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人生と家族とlifeに関するmashoriのブックマーク (3)

  • 「難病で認知力が低下した妻と離婚しました。私は間違っているのでしょうか」 | 介護者の深い苦悩を社会は理解しない

    運動機能や認知機能に影響を及ぼし、性格の変化など様々な症状を引き起こすハンチントン病。そんな難病を抱えるをひとりで支えてきた男性が、介護の重圧に耐えきれなくなり、離婚を決意する。変わりゆくの姿と介護に苦しみ、別れた自分は悪なのか? 著名セラピストのローリ・ゴットリーブが答える。 愛する人だけど、ひとりきりの介護に限界が来た セラピストさま 30年間連れ添ったが2012年、ハンチントン病と診断されました。脳に障がいが生じる遺伝性疾患で、治療法はなく、死に至る病です。診断当時のは47歳で、病は少しずつ彼女の心身を蝕んでいきました。 私は5年間、の唯一の介護者でした。の体を洗い、服を着せ、事をさせ、その他、あらゆることをしました。 けれども2017年、私は限界に達し、を長期ケア施設に預けるほかありませんでした。私は燃え尽きていたのです。 その少しあと、離婚の手続きをしました。介護

    「難病で認知力が低下した妻と離婚しました。私は間違っているのでしょうか」 | 介護者の深い苦悩を社会は理解しない
    mashori
    mashori 2021/02/17
    「病める時も健やかなるときも」って宣誓をしてない人だったのね
  • ほぼ叔父に育てられた

    父親はモラハラで母に興味が無く気まぐれに私を殴り 母親はアル中で不倫中毒で家事一切しない 共働きで父母どちらも炊事洗濯掃除全くしない そんな家庭で育った 乳幼児の頃から当に叔父に助けられて育った 叔父は母の年離れた弟で叔父が大学生の時に私が生まれた 私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい) それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた 高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった 小学校入学とともに父母に引き取られた 地獄だった 叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした 母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんがべられて嬉しかった 10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことが

    ほぼ叔父に育てられた
    mashori
    mashori 2020/06/19
    叔父さんに救われ、素晴らしい心境でいられるのは素敵です。増田自体も素敵に大人になれてよかったと思う
  • 息子とのふたり旅が楽しすぎた

    中2の息子と父子ふたり旅。 秋田、岩手、東京、浜松を経由して今名古屋に向かってる。 名古屋で少し遊んだら帰り道となる。 当に楽しすぎた。 幸せすぎた。こうやって一緒に喜んで旅に出てくれる息子で良かった。 ありがとう、息子。 間違いなく一生の思い出になった。 秋田では旧友に会い、稲庭うどんをべた。ババヘラアイスというのも初めてべた。美味しかった。 盛岡ではわんこそばに挑戦した。 2人とも100杯には届かなかったけど楽しかった。盛岡八幡宮も美しかった。 平泉ではレンタサイクルで中尊寺、金色堂を見てひたすら感動した。 2人で汗かきながら坂道を登ってたどり着いた堂、なんか妙に美味しく感じた瓶のコーラ。 東京では新宿でリアル潜入ゲームをやったりVRゾーンでマリオカートやったりゾーマをやっつけたりした。夜にはちょっといいお寿司をべた。初めてカウンターでお寿司をべて息子はすごく嬉しそうだった

    息子とのふたり旅が楽しすぎた
    mashori
    mashori 2018/08/15
    素敵な話。めっちゃ楽しそうで、読み終えた後も爽やかな幸福感が漂う、いい話でした。
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