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仕事と開発に関するmashoriのブックマーク (7)

  • 「仕事のコード」を残す際のチェックリスト|Uchio Kondo

    最初に注意: この文章は「はじめに」「総論」が長いです🙃 追記@2021/08/11 17:46想像よりはるかに反響をいただいたので、せっかくだからと要点をMarkdownにしてGitHubに置いてみました。何かにご利用ください。 はじめに・「仕事のコード」、つまり、業務などで作ったコードが、なるべく負債にならず、なるべく俗人化しないようにするために留意すると良さそうなことを自分の経験などから列挙したものです。 ・ちなみに、「対象読者」に書いてありますが、そもそものモチベーションが「非エンジニアノーコード系のサービスで作ったシステムが最近増えつつあるような...」というところでした。こういうのどう取り扱うといいんですかねとなった時、まずは運用できる形にしてもらいたい、という狙いがあります。結果的に、ジュニアなエンジニアが良いシステムを残す上でも使える知識かなと思います。 ・個別の項目に

    「仕事のコード」を残す際のチェックリスト|Uchio Kondo
    mashori
    mashori 2021/08/11
    そろそろ「why」を書き留めておかないとあかんな
  • 1台36万円でも100台が完売、“アップルの中枢を知る男”が立ち上げたコーヒー器具メーカー

    From DIAMOND SIGNAL スタートアップやDX(デジタルトランスフォーメーション)を進める大企業など、テクノロジーを武器に新たな産業を生み出さんとする「挑戦者」。彼ら・彼女にフォーカスして情報を届ける媒体「DIAMOND SIGNAL」から、オススメの記事を転載します。※DIAMOND SIGNALは2024年1月をもって、ダイヤモンド・オンラインと統合いたしました。すべての記事は連載からお読みいただけます。 バックナンバー一覧 「この職場に来るのが、毎日楽しみなんですよ。大好きなんです、ここが」 ほとんど日人と変わらない流ちょうな日語で、ダグラス・ウェバーは言った。そこは福岡県糸島市の海沿いにある彼のオフィスで、時折、外から「コケコッコー」とにぎやかな鳴き声がする。ミニサッカーができそうな広々とした敷地のなかで、鶏が放し飼いされているのだ。 2年前に空き工場を買い取り

    1台36万円でも100台が完売、“アップルの中枢を知る男”が立ち上げたコーヒー器具メーカー
    mashori
    mashori 2020/12/11
    糸島かー。こんな人おるんや。
  • ANA×スリープテックが開発する「時差ボケ調整アプリ」を試す…出張先でも快適に仕事

    ANAとベンチャー企業・ニューロスペースは、海外渡航者向けの「時差ボケ調整アプリ」の開発に取り組んでいる。(写真はイメージです) 撮影:小林優多郎 海外への出張、旅行はワクワクするものだ。一方、そのワクワクの裏で初日の夜あたりに誰もが悩まされるのが、ジェットラグ=「時差ボケ」だ。 旅慣れた人は独自の時差ボケ解消法を実践している人もいるが、筆者はどうにも苦手で毎度、現地時間適応に苦労している。 9月にドイツ(時差-7時間)へ出張した際に、ANAホールディングスとスリープテック領域のベンチャー・ニューロスペースが開発した時差ボケ解消アプリを試してみた。その結果が良好だったので、レポートしてみよう。

    ANA×スリープテックが開発する「時差ボケ調整アプリ」を試す…出張先でも快適に仕事
    mashori
    mashori 2019/10/15
    時差ボケ調整アプリすごいな
  • 5年いた富士通を退職した理由

    5年エンジニアとして務めた富士通を一昨年退職した。そろそろほとぼりも冷めたと思うので、書く。 真面目に書いている増田もいるが、僕は自分の半径5m以内で起こった幼稚な理由にフォーカスを当てる。 開発環境がだめまずこれがトップにくる。 当にだめだった。多分開発させる気なんてなかったんだろうなあ。ニートでももうちょっといい環境を使っていると思う。 メモリ4GBのセレロン使ってた。もちろんSSDじゃなくてHDD。PC富士通製のミドルクラスのノートPCしか支給されなかった。 Macなんか認めん!iOSアプリも富士通PCで作れ!(当にあった話)。 机上環境もだめいろんな環境にいたが、その中でもひどかったのは、もともと生産ラインがあった場所に机を置いて事務所として使っていた場所だ。机もせまかったし、気温も暑いか寒いかのどちらかだった。 そこに協力会社を大量に押し込んで、ソフトウェアの生産ラインを作

    5年いた富士通を退職した理由
    mashori
    mashori 2019/04/04
    そらー日本企業が成長しないわけだわ。
  • 9月末で60歳定年退職しました - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分のプログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。 9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分の退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。 1984年に大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカーに就職するのがほとんどで、大手家電メーカー、自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。 その中で、日ディジタルイクイップメント(DEC

    9月末で60歳定年退職しました - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    mashori
    mashori 2018/10/01
    何かを始めるのに年齢は障害にならないのだなあ。その時の度胸、第一歩を踏み出す勇気、あと流れ。自分の意志が大きい。ありがとうございました。
  • 「すごい技術もたった一つの課題で終わり」 マツダの天才エンジン技術者、大逆転の軌跡(後編)

    会社人生の大半をやりきれない思いを抱いて過ごした人見光夫(前編「ずっとむなしい、なにもなく終わる・・・」)。定年間近の土壇場で、世界最高のエンジン技術「スカイアクティブ(SKYACTIV)」を生み出した(関連記事1、2、3、4)。 人見が画期的なのは、スカイアクティブの成功にとどまらない。設計手法を刷新したことも大きい。試作と実験に頼るかつての設計手法を見直し、解析を重んじる形にガラリと変えた。日の自動車メーカーで、マツダほど徹底する会社はない。開発効率を高めて、“小兵”のマツダが超大手と戦う土俵を整える。 マツダには、金がないんです。でも貧乏だからこそできることが絶対にあるんです。 ひとみ・みつお。1954年生まれ。岡山県出身。1979年東大院修了後、東洋工業(現マツダ)に入社。一貫してエンジン開発に携わり、2000年パワートレイン先行開発部長。2011年執行役員、2014年常務執行役

    「すごい技術もたった一つの課題で終わり」 マツダの天才エンジン技術者、大逆転の軌跡(後編)
    mashori
    mashori 2018/03/08
    "ごまかさないこと"
  • 【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編

    【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編 編集部:TAITAI カメラマン:増田雄介 123→ 4Gamerが任天堂取締役社長(当時)岩田 聡氏と,カドカワ(当時はKADOKAWA・DWANGO川上量生氏の対談を掲載したのは,ちょうど一年前の12月末のことだった。 任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回――経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」 連載の最後を飾るにふさわしいラスボス的なゲーマーは,岩田氏以外ないというお願いを快諾していただき実現した対談では,岩田氏自身の経営哲学からプログラマー時代の豪腕ぶりがうかがえるエピソードまでが人の言葉で語られ,大きな反響を呼んだ。 岩田 聡(いわた・さとる):1959年北海道生まれ。1982年に

    【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編
    mashori
    mashori 2015/12/29
    凄まじい。ここまで最適化に能力が特化した人間だったのか。万事すべてのことに最適化しようとするその生き方、またその為に恵まれた能力、培われた才能。この人未来から転生してきたんじゃないのって思ったわ…
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