「建築界のノーベル賞」と言われるプリツカー賞を受賞した山本さん。世界中で調査した住宅を紹介しつつ、コミュニティー作りを意識した建築を行ってきた思いを語ります。
特に電話口で、自分の名前を漢字でどう書くか説明する場面あるじゃん? 「増えるに田んぼで『ますだ』、利益の益、荒川の荒に男で『ますらお』です」みたいなやつ あれ聞くのが好きなんだよね 当たり前だけどみんな説明する口調が滑らかで、その名前で何十年とやってきた結果、最適化された定型句なんだな~という感があって良い 上の例のように一文字ずつ説明するのも親切だし、「近藤勇の『近藤』です」と有名人を引き合いに出すのも味わい深い 「はしごだか」「土の吉」みたいな異体字もたまらん ワタナベさんのナベの字なんかバリエーション凄いから説明がどんどんこなれていきそう 実務上は直接本人に記入してもらうのが楽なんだけど、たまに聞く機会があるとちょっとうれしい
anond:20190701200632 日本では個人の名前は「石川麻呂(いしかわまろ)」や「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」といったふうに長い訓に漢字を当ててきたが、嵯峨天皇のころ遣唐使であった菅原清公の進言によって、男子の名前は漢字で二文字か一字、女子の名前は「○子」とするといった、漢風の名前の使用が進められ、定着した。 諱 - Wikipedia この菅原清公っていうのは菅原道真のおじいちゃんな。 具体的な後世に残った事績としては、それまで和風だった人名のつけ方を唐風に改めたことが挙げられる。男子の場合「坂上田村麻呂」の「田村麻呂」のような形式から「菅原道真」の「道真」や「藤原基経」の「基経」といった二文字訓読みか「源融(みなもと の とおる)」の「融」や「源信(みなもとの・まこと)」の「信」など一文字訓読みという形式にし、女性の名前の「○子」という形式にすることは彼の建言によって
事例作成日 2013年08月07日 登録日時 2013/08/07 11:24 更新日時 2014/03/13 10:14 東百官 【あずまひゃっかん】 コトバンク http://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E7%99%BE%E5%AE%98http://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E7%99%BE%E5%AE%98 (2013/08/07確認) デジタル大辞泉 戦国時代以後、関東の武士が京都朝廷の官名をまねて用いた通称。多門(たもん)・左内(さない)・伊織(いおり)・左膳(さぜん)・右膳(うぜん)・数馬(かずま)・頼母(たのも)など。 あずまひゃっかん【東百官】 国史大辞典 伊織・左膳・求馬などの、令制の官名に類似した名の総称。「百官」の語は令制の官職または官人の総称として用いられたが、令制が廃れてのち戦国時代より、式部・民部・刑部・織
今年は高句麗広開土太王逝去1600周年だ。歴史の教科書では、三国史記の記録によって、広開土王または広開土大王と呼ぶ。しかし、「太王四神記」(2007)を筆頭に最近の史劇では、広開土太王と呼んでいる。その影響で、史劇では高句麗のすべての王を「太王」と呼ぶ傾向がある。このため、王、大王、太王の関係を原級、比較級、最上級と見る見方もある。偉大な王という意味で大王で十分なのに、太王とは何を意味するのかという冷笑的な反応も出ている。 ◆太王は、王や大王と級が異なる。中国の皇帝に匹敵する称号だ。諸侯(王)を率いる帝国の王、王の中の王という意味だ。中国でも同じように王と書いたが、秦始皇の時から古代の伝説的王の名前を取って、皇帝と呼び始めた。その後、中国大陸の中心部を意味する中原を掌握した王朝の王は、すべて皇帝を自任した。中世ヨーロッパの中心部を掌握した神聖ローマ帝国の統治者の称号として、ローマ皇帝の称号
今回プロフィール画像に九条道家公の画像を使わせていただいた。『天子摂関御影』の道家像である。ということで九条道家ネタ。 九条道家という人物は実在しない(笑)。藤原道家ならば実在する。 「九条家」という言い方は後世の我々が便宜上付けている名称である。同様に「足利尊氏」も存在しない。当時の文書をみればもれなく「源尊氏」である。北条時宗もいない。「平時宗」である。当時使われていなかったから、という理由である歴史学における用語を否定するならば、「足利尊氏」も「北条時政」も「執権」も否定されなければならない。もちろん「鎌倉幕府」も「室町幕府」も、である。 話はもどって藤原兼実及びその子孫を「九条家」あるいは「九条流」と呼ぶのは、邸宅が「九条殿」であったことに由来する。「九条家」というのを家名という。近衛・九条・二条・一条・鷹司という家名、金沢・赤橋・常葉・大佛という北条氏の家名、いずれも各家の本邸の
東百官(あずま ひゃっかん)は、関東地方において武士が称した官職風の人名。朝廷の官職を模倣してつくられたもので朝廷における官職には存在しない。百官名と同じように、名字の後、諱の前に入れて名乗った[1]。 別名、相馬百官(そうま ひゃっかん)ともいい、平将門が新皇を称して関八州に半独立政権の樹立を図った際に設けた官職体系であるという伝説もある。 朝廷の律令官制に基づいた公卿百官に対して、関東における官職風の人名であることから、東百官、武家百官ともいわれた。本来、武士の任官は幕府を経由して朝廷に申請され、陪臣・郎従が官職を授かることは無かったが、応仁の乱以後、大名が家臣に勝手に百官名を与える例が現れたほか、実際の四等官に類似した名乗りを創作して与える場合もあった。こうした武家社会で用いられた歴史的な根拠のない創作の官職風の名乗りを東百官と呼んで実際の官職名と区別した。江戸時代においても広く使用
編集元:アニキャラ総合板より「しりとりに参加できないアニメキャラを救済するスレ」 9 名無しさん@お腹いっぱい。 :05/01/11(火) 12:09:14 ID:TZfCi9KY
この項目では、「(その時代における)今の天皇」を意味する名称について説明しています。 2019年(令和元年)5月1日以降在位中の第126代天皇については「徳仁」をご覧ください。 かつて「今上天皇」と称された歴代天皇については「天皇の一覧」をご覧ください。 天皇の概念全般については「天皇」をご覧ください。 即位以来「今上天皇」と称される徳仁 今上天皇(きんじょうてんのう)は、その時々における在位中の日本の天皇を指す語[1]。 「今」の「上(上様)」の意をもって呼ばれる「今上(きんじょう)」[1][2]はそれだけでその時代における皇帝や天皇を指す語として成立したが、「天皇」と繋げれば日本独自の名称となる。「陛下(へいか)」と繋げて「今上陛下」と呼ぶ例は、大正時代から確認できる[3][注 1][4]。 「今(現在)」とは、その時間に属する人が基準とする時の一点であり、どの時間に属する人かで「今上
当てはまったからって怒るなよ。狭い観測範囲内での俺調べだし。 猫系(nyanとか)月系(moonとかlunaとか)自分に「ちゃん」とか「たん」とか付け(hogehogechanとかhogehogetanとか)カワイイ系(loveとかmoeとかcuteとか)大体痛いオタクの臭いがするんだよね、こういうid持ちって。 あと、フランス語のidの奴は神経質でちょっと病んでるっぽいイメージ。 「大文字が入ってるid」。しかも頭の文字じゃなくて変な場所とか。(http://anond.hatelabo.jp/20080118233456)同じ言葉の繰り返しを含むID(http://anond.hatelabo.jp/20080122113825)idがドイツ語(http://anond.hatelabo.jp/20080122131846)idが顔文字になってる奴(http://anond.hatel
2007年02月14日00:00 カテゴリことば オットーと呼ばれる日本人 白川静『中国の神話』(中公文庫)を斜め読みしていたら、途中でこういう文章にぶつかった。 <於兎は楚の語で虎を意味する。わが国で寅年生まれの人に於兎という名をつけることがあるのも、虎の異名であるからである。於兎はまた於択としるされることもあり、兎や択は楚の語で虎をあらわすのであろう。(略)>(P95) へえ、そうだったのかあ。 ひょっとするとあの人もかな。 私の知っている「於兎」といえばこの人しかおらず、森鴎外の長男、森於菟。 その森於菟の生まれた年を調べてみたら、明治二十三年。庚寅。 ピタリ、寅年だった。 さすが鴎外、わかっている。 鴎外の子供たちはそれぞれに父親の思い出を本に書き残している。 そのどれを読んでも、鴎外が父親として子供たちを可愛がり、子供たちに愛されたことがよくわかる。 森於菟『父親としての森鴎外』
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