張。」
  • 『山に生きる人びと 日本民衆史 2』  宮本常一 | 考えるための書評集

    『山に生きる人びと 日民衆史 2』  宮常一 未来社 1964 2000e 私は山の風景が好きである。山の景色を見ていると、ほっとするし、気持ちが爽やかになるし、人のいない環境もしごく快適なものである。ハイキンクで関西の山を登ったり、バイクで関西の山々をめぐっているうちに、山自体より、奥深い山奥でも村落や人の住む家があったりして、そちらのほうに興味がひかれるようになった。 「なんでこんなところに住んでいるんだろう」「どうやって暮らしているんだろう」と都会に住んでいる者としては想像が届かないのである。なにより外界や人里からはなれた隔絶した環境で生きるということが、安らかさを思わせるのである。それで宮常一のこのを読んだ。 宮常一のこの『日民衆史』はだいぶ間隔があいているが、これで三冊目を読んだことになる。自分の興味の推移は、『生業の歴史』、『海に生きる人びと』、そしてこんかいの『山

  • 「宮本常一の旅」

    「ここはいわくに」と子どもが言う。「ここは」のあとに続くのは「いわくに」だと思い込んでいるようすだ。たぶん、義父母のいる山口市へ向かう途中で、「ここは岩国」と親たちが言ったのを、覚えてしまったのだろう。「ここは広島」と何度も訂正したが、かたくなに「ここはいわくに」と言いつづけている。 まだ子どもが生まれる前、岩国の錦帯橋にお花見に行った。近くで猿回しをしていて、通りすがりにそれを見た。 何年か前に、NHKだったと思うけれど、民俗学者の宮常一についての番組を連続でやっていて、「宮常一の旅」というタイトルだった。そのなかで、山口の猿回しが、若い頃に出会った宮常一の思い出を語っていた。 彼が若いとき、地域の被差別部落民の猿回しの人々の聞き書きをまとめて、宮常一に渡した。そして、それを読んだ宮常一に「きみは人間を矮小化している」と言われたそうだ。「差別や貧乏のつらさや、そんなものだけで猿

    「宮本常一の旅」
    kanototori
    kanototori 2007/02/05
    「人間を尊敬することによって解放される」
  • 郷土大学ニュウズ コラム

  • 宮本常一データベース

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  • 宮本常一情報サイト 周防大島郷土大学

    ・03/2/15 図書新聞から  ・03/4/8up 土に咲く / 毛利甚八さん  ・03/4/19up「中国新聞連載から」  ・03/4/21up「中国新聞連載から」  ・03/4/26up中国新聞投稿欄から  ・03/5/9up佐野眞一さんサイン会     文化公開講座のお知らせ  ・佐野眞一さんのサイン会を終えて    みずのわ出版 柳原一徳  ・宮常一・佐野眞一著作フェアー開催  ・神戸新聞から佐野眞一さんへの    インタビュー記事  ・「エスクイア ジャパン」から、   「司馬遼太郎さんも敬愛した、       宮常一さんのこと」  ・「土佐源氏」岩国公演  ・中国新聞Webニュースから   「宮常一が発見した久賀文化」      講師・印南敏秀氏 ・中国新聞Webニュースから  2003/10/19「宮常一の志継ぎ          地域の再生試みる」  ・森

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