maricozy.hatenablog.jp (承前) 若手監督の名伯楽としての大塚和 ■民芸映画社の社長であり、日活映画の契約プロデューサーとして活躍した大塚和ですが、民芸映画社としての作品はそもそも、あまり多くないので、日活映画本体で契約プロデューサーとしての活躍がどうしてもメインとなります。そのフィルモグラフィーの中では、1960年代前半を中心とした有能な新人監督の発掘や意欲作の企画が特筆すべき業績と言えるでしょう。民芸映画社では若杉光夫の生真面目さもあり教育映画的な作風でしたが、日活本体ではリアリズム路線を基調とはしながら、より幅広い才能や素材を送り出します。 今村昌平をバックアップする ■その大きなステップとなったのはなんと言っても今村昌平の存在でしょう。1958年の『果てしなき欲望』で今平を監督デビューさせ、1961年『豚と軍艦』、1963年『にっぽん昆虫記』、1964年『赤い