トキワ荘マンガミュージアムでは、お客様に安全で快適にご鑑賞いただくため予約優先制としております。ただし、予約が無い場合でも入館者人数に余裕がある際にはご入館いただけます。 トキワ荘マンガミュージアムでは、お客様に安全で快適にご鑑賞いただくため予約優先制としております。ただし、予約が無い場合でも入館者人数に余裕がある際にはご入館いただけます。
差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp] 送信日時: 2005年8月26日金曜日 23:22 宛先: 銭湯ML 件名: 東湯(福井県大野市高砂町) ナカムラです。 今日(8/21)は、「東湯(福井県大野市高砂町)」に行ってきました。 越前大野駅(越美北線)から、0.9キロ、10分くらいです。しかし、昨年7月の豪雨で、福井駅から越前大野駅までの鉄道は寸断されたままで、途中は代行バスに乗り換えての到着。いくつかの鉄橋が落ちたまま。護岸工事完成後に鉄道の復旧工事を行うらしく、復旧にはまだ何年もかかるようだ。 昨夏は、富山県の魚津市の豊富な湧水に感銘を受けたので、今回は「日本100名水で銭湯」というコンセプト。 福井県の銭湯はピークで150軒ほど。現在は50軒と3分の1になった。大野市の銭湯も14軒が6軒に減っている。町の中心
全国の遊郭跡には転業旅館となって今もなお“現役営業中”の「泊まれる遊郭建築」が僅かながらあります。代表的なところだと青森県の新むつ旅館、愛知県の新宝光旅館や三重県の麻吉旅館、山口県の芳和荘などですが、広島県にある「一楽旅館」も其の一つ。廓好きなら知らないものはいないくらい有名な旅館です。 私のバイブル「全国遊郭案内」を広げると、広島市には船入町あたりにあった西遊郭と下柳(現在の現在の中区銀山町、橋本町、薬研堀)にあった東遊郭の2つがあったと書いてあります。後者は広島を代表する繁華街の一つです。そして一楽旅館はそんな繁華街の中にポツンとあります。 一楽旅館を正面から。このあたりは防火地域なので、この木造建築が焼失してしまったら同じ姿では再建できません。(地図①) 奥のこちらの建物が戦後間もなく建てられた部分。昭和33年の売防法施行まで、男女の逢瀬の場として使われていたようです。 右隣のベージ
世界トップクラスの発展都市・東京。虎ノ門ヒルズや渋谷ストリームなど、真新しい施設や建物が続々と登場しています。 2019年5月に新元号「令和」をむかえ、翌2020年には東京オリンピック・パラリンピックを控えていますが、時代が変わっても古き良きレトロな建物をみると、まるでタイムスリップしたような懐かしい気持ちになるものです。 再開発が進む「東京都」に残されたレトロな建物たち 東京都都市整備局が発表している「市街地再開発事業」によると、都内21の地区が再開発予定地区とされています(2018年3月31日時点)。渋谷区や品川区、港区といった23区を中心に再開発が進んでおり、多くのエリアで大規模な工事がいま現在行われているのです。 そんな整備が進む東京都内ですが、どこか懐かしい古き良きレトロな建物が各所に数多く残されていることをご存じでしょうか。なかには近代的なビルが立ち並ぶオフィス街にポツンと、数
旧上岡小学校について 旧上岡小学校の三棟からなる校舎は、茨城県内の小学校校舎としては旧水海道小学校玄関に次いで二番目に古く、現地保存されているものでは県内最古の校舎です。明治28年の文部省「学校建築図説明及設計大要」で示された学校建築の設計基準をよく順守しており、明治期の木造校舎のかたちを伝える貴重な建築物でもあります。 建築当時からみれば、校舎には人の手が加えられていますが、平屋造りの佇まいや、木のサッシにはめられた古い窓ガラスのおもむき、落書きや削り跡が残る木の机や椅子など、懐かしい小学校の風景がそのまま残されています。教室の窓の外には、いつの時代にも大子の山々が連なり、四季折々の姿を見せたことでしょう。その山の手前には、一日中お日様が照る、上岡の原風景、「日渡の田んぼ」が広がっています。
きらびやかな照明・宇宙っぽい内装・回転ベッド・仕掛けベッド……今のラブホテルでは考えられないような、通称「昭和遺産ラブホテル」の内装や看板、寝具などをパネルと映像でご紹介する展覧会です。(シカクウェブサイトより) 逢根あまみ 『ご休憩 昭和遺産ラブホテル展』 2016年6月18日(土)~7月3日(日) 会場:大阪府 中津 シカク 時間:14:00~20:00 休廊日:火、水曜 料金:無料 トークイベント 『回転ベッドは恋人たちの夢を見るか?』 2016年6月19日(日) 時間:第1部13:30~15:00、第2部17:30~18:30 出演: 金原みわ(珍スポトラベラー) 巴大樹(シカク店長) 定員:各部15名 料金:1,000円 交流イベント 『終末茶話会』 2016年7月2日(土)15:30~17:00 定員:15名 料金:500円
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オールドスクール・ラブホテルに見る、現代日本のオリジナリティ 東京にやってくる外国人観光客がまずびっくりするのは、日本式の旅館がほとんど見つからないことだ。現代の日本人にとって旅館とは、温泉旅行など非日常の場でときたま出会うものであって、日常生活の中にはすでにない。現代の日本人は、ビジネス出張のときはビジネスホテルを使い、セックスのときはラブホテルを使うものだ。 ラブホテルという言葉を知っている外国人は多いが、ラブホテルの起源がアメリカの空襲にあるという事実を知る外国人は少ないだろう。ラブホテルの原型となる「出会い茶屋」は江戸時代から存在したが、第二次大戦時の空襲で焼け野原になった東京市街には、ホテルどころか旅館すらほとんど存在せず、一般人の男女は野外でセックスすることが一般的だった。皇居前広場は特に「屋外セックスの場」として有名で、広場に面した第一生命ビルに陣取っていた占領軍の将校たち
日本堤という地名は、江戸幕府が元和6年(1620年)に利根川、荒川の洪水から下谷・浅草の低地帯を守るため築いた堤防の名前に由来している。堤防の長さは聖天町あたりから下谷三の輪町に至る長さ十三町余りと言われていたことから、約1.5�qであったと推測されている。堤は二条に造られ、二本堤と書かれたと言われ、これが日本堤になったと考えられているが、日本六十余州の大名が造ったので、日本堤と言ったのだという説もあるらしい。 さて、さて、今回紹介するのは、台東区日本堤にある銭湯「廿世紀浴場」である。「廿世紀浴場」と書いて「二十世紀浴場」と読む。その名前も十分にユニークであるが、建物の建築様式は名前以上にユニークである。 廿世紀浴場が造られたのは昭和4年(1929年)。まさに、東京では破風造りの銭湯の建築ラッシュが続いていた頃である。そんな頃に廿世紀浴場のオーナーはどうしてこのような銭湯を造ってしまっ
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