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人生とネタと企業に関するmashoriのブックマーク (2)

  • ファミマのフラッペ飲んで泣いた話

    クライアント様企業のわがままに付き合って労働をしていた結果、土/日/月と会社に缶詰になっていた。 豊洲の綺麗な夜景を照らす蛍族としての活動が終わり、ようやく家に帰れることになった。 いっときの開放感にワクワクするものの、このワクワク感を共有していた友達も今では少なくなってしまった。 具体的には他の企業に連れ去られたり、良さそうなベンチャー企業に逃げ込んだり、実家に帰って農家をしたりするようになってしまった。 こういう時に思考は良くない方向に転がり込むもので、ファミマで晩ご飯を選びながら 夏の日の思い出とか、そういうふんわりとした言葉にならないノスタルジックな気持ちでいっぱいになっていた。 しかし、よくよく考えると、夏の日の思い出とか甘酸っぱいエピソードとかそういうのは何一つ無いし、 サークルで合宿だのBBQをやっても後片付けばかりしていたし、未だに好きな女の子と手をつないだこともない。 「

    ファミマのフラッペ飲んで泣いた話
    mashori
    mashori 2018/06/06
    ねるねるねるねの味って爽やかだっけ?
  • ニトリHD社長・似鳥昭雄氏の「日経『私の履歴書』」に実母が怒った! (週刊文春) - Yahoo!ニュース

    先月、1カ月にわたって日経済新聞紙上に連載された「私の履歴書」は、ビジネスマンの間で「面白すぎる」と評判を集めた。 「お、ねだん以上。」のCMで知られる、家具小売り大手「ニトリホールディングス」の似鳥昭雄社長(71)が、裸一貫から“一代”で国内外約350店舗、年商約4000億円の一大企業を築き上げるまでの半生を語ったのだ。 だが、「あそこに書かれていることは嘘ばかり!」と厳しく批判する人物がいる。似鳥氏の実母・似鳥みつ子さん(94)である。ニトリ創業の地、札幌で一人暮らしを続けるみつ子さんは、「週刊文春」の取材に約2時間にわたって怒りをぶちまけた。 例えば、極貧だった少年時代のエピソードが「私の履歴書」では随所で語られているが、みつ子さんはこう憤る。 「確かに、昭雄が6歳くらいになるまで家は貧しかった。けど、ヤミ米の仕事を始めてからは裕福になったの。あの頃、まだ珍しかった三輪自動

    ニトリHD社長・似鳥昭雄氏の「日経『私の履歴書』」に実母が怒った! (週刊文春) - Yahoo!ニュース
    mashori
    mashori 2015/05/13
    「私の履歴書」は盛っている…と。本人より年上の人が明かしてしまってはどうにもならんな。
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