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歴史と昭和に関するmashoriのブックマーク (3)

  • あのマットができるまで

    の玄関の前を長い間演出し続けている「あのマット」のメーカーが和歌山県に存在する。50年以上にわたって泥除けマット「コンビマット」を製造している老舗「ジポン」でマット造りのあれこれを聞いてきた。 1975年神奈川県生まれ。毒ライター。 普段は会社勤めをして生計をたてている。 有毒生物や街歩きが好き。つまり商店街とかが有毒生物で埋め尽くされれば一番ユートピア度が高いのではないだろうか。 最近バレンチノ収集を始めました。(動画インタビュー) 前の記事:都内のプールに8,000匹! 「ヤゴ救出大作戦」に参加した > 個人サイト バレンチノ・エスノグラフィー 誰もの記憶にある「あのマット」 以前記事で店舗の軒先にあるウェルカムマットを特集したが、マットの中のマットといえばあのトラディショナルな一品、「緑のひし形模様のやつ」である。 これ。友人の家で飼っていたクワガタが脱走し、この下に潜んでいた事

    あのマットができるまで
    mashori
    mashori 2020/04/15
    おー。昭和にブレイクしてどこにでもあったマットだ。最近見かけるの減ってきてるな…導入したい
  • 日本酒の歴史 昭和60年代以降 - 板前日記

    昭和40年代後半になると日酒蔵では、「このまま三増酒だけではいけない」「売れればいいだけの桶売りでは日酒の将来はない」「自分が美味しいと思うお酒を造りたい」という若い世代が出現し始めます。酒屋さんにも全国で「自分の売っているお酒は当に美味しいのか?」「こんな不味い酒じゃなくどこかに美味しいお酒があるはずだ」と目覚める若い世代がポツポツと現れ始めます。 昭和50年代は蔵元も酒屋さんも、志のある方々が自分たち自身が美味しいと思うお酒を造り売ろうとする試みに七転八倒した時期です。しかしながら、一般消費者の認識は「大手酒造=安心・美味しい・ブランド」が根強く、少しでも日酒に興味がある方でもメディアで知った「幻の酒信奉」にこだわる方ばかりでした。 自らの足で探した美味い酒だけを店に置いても「なぁぁんだ、白○(大手ブランド)ないのぉ」とか「幻の○○は置いてない?」という客ばかり。「客はバカばっ

    日本酒の歴史 昭和60年代以降 - 板前日記
    mashori
    mashori 2013/07/30
    そうだなー20年以上昔の酒は飲みたいと思わないもんなあ。1990年ごろは本当に美味しいと思えなかった。アル添きつくて戻しやすかった。
  • おそロシ庵 : ロシア人「50年代後半の日本の様子を見てみよう。」

    2013年02月26日17:48 ロシア人「50年代後半の日の様子を見てみよう。」 カテゴリ日 / япония画像 / картинки Comment(0) Tweet ロシアのサイトで50年代後半の日の写真が沢山紹介されていました。 撮影したのはロシア人ではなくアメリカの方だそうです。 それでは以下翻訳です。 Япония 50-х фотоэкскурсия50年代の日へ写真ツアー アメリカのビジネスマン、元空軍のパイロットだったHerb Gouldon氏は50~60年代に多くの場所へ旅行し写真を撮っていた。50年台の後半、彼は何度か日を訪れていた。 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 3

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